歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

シュラバスティ

インド・シュラバスティのサヘート・マヘート

シュラバスティは、古代インドのコーサラ国の首都である舎衛城にあたる場所と言われます。仏教の八大聖地であるサヘート・マヘートは、サヘート遺跡が祇園精舎でマヘート遺跡が舎衛城を意味するシュラバスティと言われ、多くの仏教遺跡が残されています。

概要

面積
不明
標高
不明
人口
不明
地図

歴史

古代インドのガンジス川流域では、コーサラ国が大きな勢力を誇りました。紀元前5世紀に釈尊が仏教を開くと、コーサラ国にも伝わり祇園精舎を中心に布教が進められました。コーサラ国は強大な勢力を誇りましたが、マガダ国との覇権争いに敗れて滅亡しました。

アーリア人とカースト制

紀元前1500年頃にインドにアーリア人が侵入して、紀元前1000年頃にはガンジス川流域に住むようになりました。アーリア人はバラモン教を基盤とし、バラモンを頂点とする身分制度ヴァルナを生み出し、現在も根強いカースト制度に基づいた統治を行いました。

コーサラ国の繁栄と滅亡

紀元前600年頃にガンジス川流域の16大国が覇権を争うようになると、バラモンを頂点とするバラモン教に不満を持つようになりました。コーサラ国はシュラバスティ(舎衛城)を首都としてベナレスの経済力を背景に強力な軍隊をつくり、シャカ族など周辺の共和制都市国家を支配下に置いてマガダ国と領土争いを繰り広げました。マガダ国ビンビサーラ王の跡を継いだアジャータシャトル王は、コーサラ国を制圧してベナレスなどを併合しました。紀元前4世紀中頃のマガダ国ナンダ朝は強大な軍隊を持ち、貨幣経済が浸透してビルマやセイロンと交易を行いました。

祇園精舎の建立

コーサラ国の富豪スダッタは、マガダ国の竹林精舎で釈尊の説法を聞き、祖国コーサラ国に釈尊を招くため祇園精舎の建立を決意しました。スダッタはコーサラ国ジェーダ王子の果樹園を求め、執拗なスダッタに対し黄金を敷き詰めたら土地を譲ると約束しました。スダッタは全ての財産を金貨に変えて敷き詰め、一心で金貨を敷き詰めていきました。熱意に負けたジェーダ王子は無償で果樹園を譲り、精舎を建てて釈尊に寄進しました。この精舎はジェーダ王子の祇多太子とスダッタ長者の給孤独尊者から祇樹給孤独園と名付けられ、略して祇園精舎と呼ばれました。

アングリマーラ

バラモンに師事して修行を積んでいたアヒンサカは、師の妻からの誘惑を拒否したことで恨まれました。師の妻はアヒンサカから乱暴を受けたと訴え、師はアヒンサカに人を殺めて指で首輪をつくる呪いをかけました。アヒンサカは呪いにより人の指を集めていき、人びとは指の首輪アングリマーラと恐れました。アヒンサカは99本の指を集めてあと1人としますが、釈尊は最後の1人が母親であることを察しました。最後の一人として現れた釈尊はアヒンサカを改心させ仏弟子となりました。

インド・シュラバスティの祇園精舎

祇園精舎

5世紀初めに中国から法顕が訪れたときは塔や美しい庭園がありましたが、7世紀前半に玄奘三蔵が訪れたときは建物は壊されて礎石だけしかありませんでした。

インド・シュラバスティの祇園精舎僧院跡

祇園精舎僧院跡

祇園精舎には香堂跡や僧院跡、沐浴場なども整備されており、かつては千人を超える僧侶たちが釈尊のもとで修業していたようです。

インド・シュラバスティの祇園精舎

祇園精舎

釈尊は祇園精舎を大変好まれて、45年のうち25回の夏安吾をここで過ごしました。釈尊の母君である摩耶夫人に説法されるため、ここから天上界に昇られたとも言われます。

インド・シュラバスティの祇園精舎香堂跡

祇園精舎香堂跡参拝

香堂跡は釈尊が生活していたところと言われています。釈尊は祇園精舎と竹林精舎に滞在しながら、王族や貴族のみならず一般大衆にも仏法を伝えました。

インド・シュラバスティのスダッタ長者の屋敷跡

スダッタ長者の屋敷跡

スダッタ長者は孤独者や貧しい者に食事を施したことから給孤独尊者と呼ばれていました。竹林精舎で釈尊の説法を聞き、コーサラ国に迎えるため祇園精舎を寄進しました。

インド・シュラバスティのアングリマーラの屋敷跡

アングリマーラの屋敷跡

呪いで人を殺め続けたアヒンサカは、釈尊の下で修行を積み阿羅漢になりました。殺人を犯しても悔い改めて修行を積めば悟りを得られる例として伝えられています。

マウリヤ朝アショカ王

紀元前317年頃にチャンドラグプタがマウリヤ朝を建国し、磨崖碑や仏塔の建立や仏典の結集など仏教を保護したアショカ王の時代に最盛期を迎えました。アショカ王は東インドのカリンガ国との戦いで数十万の犠牲者を出したことに後悔し、仏教に深く帰依して王子をスリランカに派遣するなど仏教の普及に務めました。

グプタ朝の繁栄

紀元前2世紀にマウリヤ朝が滅亡して小国が乱立する時代を経て、320年頃に小国を制圧したチャンドラグプタ1世がグプタ朝を成立させました。グプタ朝ではゼロの概念の誕生など学問が発展し、4世紀頃にバラモン教と民間信仰が融合してヒンドゥー教が生まれました。590年にグプタ朝が滅亡してハルシャ・ヴァルダナ朝が建国しますが、バクティ運動でヒンドゥー教が浸透したこともあり1代で滅び、ヒンドゥー教を基盤とする小国が支配することになります。

イスラム勢力の侵攻

750年頃にガンジス川一帯を支配するパーラ朝が成立しました。995年にマヒ―パーラ1世が即位してベナレスまで勢力を拡大しますが、1025年にチョーラ朝がパーラ朝を破りました。パーラ朝は衰退して、1193年にゴール朝ムハンマドの侵略により滅亡しました。