歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

ホイアンの中華系建造物群

ベトナム・ホイアンの福建会館

海洋交易で栄えたホイアンは、中国人などの多くの商人が訪れて外国人居留区が設けられました。中国明朝が滅亡すると中国から多くの人がホイアンに移り住み、貿易の実権を握り中国文化を取り入れました。ホイアンの町は1999年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

ホイアンと中国文化

古くから海洋交易が盛んなホイアンは、東西貿易の重要な拠点で中国からも多くの商人が訪れていました。17世紀末に中国・明朝が滅ぶと、多くの中国人がグエン家が統治している中部ベトナムに移住してきました。

ホイアンの破壊

1593年に日本人により建造された日本橋は、1653年に寺院としての性質が追加され、地元の人たちは屋根付きの橋と呼びました。1719年に阮福は、遠いところから迎え入れる橋として来遠橋と名付けました。18世紀後半には西山家の蜂起によりホイアンの町は破壊され、裕福な中国人商人はサイゴンに移りました。

ベトナム・ホイアン旧市街

ホイアン旧市街

幕府の鎖国令で退去した日本人に代わり中国人が住むようになり、次第に中国人商人が貿易の実権を握るようになりました。

ベトナム・ホイアン旧市街

ホイアン旧市街

華僑は同郷の華僑のコミュニティの場として、たくさんの会館を建てて交流を保ちました。

ベトナム・ホイアン旧市街

ホイアン旧市街

華僑が多く住んだため、旧市街には漢字が書かれた家屋が並んでいます。

ベトナム・ホイアン旧市街

ホイアン旧市街

中国人たちは中国を懐かしむためにランタンを使い、現在では家族の健康や願いが叶うようにランタンを照らしたり、川に燈籠を流すようになりました。

福建会館

ベトナム・ホイアンの福建会館

福建会館

17世紀にホイアンに移住して財を成した福建省出身の家族が寺院として建てたのがはじまりで、同郷の人たちの集会所としても使われます。

ベトナム・ホイアンの福建会館_天后聖母

天后聖母

渦巻状の線香が天井からぶら下がり、その奥には航海の安全を祈願するために道教の女神である天后聖母が祀られています。

中華会館/海南会館/潮州会館

ベトナム・ホイアンの中華会館

中華会館

1773年に福建、潮州、海南などの5つの省人会が共同で使用するために造られました。

ベトナム・ホイアンの海南会館

海南会館

1851年にホイアン近海で殺害された108人の海南島出身の商人の鎮魂を目的に建てられました。

ベトナム・ホイアンの潮州会館

潮州会館

海洋交易により財を成した潮州出身の華僑は、1845年に航海安全を祈願する神を祀るために創建しました。

ベトナム・ホイアンの潮州会館

潮州会館

奥の祭壇には福建会館と同様に航海の安全を祈願する天后聖母が祀られています。

クアンタンの家(均勝號)

ベトナム・ホイアンのクアンタンの家(均勝號)

クアンタンの家(均勝號)

旧市街の現存する建物で最も古いとされる300年ほど前に建築された家屋です。平屋の代表的な建築様式で中国・福建省出身の商人が建てました。

ベトナム・ホイアンのクアンタンの家(均勝號)

クアンタンの家(均勝號)

海洋交易で財を成した華僑の家屋で、現在も人が生活しています。中庭では昼食の仕込みをしていました。

関公廟/陳祠堂

ベトナム・ホイアンの関公廟

関公廟

1653年に建てられた中国様式の小さな寺院で、三国志に登場する関羽が祀られ、霊廟の左側は側近の周倉、右側は関平が守ります。

ベトナム・ホイアンの陳祠堂

陳祠堂

19世紀に華僑が建てたグエン朝の官吏(役人)の霊廟で、先祖礼拝する祠堂は日本、中国、ベトナムの建築様式が融合しています。