歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

アユタヤ

タイ・アユタヤのワット・ラチャブラナ

アユタヤは、1350年にウートン王によって建都されてから1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年の間アユタヤ王朝の都として栄えました。チャオプラヤ川とその支流に囲まれた地形は水運に恵まれ17世紀はじめにはヨーロッパと東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄しました。

概要

面積
14.84km2
標高
5m
人口
5.083万 (2020年)
地図

歴史

アユタヤ王朝は、14世紀にチャオプラヤ川中流に建国しました。王宮が置かれたアユタヤは、チャオプラヤ川から海洋に進出して外国と交易を行う国際交易都市として繁栄し、日本からも朱印船貿易で日本人町が築かれ、山田長政などはアユタヤの傭兵として活躍しました。アユタヤは400年も長きに渡り栄華を誇りましたが、18世紀にビルマ・コンバウン朝の侵攻により滅亡しました。

アユタヤ王朝の成立

1351年にチャオプラヤ川中流のアユタヤを中心にウートン王がアユタヤ朝を出現させました。スコータイ朝を併せビルマやカンボジアとも争い、1431年にはカンボジアのアンコール朝の都アンコールを占領して領土を広げました。

タイ・アユタヤのウートン王像

ウートン王

アユタヤ王朝を建国しました。

タイ・アユタヤのアユタヤ王宮跡

アユタヤ王宮跡

かつてアユタヤ王宮がありました。

タイ・アユタヤのワット・プララーム

ワット・プララーム

1369年に第2代ラームスエン王が建てたクメール様式の7つの礼拝堂がある寺院で、初代ウートン王が造営したブン・プラ・ラーム池の近くにあります。

タイ・アユタヤのワット・プララーム

ワット・プララーム

ウートン王の葬儀が営まれて遺骨が納められました。1767年にビルマの侵略で完全に破壊され、ほぼ全ての仏像の首が切り落とされました。

タイ・アユタヤのワット・プラ・シーサンペット

ワット・プラ・シーサンペット

アユタヤ王宮の付属寺院で、1491年に建立されて1500年には高さ16メートルの黄金に覆われた仏像も建立されました。

タイ・アユタヤのワット・プラ・シーサンペット

ワット・プラ・シーサンペット

王の礼拝堂として王族の儀式に使用され、3人の王の遺骨が納められました。ビルマの侵攻で破壊され、セイロン様式の仏塔(チェディ)が残ります。

アユタヤ王朝の繁栄

このころのタイ人の国家はシャムと呼ばれていました。1569年にはビルマのタウングー朝に侵攻され15年間その支配を受けましたが、16世紀末には独立を回復すると逆にビルマに侵攻しています。

タイ・アユタヤのワット・ラチャブラナ

ワット・ラチャブラナ

1424年に8代国王ボロムラーチャー2世が、王位継承争いで倒れた二人の兄を火葬して弔うために建立した寺院です。

タイ・アユタヤのワット・ラチャブラナ

ワット・ラチャブラナ

訪れた王は必ず死ぬという伝承により歴代国王は訪れることはなく、ビルマ侵攻でも破壊されることなく精細な彫刻が当時のまま残されました。

タイ・アユタヤのワット・ラチャブラナ

タイ最古のフレスコ画

大仏塔内部の真下には、王位継承争いで命を落とした王子が葬られた石室があり、15世紀のフレスコ画がわずかに残ります。

タイ・アユタヤのワット・ラチャブラナ

タイ最古のフレスコ画

アユタヤが滅亡して手つかずのまま放置され、東南アジアの湿度の高い環境でもタイ最古のものと言われる壁画が残されています。

タイ・アユタヤのワット・ラチャブラナ

発見されたレリーフ

1767年にビルマ軍はアユタヤの町を完全に破壊しましたが、ワット・ラチャブラナ内部の地下石室には手を付けず財宝が残されました。

タイ・アユタヤのワット・ラチャブラナ

発見されたレリーフ

1957年に多数の仏像や金工芸品が略奪されましたが、その後の発掘でさらに多くの貴重な仏像が発見されています。

アユタヤと日本人

アユタヤはチャオプラヤ川を通じた国際交易都市として栄えました。17世紀にはポルトガルやオランダ、中国との交易のほか、朱印船貿易で日本人も訪れて日本町が作られました。タイの日本人はビルマとの戦闘にも参加して山田長政などが活躍してアユタヤ王朝から爵位をもらいました。

タイ・アユタヤのムアンボーラーン

ムアンボーラーン

初期アユタヤ王宮を忠実に再現しています。

タイ・アユタヤの日本人義勇軍行進図

日本人義勇軍行進図

アユタヤ日本人町の山田長政が活躍しました。

アユタヤ王朝の滅亡

1767年にビルマ・コンバウン朝はアユタヤに侵入し、長期戦のうえアユタヤは破壊されてアユタヤ朝は滅亡しました。ビルマ軍はワット・ナープラメーンを拠点としたため、奇跡的に破壊を免れました。

タイ・アユタヤのワット・ナープラメーン

ワット・ナープラメーン

13世紀にアユタヤ王宮跡の北側対岸にある王の火葬場に建てられた寺院で、ビルマ軍のアユタヤ侵攻でビルマ軍が拠点としました。

タイ・アユタヤのワット・ナープラメーン

ワット・ナープラメーン

ガルーダに乗るヴィシュヌ神のレリーフなどが当時のまま残されていましたが、激しき損傷していたため、15世紀にラーマ4世が修復しました。

アユタヤの遺跡

タイ・アユタヤのワット・マハタート

ワット・マハタート

1369年頃に2代目ラームスエンが建てたとする説と1374年に3代王ボロムラーチャー1世が建立した説があるアユタヤ王国の重要な寺院です。

タイ・アユタヤのワット・マハタート

ワット・マハタート

仏陀の遺骨や遺灰を祀る仏塔(チェディ)は塔の上が黄金に輝いていました。1633年に高さ50メートルの塔に修復されました。

タイ・アユタヤのワット・マハタート

ワット・マハタート

1767年にビルマ軍が侵攻してアユタヤの町を徹底的に破壊しました。残されている壁にある彫像は顔を削ぎ落とされました。

タイ・アユタヤのワット・マハタート

ワット・マハタート

ビルマ軍は仏像の頭部を全て切り落として、アユタヤは廃墟となりました。現在は基部とその周囲が残るのみです。

タイ・アユタヤのワット・マハタート

根に覆われた仏像

完全に木の根と仏像の頭部が融合しており、世界でもここにしかなく、現在も現地の人たちが花束や線香を供えて篤く敬います。

タイ・アユタヤのワット・マハタート

根に覆われた仏像

切り落とされた仏像の頭部は地面に落ちて放置されていましたが、長い年月で木の根が持ち上げ、奇跡的に木の根に覆われた仏像が完成しました。

タイ・アユタヤのワット・ロカヤスタ

ワット・ロカヤスタ

アユタヤ西方にある全長28メートル、高さ5メートルの巨大な涅槃像で、ワット・ロカヤ・スターラームとも呼ばれます。

タイ・アユタヤのワット・ロカヤスタ

ワット・ロカヤスタ

1956年にタイ芸術局が復興されたもので、現在でも大事に扱われて胴体には黄色い布が掛けられています。