高照神社

四代藩主・津軽信政が自らの葬地を岩木山麓の高岡と定め、その遺言に従って五代藩主・津軽信寿により神葬、正徳元年(1711年)に廟所、翌年には本殿などが建立されたことに始まります。本殿、中門、西軒廊、東軒廊、拝殿及び幣殿、廟所拝殿などが国指定の重要文化財です。
高照神社
高照神社は弘前藩祖・津軽為信と四代藩主・津軽信政が祀られています。弘前藩において岩木山神社とともに篤く信仰された神社で境内の主要な建物が国の重要文化財に指定されています。
高照神社には古くから春日四神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)が祀られる小社が鎮座しており、津軽信政は篤く崇敬していました。信政は自分の廟所を高照神社にするように遺言を残し亡くなり、五代藩主信寿が遺言に則り建てたのが高照神社です。
七代藩主・津軽信寧が造り替えました
四代藩主信政の霊廟で初代藩主為信も合祀されています
津軽信政は吉川神道の開祖と言える吉川惟足に師事しており、霊廟は吉川惟足から授けられた信政の神号にちなみ高照霊社と名付けられました。正徳元年(1711年)に廟所を造営すると正徳2年には本殿が建造されます。享保15年(1730年)には門前町の町割りにより名称を高照神社と改めています。
高照神社奉納額絵馬は県の有形民俗文化財に指定されており、拝殿に掲げられています。これらの絵馬は藩主やその一族、家老級の家臣が奉納したもので、藩のお抱え絵師たちが描きました。
国の重要文化財に指定されています
造りや装飾から本殿と同じころに造られたと言われます
七代藩主・津軽信寧は宝暦5年に拝殿を造営し、九代藩主・津軽寧親が文化7年に随身門を文化12年に廟門を造営しています。これらの配置は吉川神道に基づいて一直線に配置され、現存する唯一の吉川神道形式の境内を継承しています。
九代藩主・津軽寧親が建造しました
朱色の橋と鳥居の奥に見えるのが随神門です
明治4年に春日四神を合祀し明治10年に藩祖・津軽為信を勧請すると明治13年には県社に列格しています。また、本殿、中門、西軒廊、東軒廊、拝殿、幣殿、随身門、津軽信政公墓、廟所拝殿、廟所門が国の重要文化財に指定されています。
江戸時代に構築された馬場跡です
高照神社には津軽氏の宝物が保管されているそうです
高照神社の境内には文政13年(1830年)に十代藩主・信順により構築された馬場が復元され、流鏑馬が披露されることもあります。また宝物殿には津軽氏の宝物が保管されており、津軽為信が豊臣秀吉から与えられたものと言われる鎌倉時代の名刀・友成作の太刀や津軽信政が着用した甲冑なども展示されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒036-1344 青森県弘前市高岡字神馬野87
- アクセス
- JR弘前駅からバスで40分
- 営業時間
- 特になし
- 料金
- 参拝無料
- 地図