グアダルーペの奇跡
メキシコは世界で第2番目にカトリックが盛んな国です。スペインが入植してキリスト教を布教しましたが、土着信仰が根付いていた現地人インディオには簡単に普及しませんでした。そのような時にグアダルーペの聖母マリアの奇跡が起こりカトリック改宗を促進する1つの要因となりました。メキシコのカトリック教会では江戸時代の日本人も訪れて洗礼を受けています。
メキシコとキリスト教
メキシコのカトリック教会はスペインの入植に始まります。1492年にコロンブスが太平洋を横断して西インド諸島に到達すると、スペイン人による侵略が始まりました。スペイン人エルナン・コルテスは圧倒的な火砲と騎兵で1521年に首都を制圧してメキシコシティを建設するとともに宣教師たちによるキリスト教の布教活動を行いました。
キリスト教の普及
植民地時代の当初は、洗礼を受けてカトリック信者になるインディオは多くありませんでした。スペイン人たちは改宗に抵抗するインディオは虐殺するなど強制的に改宗させて土着信仰の撲滅を進めました。現在8割以上がカトリック信者で世界で2番目にカトリック教徒を抱える国になりますが、これほどカトリックが浸透した要因の1つはグアダルーペの聖母マリア出現の奇跡によると考えられます。
メトロポリタン大聖堂
木造の小さな教会から始まり、250年かけてアメリカ大陸で最大規模の大聖堂に建替えられました。
グアダルーペ寺院
グアダルーペの聖母マリア出現の奇跡の舞台です
グアダルーペの奇跡
1531年、メキシコシティ郊外のグアダルーペに住んでいたファン・ディエゴは、カトリックの洗礼を受けて日が短いインディオでした。ある日、ディエゴはメキシコシティ郊外にあるテペヤック丘を歩いていたときに聖母マリアが現れて、ここに教会を建てるように司教にお願いするよう伝えました。ディエゴはヌエバ・エスパーニャ司教ファン・デ・スマラガに会いこのことを伝えますが、司教は一介のインディオの話など信じずに追い返しました。ディエゴは再び丘に戻り聖母マリアに伝えると、丘に咲く花を集めて来るように頼まれます。ディエゴは何もない丘を捜し歩き、やがてバラが咲いているのを見つけると、ティルマと呼ばれる大きなマントを脱いでバラを集めました。
聖母マリア出現の奇跡
ディエゴはたくさんのバラを集めたティルマを聖母マリアに捧げると、そのマントを司教の前で広げるように伝えました。ディエゴは司教に会いマントを開くと、バラがこぼれ落ちるとともにマントに聖母マリアの姿が浮かび上がりました。聖母マリアが映し出されたティルマは450年経過しても色褪せていません。グアダルーペ寺院は、フランス・ルルド、ポルトガル・ファティマとともに聖母マリア三大出現地の一つに数えられ、バチカンに次いで世界で2番目に多くの参拝者が訪れるカトリックの聖地となりました。
グアダルーペ丘
聖母マリアが出現してファン・ディエゴに教会を建てるよう伝えた丘です。
ファン・ディエゴ
ファン・ディエゴがティルマに包んだバラを聖母マリアに捧げているシーンです。
聖母のティルマ
聖母が映し出されたティルマ(マント)はグアダルーペ寺院に大切に祀られています。
グアダルーペ寺院
メキシコではカトリック信者が増えて、グアダルーペ寺院はバチカンに次いで参拝者が多い寺院となりました。
支倉使節団
伊達政宗の命を受けた支倉常長は、1613年から1620年にかけて世界を旅しました。慶長遣欧使節と呼ばれる支倉使節団は、キリスト教を世界に広めようとするスペインと交易を行うため、日本から太平洋と大西洋を横断してスペイン国王やローマ教皇に会うことが目的でした。1614年にメキシコ・アカプルコにたどり着いた支倉常長は、陸路でメキシコシティに向かいメトロポリタン大聖堂を訪れました。
メトロポリタン大聖堂
メトロポリタン大聖堂は、幅59メートル、長さ128メートル、高さ67メートルのアメリカ大陸最大規模の大聖堂です。アステカ帝国を滅亡に追い込んだスペインのエルナン・コルテスの命により1573年に建設が始められ、建設開始から300年を経た1818年に完成しました。メトロポリタン大聖堂では支倉常長の家臣60名が洗礼を受け、その後スペインやローマに向かいスペイン国王フェリペ3世、法王パウロ5世に謁見しています。
メトロポリタン大聖堂
エルナン・コルテスの命により建てられて1818年に完成したアメリカ最大級の大聖堂です。
メトロポリタン大聖堂
江戸時代初期に伊達政宗の家臣である支倉常長が訪れ、その家臣が洗礼を受けました。