メリダ
マヤ文明による独自の文化が花開いていたメリダは、マヤ人からティホと呼ばれていましたが、16世紀にスペインの支配下におかれてモンテホにより町が作り替えられました。街には現在も古代マヤの遺跡が多くあり、マヤの末裔が多く暮らしています。
概要
- 面積
- 22,500km2
- 標高
- 2,220m
- 人口
- 1,699万 (2030年)
- 地図
特集
マヤ遺跡とチチェン・イッツァ
熱帯の大地で農耕を営む人たちは今から2000年前にアメリカ大陸の中央部にマヤ文明と呼ばれる高度な文明を築き上げました。
歴史
メリダはマヤ文明による独自の文化が花開いており、マヤ人からティホと呼ばれていました。16世紀にスペインの支配下におかれると、モンテホは町を作り替えました。街には現在も古代マヤの遺跡が多くあり、マヤの末裔が多く暮らしています。
メリダの町の造営
メリダはマヤ人からティホと呼ばれていました。16世紀にスペイン人が入植すると、フランシスコ・モンテホはスペインの田舎町メリダから名前を取り1542年にメリダと改名しました。こうしてモンテホにより都市が整備されることになります。メリダの中心部にあるソカロ広場の正面にはモンテホが住んでいたカサ・デ・モンテホ(モンテホの家)があります。
カサ・デ・モンテホは、1549年にメリダの町を建造したコンキスタドールが建てたメリダ最古の建築物です。邸宅には中庭があり豪華なインテリアが備えられています。建物の正面にある彫像はスペイン人がマヤ人を迫害している様子を示しています。
ソカロ広場
スペイン人フランシスコ・モンテホは、ソカロ広場を中心にメリダの町を造営していきました。
カサ・デ・モンテホ
モンテホの邸宅のことで、正面窓の両側にはスペイン人に踏みつけられるマヤ人の彫刻が施されて民衆に威圧感を与えます。
メリダ大聖堂
ソカロ広場を挟んで、カサ・デ・モンテホの向かい側にはメリダ大聖堂があります。正式にはサンイルデフォンソ大聖堂と言われるメリダ大聖堂は、1561年から1598年にかけてマヤの寺院の敷地内に建てられました。アメリカ本土で完成した最初の大聖堂でユカタン半島最大規模です。メリダは先住民に対するカトリック改宗の基地であり多くの教会が建てられました。その中心であるメリダ大聖堂はローマ法王も訪れたことがあります。
メリダ大聖堂
アメリカ大陸で初めて建造された大聖堂で、ユカタン半島で最大規模を誇ります。
メリダ大聖堂
高い天井が広がり、祭壇にある大きな十字架はスペイン人とマヤ人の和解を象徴するものです。
オーラン病院と野口英世
メリダは千円札に肖像画が描かれる野口英世と関係があります。1919年にロックフェラー財団からメキシコに派遣された野口英世はメリダのオーラン病院で黄熱病研究を行いました。のちに野口英世はアフリカで研究を行いますが、黄熱病に感染して亡くなることになります。
オーラン病院
野口英世はオーラン病院で黄熱病を研究し、のちにアフリカへ渡り黄熱病で亡くなりました。
野口英世像
野口英世の黄熱病研究は現在でも高く評価されており、病院の敷地内には野口英世研究室が設立され、銅像が建てられています。