歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

マンシュ

フランス共和国・マンシュのモンサンミシェル

マンシュ県はフランスのノルマンディー地域圏にある県です。マンシュ県の東側の海岸は第二次世界大戦でノルマンディ上陸作戦が行われ、西部は修道院として建造されてフランスとイングランドの百年戦争で要塞として機能したモン・サン・ミシェルがあります。モン・サン・ミシェルは1979年に世界遺産に登録されています。

概要

面積
5,938 km2
標高
5 m
人口
49.26万 (2019年)
地図

特集

フランス・マンシュのモン・サン・ミシェル

モン・サン・ミシェルとその湾

聖オベールが大天使ミシェルからお告げを受けてモン・トンブに建造された修道院です。10世紀以降に要塞化して監獄としても使用されました。

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歴史

ケルト人が定住していたマンシュは、ノルマン人の一派が侵略してノルマンディ公国を建国しました。歴代のノルマンディ公は古くから聖地とされていた世界遺産モン・サン・ミシェルを大修道院にするなど保護しました。ノルマンディ公はイングランド王国の王位継承に名乗りを上げノルマン=コンクエストを成功すると、フランス王国と関係が悪くなり百年戦争へと発展しました。第二次世界大戦ではノルマンディ上陸作戦により激しい戦闘が行われました。

ノルマンディ公の成立

マンシュの周辺はケルト人が定住しており、マンシュ県の県庁所在地サン・ローはブリオウェレと呼ばれる町がありました。紀元前56年にローマのガリア遠征によりローマに征服されたあと867年にはブルターニュ王国の一部となり、890年に北方ゲルマン系ヴァイキングに占拠されました。ロロに率いられたヴァイキングのノルマン人一派は911年に西フランク王国に侵攻しました。西フランク王シャルル3世はキリスト教への改宗などを条件にセーヌ川下流域の定住を認めました。この地はノルマンディと呼ばれるようになり、ロロの子孫はノルマン貴族としてノルマンディ公と称しました。

フランス・マンシュのグランヴィル

グランヴィル

モン・サン・ミシェル湾に面した保養地で、北のモナコと言われる港町です。

フランス・マンシュのグランヴィル

グランヴィル

11世紀にはギヨーム2世の家臣がグランヴィルの町を築いてモン・サン・ミシェルを守る要塞としての役割を果たしました。

モン・サン・ミシェル

モン・サン・ミシェルは聖ミシェル(ミカエル)が司教オベールにお告げを与えて小島モン・トンブに造られた修道院です。ノルマンディー公リチャード1世はベネディクト修道会の修道士たちに与えて、10世紀から11世紀にかけて大修道院を建造しました。13世紀にフランス王国の支配下になるとフィリップ2世はモン・サン・ミシェルの増改築を行い、百年戦争では要塞としての役割を果たしました。ナポレオン1世の時代には牢獄にもなりましたが、

フランス・マンシュのモン・サン・ミシェル

オベールとミシェル

司教オベールが聖ミシェル(ミカエル)からのお告げを受けて、小島モン・トンブに造られたベネディクト修道会の修道院です。

フランス・マンシュのモン・サン・ミシェル

モン・サン・ミシェル

ノルマンディ公により大修道院となり、19世紀にフランスの歴史的建造物に登録され1979年には世界遺産に登録されました。

ノルマン=コンクェストの達成

1066年にイングランド国王エドワードが子供がいないまま亡くなり後継者問題が発生しました。エドワードは縁戚関係にあるノルマンディ公ギヨーム2世(ウィリアム)に王位を譲る約束をしましたが、妹をエドワードの妻としたイングランドの実力者ウェセックス伯ハロルドがイングランドの王位継承を主張して戦いとなりました。ギヨーム2世はヘイスティングズの戦いでハロルド王を破り、ウィリアム1世としてイングランド王に即位してノルマンコンクエストを達成しました。ノルマンディ公はフランス王に臣従しつつイングランドでは王として君臨することになります。

ギヨーム2世

ギヨーム2世

ヘイスティングズの戦いでハロルド王を破りウィリアム1世としてイングランド王となり、現在のイギリス王室として続いているノルマン朝を成立させます。

ハロルド王の戴冠式

ハロルド王の戴冠式

イングランドの王位継承を主張したウェセックス伯で、ヘイスティングスの戦いでギヨーム2世(ウィリアム1世)に敗れました。

百年戦争への発展

1087年にウィリアムが死去すると長子ロベールがノルマンディ公となり、イングランド王にはウィリアム2世が即位します。1100年にウィリアム2世が狩りで鹿に誤認されて撃ち抜かれて死去すると、弟のヘンリー1世がイングランド王に即位しました。これに反発したノルマンディ公ロベールはヘンリーを攻撃しますが、1106年に敗れてノルマンディは再びイングランドに併合されました。

フランスへの併合

ノルマンディはフランス内のイングランド王領として続きましたが、1204年にフランス国土の統一を目指すカペー朝フィリップ2世が侵攻してイングランド王リチャード1世と戦い、現在のチャンネル諸島を除いた一帯をフランスへ併合しました。さらにリチャード1世が死去してジョンが王位を継ぐと、婚姻問題に干渉してノルマンディを奪いフランス領に編入しました。1259年のルイ9世の時に正式にフランス領となりますが、やがて百年戦争に発展しました。

フィリップ2世

フィリップ2世

婚姻問題に干渉してノルマンディを奪いフランス領に編入し、カペー朝の王権を強大にする基礎を築きました。

リチャード1世

リチャード1世

プランタジネット朝イングランド2代目の王で、フィリップ2世と争いました。子のジョン王の時代にノルマンディはフランス領となりました。

第二次世界大戦から現在

ノルマンディは百年戦争で一時イングランド領となりましたが、フランスが取り戻して現在までフランス領となりました。1940年に勃発した第2次世界大戦ではドイツ軍に占領されたフランスを奪回すべく、1944年に連合軍がノルマンディー上陸作戦を決行しました。ドイツ軍陣地を攻撃目標として連合軍の空挺兵が地域に降下して激しい戦闘が行われ、県庁所在地サン・ローは連合軍の空襲を受けて破壊されました。

フランス・マンシュのノルマンディ

ノルマンディ

この地域はヨーロッパでも最大規模の潮汐があり最大18メートルの干満差があるため、干潮時にノルマンディ上陸作戦が行われました。

フランス・マンシュのノルマンディ

ノルマンディ

ノルマンディ上陸作戦に勝利した連合国はドイツを追い込みフランスは解放されました。ノルマンディにはドイツ軍が築いた塹壕が残ります。