北品川と品川神社
品川は、かつて品川を横断する目黒川が品川と呼ばれていたことに由来します。現在の北品川には中世に江戸湾の重要な港があり、江戸時代になると東海道五十三次の第一の宿場町である品川宿が整備され発展しました。
品川宿
品川宿は、江戸時代に参勤交代が制度化されたことで整備されました。北品川にある聖蹟公園は、参勤交代の大名が宿泊や休憩に利用し、大政奉還で京都から江戸に向かう明治天皇が休憩された品川宿本陣が置かれていました。かつては北品川と南品川に1軒ずつありましたが、江戸時代中期に南品川の本陣は廃止され、北品川のみになりました。
参勤交代の大名などが宿泊や休憩しました
江戸三大刑場の一つで20万人以上が処刑されました
慶安4年(1651年)には御仕置場として鈴ヶ森刑場が設置されました。この頃は戦国時代の終焉に伴い浪人が増加したことで、浪人による犯罪が増えていました。通行人が多い東海道沿いで死罪以上の刑が執行され、処刑された後をさらす刑場で見せしめによる犯罪防止を狙いました。鈴ヶ森刑場では明治4年(1872年)に廃止されるまで20万人以上が処刑されたと言われます。鈴ヶ森刑場は、日光街道の小塚原刑場、甲州街道の大和田刑場とともに江戸三大刑場と言われています。
品川神社
品川神社は東海道北品川宿の鎮守で江戸時代に流行した東海七福神巡りの一つに数えられます。文治3年(1187年)に源頼朝が海上交通の安全と祈願成就の守護神として安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請し品川大明神と称したことに始まり、元応元年(1319年)に北条高時の家臣である二階堂貞藤(道蘊)が産業の守護神として宇賀之売命を勧請し社地を吉端岡と名付けました。文明10年(1478年)には太田道灌が風水害、疫病、歌謡の守護神として素盞雄尊を勧請し、これらの三柱が祀られることになります。
七福神巡りは江戸時代に流行りました
鳥居の両柱に龍の彫刻が施されています
品川神社参道にある双龍鳥居には左柱に昇り龍、右柱に降り龍が彫刻されています。杉並区の高円寺と馬橋稲荷神社にある双龍鳥居と併せて東京三鳥居と云われています。鳥居自体は江戸時代末期に製作され北品川宿で栄えた料亭三徳屋の赤村徳次郎が大正14年(1925年)に寄進しています。社殿の前にある品川区指定文化財の小さな鳥居は下総佐倉藩主堀田正盛が慶安元年(1648年)に寄進した鳥居で、その奥に昭和39年(1964年)に新築された社殿があります。
社殿は昭和に建替えらえています
登ると富士詣と同じ効験があります
富士山を模した富士塚は高さ15メートルあります。ここを登ると富士山参拝と同等のご利益があるとされ明治2年(1869年)に築造されますが国道建設のため大正11年(1922年)に現在の場所に移築されました。その麓にある浅間神社は富士山の神で安産の神である木花咲耶姫命を祀ります。浅間神社の前にある石灯籠は慶安元年(1648年)に寄進されたもので品川区文化財に指定されています。
安産の神様が祀られています
麓にある霊泉は金運のパワースポットとして有名です
多くの奉納鳥居が並ぶ阿那稲荷神社は上社に天の恵みの霊を祀り、その麓にある下社に地の恵みの霊と霊泉を祀ります。一粒萬倍の泉と呼ぶ霊泉は百円玉を洗うといずれ百万円になると言われる金運のパワースポットで多くの芸能人も足を運ぶそうです。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒140-0001 東京都品川区北品川3丁目7−15
- アクセス
- 京急本線新馬場駅から徒歩5分
- 営業時間
- 24時間
- 料金
- 参拝無料
- 地図