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唐糸御前史跡公園

青森県南津軽郡の旅行で訪れた観光名所、唐糸御前史跡公園

青森県南津軽郡にある唐糸御前史跡公園は、鎌倉時代の唐糸御前の伝説を今に伝えるため平成6年(1994年)に完成した史跡公園です。桜や藤の花の名所でもあり眼前には津軽富士とも呼ばれる岩木山が聳えます。

唐糸御前史跡公園

青森県南津軽郡にある唐糸御前史跡公園は、藤崎町に伝わる唐糸御前の伝説を今に伝えるために造営された史跡公園です。公園内には唐糸御前に関連する石碑のほか、唐糸御前の像などが整備されています。

唐糸御前史跡公園

青森県南津軽郡の旅行で訪れた観光名所、唐糸御前史跡公園岩木山が眺められます

柳の池

青森県南津軽郡の旅行で訪れた観光名所、唐糸御前史跡公園の柳の池唐糸御前が入水した池を模ります

鎌倉時代に北条時頼から寵愛された唐糸御前は、激しい妬みに堪えかねて故郷の藤崎町に移住しました。時が経ち北条時頼が津軽を訪れますが、唐糸御前は己の容姿の衰えを悲しみ池に身を投げて自殺したという伝説が残ります。

唐糸御前は歴史的に存在していたか定かではないようですが、津軽一帯を統一した津軽氏は唐糸御前の末裔にあたるとして、津軽地方を治めるに値する理由として唐糸御前を利用している節もあるようです。

延文の板碑

青森県南津軽郡の旅行で訪れた観光名所、唐糸御前史跡公園の延文の板碑延文4年(1359年)に造られた板碑です

青森県南津軽郡の旅行で訪れた観光名所、唐糸御前史跡公園の桜唐糸御前史跡公園は桜や藤の名所です

公園の隅には松の古木とともに唐糸御前のために延文4年(1359年)に安置された釈迦三尊種子石塔婆が刻まれた板碑があります。またその奥には五輪塔もありますが、風化のためだいぶ荒廃しています。

唐糸御前史跡公園はのどかで静かな公園で眼前には津軽富士と呼ばれる岩木山が聳えています。桜や藤の花の名所でもあり4月から5月にかけて美しい花で彩られます。

唐糸御前の伝説

唐糸御前は鎌倉五代執権・北条時頼に仕える心根の優しい才色兼備の女性でした。北条時頼から寵愛されますが周囲から妬まれるようになり、悪意ある妬みに耐えかねて故郷の津軽に戻ることにしました。

北条時頼は唐糸御前と離れたくはありませんでしたが、唐糸御前たっての願いとあり、ついに再会を約束して従者をつけて唐糸御前を落ち延びさせました。唐糸御前一行は海路で十三湊に着くと、名野岡村(現・南津軽郡藤崎町)に居を構えて質素な生活を送りました。

唐糸御前

青森県南津軽郡の旅行で訪れた観光名所、唐糸御前史跡公園の唐糸御前像北条時頼の妾でした

唐糸塚

青森県南津軽郡の旅行で訪れた観光名所、唐糸御前史跡公園の唐糸塚唐糸御前に関連する石碑などが整備されています

やがて北条時頼は政務を離れて出家し、名前を最明寺入道と改めて諸国行脚に出かけます。諸国を巡る中で津軽の藤崎にいる唐糸御前を訪ねることにしますが、その風聞に接した唐糸御前は衰えてかつての容姿も失われた自分の姿を見せる訳にいかないと近くにあった柳の池に身を投じてしまいました。

この地を訪れた時頼は村人から唐糸御前のことを聞き、大いに悲しみ弘長3年(1263年)に荒廃していた平等教院を護国寺として復興し菩提を弔いました。その悲しみは深く、鎌倉までの帰途7日ごとに寺院を建立したと言われます。

唐糸御前に付き従い鎌倉から藤崎町に赴いた清藤次郎盛秀は主命を果たせなかった責任を感じて鎌倉には戻らず猿賀の地に永住し、その子孫が盛美園を建造したと言われています。

まち旅(旅行、観光)の記録

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住所
〒038-1202 青森県南津軽郡藤崎町藤崎二本柳
アクセス
JR藤崎駅より徒歩約20分
営業時間
開園期間:4月~11月
料金
無料
地図