日光の徳川将軍家霊廟
日光東照宮は江戸幕府の初代将軍徳川家康の遺言により、東方から全国を照らし守護するために家康が祀られた神社です。3代将軍徳川家光は家康を篤く崇敬し、寛永の大造替で現在の絢爛豪華な造りとしました。家光は家康の近くで眠ることを願い、日光東照宮の近く輪王寺大猷院を廟所としました。これらの寺院は、平成11年(1999年)に日光の社寺として世界遺産に認定されました。
徳川家康の崩御と神号
慶長8年(1603年)に江戸幕府を開いた徳川家康は、豊臣家を滅ぼした翌年の元和2年(1616年)に嫡男秀忠に将軍職を譲りました。家康は駿府城で慈眼大師天海と以心崇伝らを呼び死後の扱いを託したと言われます。その内容は、葬儀を増上寺で行い、遺体を久能山に埋葬し、位牌は三河の大樹寺に立てることでした。さらに家康は、一周忌を過ぎたら日光山に小さな堂宇を建てて勧請すれば八州鎮守になるだろうと加えています。
江戸幕府を開いて初代将軍となりました
日光東照宮を建立した徳川家の参謀です
元和2年(1616年)に家康が崩御すると、遺言に従い駿府の南東にある久能山に移されました。翌月に家康の葬儀が増上寺で行われましたが、神号については慈眼大師天海が山王一実神道に基づき権現とすることを主張して以心崇伝らと対立しますが、元和3年(1617年)に朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階を追贈されて日光に移されました。
日光東照宮の創設
天海主導で日光山に社殿が完成すると、初代将軍徳川家康の御神柩が久能山から日光奥院廟塔に改葬され、東照大権現として祀られました。3代将軍徳川家光の時代には、正保2年(1645年)に大老酒井忠勝らの尽力により朝廷から格式の高い宮号を与えられ、現在に至る東照宮となりました。
重要文化財の奥宮拝殿は黒塗りのお堂でした
左が鋳抜門、右手が宝塔。間に鳳凰の像もあります
勝道上人が開山して関東一の霊場となる日光山は、鎌倉幕府の初代将軍源頼朝と関係が深く、関東武士の聖地として崇められました。豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏に加担した日光社寺は、領地のほとんどを没収されて衰退しましたが、日光山貫主となる慈眼大師天海が再興しました。家康は江戸の鬼門にあたる日光を安住の地と定め、元和3年(1617年)に天海を中心として家康を祀る東照社が建立されました。こうして日光は、徳川家の庇護により大きな発展を遂げることになります。
徳川家光の寛永の大造替
徳川家康の廟所は、慈眼大師天海により日光輪王寺北部に定められました。本多正純らを奉行として、およそ半年かけて完成しました。創建当初は徳川家康の遺言どおり質素な社殿が建立されていましたが、寛永13年(1636年)に3代将軍徳川家光による寛永の大造替で建て替えられました。境内には全国各地から集められた名工による国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物が並びます。
日本を代表する最も美しい宮中正門です
白く塗られた壁には細かい彫刻が施されています
家光は祖父である家康を強く信奉していました。正保2年(1645年)に朝廷から宮号を賜ると、伊勢神宮と同じく朝廷から日光例幣使が派遣されるようになりました。家光は諸大名に東照宮の造営を勧め、最盛期には700もの東照宮が各地に建てられました。東照宮は将軍家の権威を全国に知らしめる存在ともなり、日光はその総本山のような役割を担いました。
神厩舎に彫られた三猿の彫刻です
左甚五郎作と伝えられる眠る猫の像です
全国から集められた名工は、各所に精細な彫刻を施しました。特に有名なのは、神厩舎にある8面彫られた猿の彫刻にある、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿の彫刻と左甚五郎作と伝えられている眠り猫の彫刻です。
日光の杉並木
日光東照宮の造営に尽力した松平正綱は、寛永2年(1625年)から日光東照宮への参道にあたる日光街道、例幣使街道、会津西街道の3つの街道に24年の歳月をかけて20万本以上の杉を植樹しました。一般的に社寺の参道には松を植える風習がありましたが、正綱は背が高く頑強で寿命が長い杉を用いました。
背が高い杉が植樹されています
37キロに渡り杉並木が続きます
日光杉並木は、徳川家康33回忌の慶安元年(1648年)に植樹を完了して寄進されました。現在は全長37キロの街道の両側に1万2千本ほどが残され、世界一長い並木道として平成4年(1992年)にギネスブックに認定されました。
輪王寺大猷院
3代将軍徳川家光は、死後に敬愛する徳川家康の近くで眠ることを願い、慶安3年(1651年)に死去すると遺言になら寛永寺から日光山輪王寺に葬られました。家光の廟所は大猷院と名付けられ、自身の廟所は東照宮を凌いではならないとの遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りとなりました。
金閣殿とも言われます
奥之院の門で竜宮門とも言われます
大猷院の中心となる本殿は、たくさんの金彩が使われているため金閣殿とも呼ばれます。内部には狩野探幽の描いた唐獅子、天井には140枚の龍の絵、家光が着用した鎧などがあります。本殿の奥には皇嘉門があり、徳川家光の墓所である奥之院になります。
4体の夜叉が霊廟を守る最後の門です
破魔矢を携える全国的に珍しい仏像です
夜叉門には、阿跋摩羅、毘陀羅、烏摩勒伽、犍陀羅の4体の夜叉が霊廟を守ります。夜叉門には牡丹の花が彫刻されているため、牡丹門とも呼ばれています。烏摩勒伽は全国でも珍しい仏像で、破魔矢の原点となる矢を持ち、膝に施される像が膝小僧の由来となりました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒321-1431 栃木県日光市山内2301
- アクセス
- JR日光駅、東部日光駅から徒歩30分
- 営業時間
- 08:00~17:00(季節により変動)
- 料金
- 1,300円(日光東照宮)
900円(三仏堂・大猷院セット券)、550円(大猷院のみ) - 地図