クスコ

クスコはインカの言葉でヘソを意味し、かつてはインカ帝国の首都でした。インカ帝国時代に建造された石造りの建物はスペイン占領下で石組みを残して全て破壊され、カトリック系の建物に建替えられました。ペルー沖の大地震で建物は壊滅しましたが、インカ時代の石組みはビクともしませんでした。
概要
- 面積
- 385.1km2
- 標高
- 3,399m
- 人口
- 42.8万 (2017年)
- 地図
歴史
アンデス山脈の高地にあるクスコは、インカ帝国の首都として繁栄しました。クスコはケチュア語でへそを意味し、インカ帝国において世界の中心と考えられていました。インカ帝国の政治、宗教、文化の中心地として繁栄しましたが、スペイン人に征服されて精巧な石組みのうえにスペイン風の建築物が建てられました。
インカ帝国
チチカカ湖で誕生したマンコ・カパックは、クスコに移動してインカ帝国の初代皇帝となりました。9代皇帝パチャクティは領土を拡大し、ペルーのほかエクアドルやアルゼンチン北部まで領土としました。首都クスコの中心には太陽神殿コリカンチャや宮殿が設けられ、東西南北の4地方にインカ道と呼ばれる幹線道路が伸びました。

12角の石
クスコの町は精巧な石垣が積み上げられました。12角の石はカミソリの刃を通さない石組で、巨大地震が起きても崩れることはありませんでした。

タンボマチャイ
聖なる泉と呼ばれるインカ時代の聖地で、王族の宿泊施設を兼ねた沐浴場と考えられています。絶えることなく水が流れ続けますが、水源は今も謎のままです。

ケンコー遺跡
インカ時代の宗教儀式が行われた遺跡と考えられています。遺跡の上部には生け贄の血を流してその流れで占いをした岩の窪みが残されています。

プカプカラ遺跡
クスコで最も高いところにある赤い要塞を意味する遺跡で、主要官道のインカ道近くにあることからクスコを守るための要塞と考えられています。

サクサイワマン遺跡
広大な広場にジグザグに石が並べられた神殿で、要塞としても機能していました。スペインの圧政に苦しんだインカの人びとが反乱の拠点にしました。
スペインの侵攻
スペインの征服者フランシスコ・ピサロは、1535年にクスコを占領してインカ帝国を滅ぼしました。インカの人びとは初めて見る白人のスペイン人を太陽神ヴィラコチャの使者として受け入れ、ピサロらスペイン人はクスコの町を見て石造の建築物や格子状の街路に驚愕したと言われます。インカを征服したスペイン人たちは、アルマス広場を中心とした町につくりかえ、クスコ大聖堂やサント・ドミンゴ教会などを建造しました。

クスコ大聖堂
1550年から100年かけてビラコチャ神殿の跡地に建てられた教会で、教会の祭壇には300トン以上の銀が使用されています。

クスコ大聖堂の最後の晩餐
マルコス・サパタが描いたクスコ大聖堂の最後の晩餐は、クスコの名物料理クイ(テンジクネズミ)の丸焼きを囲んでいます。

サント・ドミンゴ教会
太陽の神殿(コリカンチャ)を改装した教会で、神殿に祀られていた黄金の像や金の装飾は全て延べ棒に変えられて本国スペインに送られました。

サント・ドミンゴ教会
壁の窪みには黄金の像が祀られていました。残された石壁は精巧に積み上げられ、取り付けられた窓の先には次の壁の窓が続いています。