ホイアンの中華系建造物群

海洋交易で栄えたホイアンは、中国人などの多くの商人が訪れて外国人居留区が設けられました。中国明朝が滅亡すると中国から多くの人がホイアンに移り住み、貿易の実権を握り中国文化を取り入れました。ホイアンの町は1999年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
国際交易都市ホイアン
チャンパ王国時代から交易の拠点となるホイアンは、日本や中国のほか、イスラム商人なども訪れる東西交易の重要拠点として繁栄しました。中国・明朝の支配を脱して建国した黎朝は、1471年にホイアンを支配下にして外国との貿易を保護するため外国人居留区を整備しました。

ホイアン旧市街
外国商人たちはホイアンのことをファイ川の河口からファイフォと呼びました。黎朝は外国との貿易を保護するため外国人居留区を整備し、日本人町も形成しました。

日本橋(来遠橋)
中国、ベトナム、日本の建築様式が融合した独特なデザインの屋根付き橋です。現在使用されているベトナムの紙幣の絵柄にも採用されています。
ホイアンと中国文化
17世紀末に中国・明朝が滅ぶと、多くの中国人はグエン家が統治している中部ベトナムに移住してきました。中国人たちは貿易の実権を握り、ホイアンには中国文化が根付いて行きました。交易で財を成した中国人たちは家屋を設け、コミュニティの場として会館を建てました。

ホイアン旧市街
幕府の鎖国令で退去した日本人に代わり中国人が住むようになり、次第に中国人商人が貿易の実権を握るようになりました。

ホイアン旧市街
中国人たちは中国を懐かしむためにランタンを使い、現在では家族の健康や願いが叶うようにランタンを照らしたり、川に燈籠を流すようになりました。
中華系会館
ホイアンに移り住んだ中国人たちは、中国人同士の交流を深めるため会館を設けました。会館はもともと祈りを捧げる寺院でしたが、人びとが集まり談笑する憩いの場となりました。

福建会館
17世紀にホイアンに移住して財を成した福建省出身の家族が寺院として建てたのがはじまりで、同郷の人たちの集会所としても使われます。

天后聖母
渦巻状の線香が天井からぶら下がり、その奥には航海の安全を祈願するために道教の女神である天后聖母が祀られています。

中華会館
1773年に福建、潮州、海南などの5つの省人会が共同で使用するために造られました。

海南会館
1851年にホイアン近海で殺害された108人の海南島出身の商人の鎮魂を目的に建てられました。

潮州会館
海洋交易により財を成した潮州出身の華僑は、1845年に福建会館と同様に航海安全を祈願する天后聖母を祀るために創建しました。

関公廟
1653年に建てられた中国様式の小さな寺院で、三国志に登場する関羽が祀られ、霊廟の左側は側近の周倉、右側は関平が守ります。
中国商人の民家
中国商人は交易で財を成してホイアン伝統家屋で生活をしました。精巧な彫刻が施された格子や亀甲形の天井など優美な装飾が施されています。

クアンタンの家(均勝號)
旧市街の現存する建物で最も古いとされる300年ほど前に建築された家屋です。平屋の代表的な建築様式で中国・福建省出身の商人が建てました。

クアンタンの家(均勝號)
海洋交易で財を成した華僑の家屋で、現在も人が生活しています。中庭では昼食の仕込みをしていました。
ホイアンの破壊
18世紀後半に西山にいた阮(グエン)氏が蜂起し、1778年に独立政権を建てました。広南阮氏の阮福暎はフランス人ピニョーの援助を得て、1802年に西山阮朝を滅ぼして阮朝を建てました。この争いでホイアンの町は破壊され、裕福な中国人商人はサイゴンに移りました。

陳祠堂
19世紀に華僑が建てた阮(グエン)朝の官吏の霊廟で、先祖礼拝する祠堂は日本、中国、ベトナムの建築様式が融合しています。