歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

ジャイプル

インド・ジャイプルのジャンタル・マンタル

ジャイプルはラージャスターン州の州都で、1728年にアンベール王国君主ジャイ・シング2世が建設しました。インドの伝統工業の中心地で金銀・象牙細工、宝石の研磨加工、絨毯、更紗などの織物製品で知られます。1876年にイギリスのヴィクトリア女王の息子アルバート王子に歓迎の意を示すため、市街がピンク色に飾られたことでピンクシティと呼ばれています。

概要

面積
200.4km2
標高
432m
人口
3,324,319人 (2005年)
地図

歴史

ラージプート王朝のひとつアンベール王国が支配しました。アンベール王国はムガル帝国に臣従しましたが、イギリスが支配を進めるとイギリスにも臣従して自治権を認められました。ヴィクトリア女王の息子アルバート王子が訪問するときにサーモンピンクに染められ、ピンクシティと呼ばれるようになりました。

アーリア人とカースト制

紀元前1500年頃にインドにアーリア人が侵入して、紀元前1000年頃にはガンジス川流域に住むようになりました。アーリア人はバラモン教を基盤とし、バラモンを頂点とする身分制度ヴァルナを生み出し、現在も根強いカースト制度に基づいた統治を行いました。紀元前600年頃にガンジス川流域の16大国は覇権を争うようになると、バラモンを頂点とするバラモン教に不満を持つようになり、この頃からカースト制を否定したジャイナ教や仏教が広まりました。

インド初の統一国家

紀元前4世紀にマケドニアのアレクサンドロス大王がインドに勢力を伸ばしました。マケドニア軍はわずか2年でインドから撤退しますが、これを契機にインドでひとつの王朝を形成する動きが進みました。紀元前317年頃にチャンドラグプタがマウリヤ朝を建国し、磨崖碑や仏塔の建立や仏典の結集など仏教を保護したアショカ王の時代に最盛期を迎えました。

ラージプート時代

紀元前2世紀にマウリヤ朝が滅亡して小国が乱立する時代を迎えますが、320年頃にチャンドラグプタ1世が小国を制圧してグプタ朝を成立しました。グプタ朝ではゼロの概念の誕生など学問が発展し、4世紀頃にバラモン教と民間信仰が融合してヒンドゥー教が生まれました。590年にグプタ朝が滅亡してハルシャ・ヴァルダナ朝が建国しますが、バクティ運動でヒンドゥー教が浸透したこともあり、647年に1代で滅んでヒンドゥー教を基盤とする小国が乱立しました。

アンベール王国

カチワーハ家のアンベール王国は、ラージプートの中でも特に有力な勢力でした。1562年にアンベール王ビハーリー・マルは、ムガル帝国3代皇帝アクバルに臣従を申し入れて娘を嫁がせました。これを皮切りにアクバルはアンベール王国をはじめとするラージプート諸国を傘下にしていきました。

インド・ジャイプルのアンベール城

アンベール城

1592年にマーン・シング1世が砦の改築を行いアンベール城を築城し、1727年にジャイプルに遷都されるまで城の改修は続けられました。

インド・ジャイプルのアンベール城・ガネーシャ門

ガネーシャ門

アンベール城内の宮殿の入口にある門で、ヒンドゥー教の神様ガネーシャが描かれています。ヒンドゥー教とイスラム教が融合した世界一美しい門と言われます。

インド・ジャイプルのアンベール城・シーシュ・マハル

シーシュ・マハル

貴賓謁見のために築かれた勝利の間は、室内を明るくするため天井や壁一面に小さな鏡を散りばめていたため、鏡の間とも呼ばれました。

インド・ジャイプルのアンベール城・ザナーナ・マハル

ザナーナ・マハル

イスラム教における女性専用の居住区域であるハーレムで、女性が生活する神聖な場所とされ、近親者以外の男性は立ち入ることができませんでした。

アンベール王国のジャイプル遷都

アンベール王国の首都アンベールで人口増加や水不足が顕著となると、1727年にジャイ・シング2世がジャイプルを建造して首都を遷しました。ジャイプルは城壁に囲まれたジャイの町を意味し、高さ6メートル、総延長10キロに及ぶ城壁で囲まれました。

インド・ジャイプルのシティ・パレス

シティ・パレス

ジャイ・シング2世が1733年に建てた宮殿で、現在でも一部で王族が暮らしています。貴賓謁見所ディワニ・カースには世界最大の銀製品の甕が展示されています。

インド・ジャイプルのジャンタル・マンタル

ジャンタル・マンタル

ジャイ・シング2世が1728年から1734年にかけて建造した天文台で、観測儀により太陽の高さや位置などが計測できます。

インド・ジャイプルのジャル・マハル

ジャル・マハル

ジャイ・シング2世が18世紀半ばに建造した宮殿で、夏の避暑地や狩猟用の離宮として使用されていましたが、王族の娯楽の場として利用されるようになりました。

インド・ジャイプルのハワー・マハル(風の宮殿)

ハワー・マハル(風の宮殿)

1799年にアンベール王国の君主プラタープ・シンが建てた宮殿で、姿を見られることを禁じられていた宮廷の女性達が透かし彫りの出窓から町を眺めました。

イギリス植民地時代

イギリスがインドの大部分を植民地化すると、藩王マハラジャはイギリスに対して一定の税金を納め、自治権を保証されていました。1876年にヴィクトリア女王の息子アルバート王子がインドを訪問すると、ラーム・シングが王子を歓迎するために街全体をサーモンピンク色に染めました。

インド・ジャイプル市街

ジャイプル市街

アンベール王国君主ジャイ・シング2世が建造したジャイの町で、ラーム・シングが旧市街の城壁や建物の外壁をピンク色にすることを命じました。