まいぷら

何もかも忘れて、ぷらぷら旅に出かけよう。

最勝院

青森県弘前市の旅行で訪れた観光名所、最勝院

最勝院は、津軽真言宗五山の筆頭で正式名称は金剛山光明寺最勝院と言います。シンボルの五重塔は寛文7年(1667年)に3代藩主信義の案により、藩祖・津軽為信の津軽統一の過程で戦死した者を敵味方なく供養のために10年以上をかけて建立されたもので国の重要文化財に指定されています。

最勝院

最勝院は天文元年(1532年)に弘信僧都が開創したと伝わり弘前藩藩祖・津軽為信が厚く帰依し猿賀神社神宮司の別当に定めています。当初は堀越村に境内がありましたが、弘前城築城にあたり弘前二代藩主・津軽信牧により弘前城鬼門鎮守である弘前八幡宮の別当寺院として田町に遷されました。

最勝院

青森県弘前市の旅行で訪れた観光名所、最勝院山門と五重塔です

最勝院参道

青森県弘前市の旅行で訪れた観光名所、最勝院山門から本堂までの参道です

最勝院の正式名称は金剛山光明寺最勝院といい仏典「金光明最勝王経」にちなみ五穀豊穣、国家安泰などの願いが込められています。本尊は金剛界大日如来で秘仏として五智如来、猫突不動明王、文殊菩薩、聖徳太子、牛頭天王、歓喜天(聖天)、青面金剛、如意輪観世音菩薩等を祀ります。

最勝院本堂

青森県弘前市の旅行で訪れた観光名所、最勝院の本堂昭和45年(1970年)に落慶しています

平和の鐘

青森県弘前市の旅行で訪れた観光名所、最勝院の鐘楼昭和31年(1956年)に再建されています

寛永3年に津軽真言五山制度が定められると真言五山に選定され、その筆頭として領内寺社取締(僧録)を命じられました。本堂には信牧が寄進した阿弥陀如来像と信重が寄進した勢至菩薩像と観音菩薩像が安置されていました。

津軽真言五山
最勝院
田町現在銅屋町
百澤寺
現・岩木山神社
国上寺
碇ヶ関村古懸
橋雲寺
岩木町植田
久渡寺
旧小沢村(現・坂元)

最勝院の文殊菩薩は古くから卯年生まれ一代様として親しまれてきました。そのためか境内にはウサギの像が至る所に安置されています。

香炉

青森県弘前市の旅行で訪れた観光名所、最勝院の香炉ウサギの像があります

石仏

青森県弘前市の旅行で訪れた観光名所、最勝院の石仏境内には仏様の像があります

明治初頭の神仏分離令により弘前八幡宮とは分離され、明治5年に大圓寺の五重塔や本堂、諸堂、境内地などを引き継ぐ形で現在地に移転されました。最勝院では発掘調査で縄文時代後期の土器や住居跡が多数出土しており、古くから信仰の地であった可能性があります。

五重塔

最勝院の五重塔は寛文7年(1667年)に弘前三代藩主・津軽信義の命で造営されました。高さ31.2メートルあり、国の重要文化財指定の五重塔としては日本最北端に位置し東北一の美塔とも言われています。

五重塔

青森県弘前市の旅行で訪れた観光名所、最勝院の五重塔最勝院のシンボルとして聳えます

五重塔

青森県弘前市の旅行で訪れた観光名所、最勝院の五重塔精巧な造りで国の重要文化財に指定されています

五重塔は藩祖・津軽為信の津軽統一の過程で戦死した者を敵味方なく供養のために10年以上をかけて建立されたもので国の重要文化財に指定されています。

五重塔には「火の丸」と呼ばれる太刀が納められていると云われます。火の丸の銘はありませんが天國又は鳥羽院の作と言われ、不思議にも刀身が眩いばかりの輝きを発し光明が四方を照らしたとの伝説が残ります。

まち旅(旅行、観光)の記録

まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。

まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒036-8196 青森県弘前市銅屋町63
アクセス
JR弘前駅からバスで15分
営業時間
9:00~16:00
料金
参拝無料
地図