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南湖公園

福島県白河市の旅行で訪れた観光名所、南湖公園

南湖公園は、寛政の改革で知られる白河藩主松平定信が造営した公園です。士民共楽という理念のもと身分に関係なく広く一般に開かれたため日本最古の公園と言われています。大正13年(1924年)に国の史跡及び名勝に指定されました。

南湖公園

南湖公園は、白河藩三代藩主松平定信により、身分に関係なく誰もが楽しめる士民共楽という理念のもとに享和元年(1801年)に築造されました。当時の庭園は城内や大名屋敷内などに造られ、庶民は立ち入ることができませんでしたが、南湖は誰でも訪れることのできる画期的な公園でした。

南湖公園

福島県白河市の旅行で訪れた観光名所、南湖公園士民共楽の理念により造営されました

松平定信

福島県白河市の旅行で訪れた観光名所、南湖公園_松平定信像寛政の改革を行った名君として知られます

南湖は大沼と呼ばれていた湿地帯に堤を築き水を貯めて、那須連峰や関山を借景に松、奈良吉野の桜、京都嵐山の楓が植えられて庭園の要素を取り入れました。中国唐の詩人李白が洞庭湖に詠んだ「南湖秋水夜煙無」や小峰城の南側に位置していたことから南湖と名付けられたと言われます。

南湖公園

福島県白河市の旅行で訪れた観光名所、南湖公園江戸時代から行楽地として栄えました

南湖公園

福島県白河市の旅行で訪れた観光名所、南湖公園灌漑用水のほか水練や操船訓練として利用されました

周囲2キロ、18ヘクタールある南湖は、行楽だけでなく湖水は灌漑用水のほか水練や操船訓練として利用されました。この造成工事は領民の救済事業としての性格も持っていました。南湖公園で得られた利益は白河藩の学校に使われました。

南湖十七景詩歌碑

南湖公園の園内には17の景勝地「南湖十七景」が点在します。南湖十七景では松平家に親しい公家や諸国の大名・儒者に和歌と漢詩を詠んでもらい、詠まれた和歌や漢詩を石碑に刻み、文政3年(1820)に南湖碑(南湖十七景詩歌碑)として建立しました。

南湖碑(南湖十七景詩歌碑)

福島県白河市の旅行で訪れた観光名所、南湖公園_南湖碑(南湖十七景詩歌碑)南湖の景勝の詩が石碑に刻まれます

共楽亭

福島県白河市の旅行で訪れた観光名所、南湖公園_共楽亭南湖湖畔に松平定信が建てた茶室です

湖畔には享和年間(1801~1803)に松平定信が建てた茶室共楽亭があります。寄棟造の木造木羽葺で、北側を除く三方に緑を巡らせています。共楽亭の室内は八畳二室からなり、その間取りは身分の上下なく平等に語り合うという考えによるものと伝えられています。

南湖神社

南湖神社は、日本資本主義の父と言われた渋沢栄一の援助により大正11年(1922年)に開創しました。ご祭神として白河藩主松平定信(守国大明神)が祀られます。境内には松平定信の遺品や渋沢栄一の書を収めた「南湖神社宝物館」があり、南湖を築造した記念に松平定信が植えた楽翁桜と呼ばれるベニシダレザクラがあります。

南湖神社

福島県白河市の旅行で訪れた観光名所、南湖公園_南湖神社渋沢栄一の援助により建立されました

松風亭蘿月庵

福島県白河市の旅行で訪れた観光名所、南湖公園_松風亭蘿月庵三輪権右衛門が建てた茶室が移築されています

南湖神社の境内にある松風亭蘿月庵は、寛政年間(1789~1801)に白河藩士の三輪権右衛門が、彼の父で茶人の長尾仙鼠のために九番町の別邸内に建立したと伝えられる茶室です。文政6年(1823年)に松平(久松)家の桑名への国替えのときに中町の常盤家が譲り受け移築されました。のちに西白河郡役所の所有となり、大正12年(1923年)に南湖神社に寄贈、移築されました。

まち旅(旅行、観光)の記録

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まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒961-0812  福島県白河市南湖
アクセス
JR新白河駅から棚倉行きバスで10分
営業時間
24時間
料金
無料
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