新宿
東洋一の繁華街と言われる新宿は、江戸時代に信州高遠藩主内藤家の下屋敷がありました。内藤氏は内藤新宿と呼ばれる宿場町を造営し、これが新宿の名前の由来となりました。やがて内藤家の下屋敷は農事試験場を経て皇室に渡り新宿御苑となりました。
新宿御苑と内藤氏下屋敷
天正19年(1591年)に江戸城西門警護の功績が認められた内藤清成は、徳川家康から新宿に屋敷地を拝領しました。徳川家康は内藤清成に対して馬を走らせて回れるだけの土地を授けると言い、馬で駆けた広大な土地を授かりました。多武峰内藤神社には駆け回りそのまま息絶えた駿馬伝説が残されています。
駿馬伝説が残ります
内藤氏庭園の面影を残します
内藤氏は幕府の許可を得て、元禄11年(1698年)に内藤新宿と呼ばれる宿場町を整備しました。これが東洋一の繁華街となる新宿の名前の由来となります。内藤家は屋敷内に農民を住まわせて田畑を耕作し、玉川園と呼ばれた庭園を造営しました。
近代農業と新宿御苑
明治5年(1872年)に内藤家屋敷跡は畜産園芸の改良を目的とした内藤新宿試験場となりました。この農事試験場は我が国の西洋農学の発祥の地となり、明治10年(1877年)には西洋式温室が完成しました。
日本の西洋温室の先駆けとなりました
現在も南国の植物が展示されています
内藤新宿試験場には、明治10年(1877年)に獣医学、農学、園芸化学、園芸予科を置いた農事修学場が開校しました。西欧から講師を招いて指導者の育成が行われ、翌年に駒場に校舎が移転して東京大学農学部と東京農工大学の前身となる駒場農学校が設立されました。
皇室と新宿御苑
内藤新宿試験場は、明治12年(1879年)に皇族に献納され宮内省の植物御苑となり、明治39年(1906年)に日露戦争の祝賀会を兼ねて新宿御苑が開苑しました。昭和2年(1927年)には昭和天皇の御成婚を記念して旧御涼亭が台湾より献上され、中国ビンナン建築様式の特徴を取り入れた日本にある数少ない本格的中国風建築となりました。
昭和天皇のご成婚記念の建物です
皇室庭園として外国要人を迎え入れました
太平洋戦争が勃発して戦況が悪化すると、昭和20年(1945年)に3度の空襲被害を受けて旧御涼亭と旧洋館御休所を残して苑内は全焼しました。終戦を迎えて修復されて昭和24年(1949年)から国民公園新宿御苑として一般に公開されるようになりました。
明治神宮外苑
明治45年(1912年)に明治神宮が崩御してその墓陵が伏見桃山に造営されることになると、明治天皇と昭憲皇太后の遺徳を後世に伝えるために渋沢栄一らの立案により、大正15年(1926年)に明治神宮外苑が奉献されました。明治天皇の大喪が営まれた青山練兵場跡地に、明治天皇と昭憲皇太后の威徳を称える壁画が展示する聖徳記念絵画館を中心施設として憲法記念館(現明治記念館)や陸上競技場(現国立競技場)などが整備されました。
明治時代を偲ぶ施設です
国民の健康増進のために建てられました
太平洋戦争が終結すると明治神宮外苑の敷地・施設ともにGHQに接収され、アメリカ将兵の運動場となりましたが、昭和27年(1952年)に返還されて国の管理から明治神宮の所有となりました。昭和39年(1964年)にアジアで初めて東京オリンピックが開催されると、明治神宮外苑は多くの施設を貸与して開催に協力しています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 東京都新宿区内藤町
- アクセス
- 東京メトロ新宿御苑前駅かJR千駄ヶ谷駅が近い
- 営業時間
- 10/1〜3/14:09:00〜16:00
3/15〜6/30、8/21〜9/30:09:00〜17:30
7/1〜8/20:09:00〜18:30 - 料金
- 500円
- 地図