チェンマイ
チェンマイはタイ北部の山岳地帯に位置する郡です。チェンマイは13世紀に成立したラーンナー王国の王都で、この地で育まれた文化はラーンナー文化と呼ばれています。
概要
- 面積
- 152.4km2
- 標高
- 310m
- 人口
- 23.42万 (2014年)
- 地図
歴史
13世紀にクメール帝国からラーンナー王国が離脱し、パヤオ王国やハリプンチャイ王国を併合してからチェンマイを王都としました。ここで育まれた文化はラーンナー文化と呼ばれています。毎日タイ最大級のナイトバザールが開催され、年に1度、仏陀に感謝を捧げるイーペンコムローイ祭りが開催されます。
ラーンナー王国の成立
8世紀から10世紀にかけて中国南部から移住してきたタイ人は、各地に散らばりながらスコータイに定住し、1238年にクメール帝国から独立してタイ人で初めての独立国家スコータイ王国を建国しました。チェンライを抑えていたクメール帝国傘下のングンヤーン王国も1262年にクメール帝国から離脱してラーンナー王国と名前を改め、チェンライを王都としました。
チェンマイ
タイ北部最大の都市です。
チェンマイ
郊外は豊沃な農地が広がります。
チェンマイ遷都
ラーンナー王国は、パヤオ王国やハリプンチャイ王国を併合すると、1296年に王都をチェンマイに移して統治を行うようになりました。こうしてタイ中部はスコータイ王国、タイ北部はラーンナー王国が支配することになり、これらの国は仏教を保護しました。
ドイ・ステープ寺院
インドから釈迦の骨(仏舎利)をはるばる運んできた白象が息絶えた地と言われ、1383年にラーンナー王国クーナ王が寺院を建立しました。
ドイ・ステープ寺院
高さ約22メートルの黄金に輝く仏塔には仏舎利(仏陀の遺骨)が納められ、今も多くの仏教徒から篤い信仰を集めています。
ワット・チェディルアン
1391年にラーンナー王国第7代セーンムアンマーが亡き父を偲んで建立したと言われ、チェンマイ旧市街のワット・プラシンと並ぶ格式の高さを誇ります。
ワット・チェディルアン
王都の繁栄のために建造されたチェンマイ最大の仏塔で、麓には5つの頭を持つ8基のナーガの彫刻があり、中腹にはゾウの彫刻が一列に並びます。
ラーンナー王国の衰退
スコータイ王国が衰退すると、タイ南部にアユタヤ王国が建国されて勢力を拡大していきます。アユタヤ王国は1438年にスコータイ王国を併合し、その北にあるラーンナー王国も1441年から1474年まで断続的に攻め込まれました。ラーンナー王国は荒廃し宮廷内部の権力闘争で弱体化し、1558年にビルマ・トーングー朝の侵攻によりチェンマイは陥落、ラーンナー王国はビルマ支配下に置かれました。
城壁と堀
王都の防衛として城壁と堀で囲まれます。
ターペー門
チェンマイで最大の通りにある城壁です。
ナイトバザール
東南アジアの各地では夕方から深夜にかけてナイトバザールが開催されています。特にチェンマイのナイトバザールはタイ最大級と言われ、チャンクラン通りに出店の列が出来上がります。中心近くにあるアヌサーン市場は、日本の盆踊りのように祭のような賑わいです。
チャンクラン通り
通りにたくさんの出店が並び、商品に値段は書かれていません。商品を購入するために値切り交渉するのも楽しみのひとつになります。
アヌサーン市場
市場には飲食店などが並び、夕飯を食べることもできます。露店のマッサージ店などもあり、多くの人で賑わう様子は盆踊りのようです。
イーペンコムローイ祭り
11月にチェンマイ全土で開催されるイーペンコムローイ祭りは、コムローイと呼ばれるランタンを空に向けて解き放ち天上のブッダに感謝します。塔の上のラプンツェルのモデルになり、ランタンが生む幻想的な光景を見るために世界中から多くの観光客が訪れます。
イーペンコムローイ祭り
タイ語でロイは流す、クラトンは灯篭を指します。日本で言えば燈籠流しと似ていて、川に流すのではなく空に流すようなものです。
イーペンコムローイ祭り
蝋燭の灯で上昇気流を生み上空へと舞い上がります。無数の燈籠が暗闇の中に浮かび、無数のランタンが暗い夜空に浮かぶのは幻想的だと思います。