琉球八社
琉球王国時代に琉球王府から特別な扱いを受けていた八つの神社を琉球八社と呼びます。琉球八社は波上宮、天久宮、沖宮、安里八幡宮、末吉宮、識名宮、普天間宮、金武宮となります。沖縄における熊野三山の権現信仰として、末吉宮は熊野新宮に普天満宮は熊野那智に、識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されていました。
波上宮
琉球の人々は海の彼方にいるニライカナイの神に豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈りました。波上宮の創建は不明ですが、波上宮がある崖は沖縄貝塚後期に波上洞穴遺跡があり太古から信仰の場でした。崖の上で人びとは拝所として祈りを捧げ、伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊を御祭神とする波上宮が建立されたと言われます。
琉球石灰岩の崖の上に本殿があります
沖縄らしい琉球瓦の拝殿が特徴的です
波上宮は琉球石灰岩の高い崖の上に鎮座しており、那覇港を出港した船舶は航路の平安と寄港した船舶の航海の感謝が捧げられました。1368年に薩摩国坊津の一乗院より頼重法印が来琉して、護国寺を建てて琉球国王の祈願所としました。1522年には琉球へ漂着してきた真言宗の僧侶日秀上人が再興して熊野信仰を広げたと伝えられます。1605年には袋中上人が琉球神道記に当国第一の神社と記しました。波上宮はなんみんの愛称で親しまれています。
沖宮
沖宮は、創建は定かではありませんが、1451年に主祭神を天受久女龍王御神、天龍大御神、天久臣乙女王御神とした神社との記録が残ります。もともとは琉球国王が那覇港で不思議に輝く古木を見つけ、航海の安全を祈願するために那覇埠頭に古木を祀る宮が建てられました。歴代琉球国王を始め市民から信仰を集めましたが、1908年に那覇埠頭の建造に伴い現在の地に移転されました。
那覇埠頭の建造で移転しました
天受久女龍王が鎮座する沖縄随一の霊峰です
境内には金運や芸能の神である弁財天や七福神が祀られる権現堂、十二支や仏様を祀る堂宇があり、社殿の裏側にある階段の上には沖縄随一の霊峰天燈山があります。天燈山は沖宮の主神である天受久女龍王が鎮座されているとの神の啓示があり、沖宮で最も神聖なところになります。
識名宮
識名宮は琉球国王尚元の長男の病気回復に霊験を得て識名宮と神応寺を建てたと言われています。古くは識名村は人家のない荒野でしたが、夜になると首里城から金城町石畳道を下る先にある洞穴から北斗七星と牽牛星の間に光が差していました。洞穴には仏陀の弟子である賓頭盧が祀られており、ここに識名宮が置かれました。
社殿は洞内にありましたが、湿気がひどく腐朽したため1680年に洞外に移築して瓦葺となりました。昭和20年(1945年)の太平洋戦争では識名宮の一帯が沖縄戦の激戦地となり焼失したため、昭和43年(1968年)に再建され、本宮に伊弉冉尊、相殿左に速玉男尊、右に事解男尊の御祭神が奉祀されています。
普天満宮
普天満宮は普天満権現とも呼ばれ普天間の洞穴に琉球古神が祀られたことに始まります。普天満宮洞穴は普天間女神、火の神(ヒヌカン)のほか沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地に伝わる理想郷ニライカナイの神様の3神が祀られています。
普天満宮には普天満女神の伝説が残ります。他人に顔を見られることを大変嫌がり、密かに生活を送る美しい娘は、妹の夫から姿を覗き見されてしまいました。娘は家を飛び出すと森や山を越えて普天間洞穴に吸い込まれるように消えていき、普天満宮の永遠の女神となりました。
末吉宮
末吉宮は、琉球国王尚泰久が統治していた1456年頃に天界寺鶴翁和尚が熊野三所権現を勧請して創建したと伝えられています。鶴翁和尚は夢に現れた熊野権現の神示に従い、古くから崎嶇嶃岩と呼ばれる霊地に熊野権現を祀ることを決め、同じ夢を見た国王の援助により大社が建立されました。
鶴翁和尚が神示に従い建立しました
明治以降に荒廃しましたが戦後に再建されました
明治時代の琉球処分により琉球王国が配されると無格社として荒廃しました。さらに昭和20年(1945年)の太平洋戦争の沖縄戦の砲撃で建物の礎石と柱2本と虹梁を残して飛散したため、昭和47年(1972年)に再建されました。
安里八幡宮
安里八幡宮は、第一尚氏7代尚徳により明成化2年/文正元年(1466年)に創建されました。尚徳は武勇に勝れた英明な王で、先王である尚泰久の遺志を継いで鬼界が島を遠征することにしました。尚徳は遠征の途中で安里に立ち寄ると、遠征の成功を祈念して鳥を射抜くことを宣言して、見事に一矢で射落としました。やがて喜界が島を征服すると、八幡大菩薩の加護であるとして安里八幡宮を建立しました。こうして安里八幡宮は、琉球八社で唯一八幡様を祀る神社となりました。
天久宮
天久宮は、女神伝説に基づいて建立されて言います。気高い女人が山上から中腹の泉から水が流れる小洞に降り立つのを見た銘苅村の翁子は、国王の臣下にそのことを伝えました。国王は虚実を確かめるため役人を洞窟に向かわせ香を供えると、香が自然に燃える不思議が現れました。のちに熊野権現の神託によりその女人は弁財天であることが告げられると、天久宮を建立して女人を祀りました。天久宮の社殿は昭和19年(1944年)の沖縄戦で消失しましたが、昭和47年(1972年)に再建されました。
金武宮
金武宮は金武観音寺の境内にある洞穴内に金武権現として祀られています。琉球八社に数えられますが、琉球王国との関わりに関する詳細な記録が無く、創建当初から現在に至るまで社殿が存在していません。