メリダ

メリダはユカタン州最大でかつメキシコ南東部最大の都市です。白い町として知られ、道が碁盤目のように伸びています。メリダの町とその周囲にはマヤ文明の名残が色濃く残ります。
概要
- 面積
- 22,500km2
- 標高
- 2,220m
- 人口
- 1,699万 (2030年)
- 地図
特集
歴史
メリダはマヤ文明による独自の文化が花開いており、マヤ人からティホと呼ばれていました。16世紀にスペインの支配下におかれると、モンテホは町を作り替えました。街には現在も古代マヤの遺跡が多くあり、マヤの末裔が多く暮らしています。
マヤ文明時代
4世紀から9世紀にかけてユカタン半島でマヤ文明が成立しました。ウシュマルやカバー、チチェン・イッツァなどの都市が栄え、マヤ人たちはメリダのあたりをティホと呼んでいました。

魔法使いのピラミッド
ウシュマルの遺跡の中で最も大きな構造物で、急な勾配と丸みを帯びた側面が印象的です。卵から孵化した小人が一晩でピラミッドを建造した伝説に由来して小人のピラミッドと呼ばれます。

コーツ・ホープ
仮面の宮殿とも呼ばれるカバー遺跡で最もプーク様式を表現した建物で、正面の壁には雨の神チャークがマヤの宗教暦ツオルキンと同じ260個も装飾されています。

ククルカンのピラミッド
ピラミッドの石段を合計すると全部で365段あり、ピラミッド自体が巨大な太陽暦を示しています。最上部には最も神聖な神殿があり、ここで王は神と交信を行いました。
スペイン人によるメリダの建造
16世紀にスペイン人が入植すると、フランシスコ・モンテホはメリダの町を整備しました。整備された町は、1542年にスペインの田舎町メリダから名前を取りメリダと改名しました。メリダの中心部にはソカロ広場が整備され、その正面にはモンテホの邸宅カサ・デ・モンテホ(モンテホの家)が建築されました。

ソカロ広場
スペイン人フランシスコ・モンテホは、ソカロ広場を中心にメリダの町を造営していきました。

カサ・デ・モンテホ
1549年にメリダの町を建造したコンキスタドールが建てたメリダ最古の建築物です。建物の正面にある彫像はスペイン人がマヤ人を迫害している様子を示しています。

メリダ大聖堂
正式にはサンイルデフォンソ大聖堂と言われ、1561年から1598年にかけてマヤ寺院の敷地に建てられました。アメリカ大陸で初めて建造されたユカタン半島で最大規模の大聖堂です。

メリダ大聖堂
高い天井が広がり、祭壇にある大きな十字架はスペイン人とマヤ人の和解を象徴するものです。先住民に対するカトリック改宗の基地であり、ローマ法王も訪れたことがあります。
エネケン産業の発展
リュウゼツランの一種エネケンは、天然の繊維として大変重宝され、スペイン人が大きな産業に育てました。丈夫な繊維は特にロープなどで評判となり、19世紀から20世紀にかけて緑の金としてメリダに莫大な富をもたらしました。1950年代にナイロンの登場により産業は衰退しました。
オーラン病院と野口英世
1919年にロックフェラー財団からメキシコに派遣された野口英世は、メリダのオーラン病院で黄熱病研究を行いました。のちに野口英世はアフリカで研究を行いますが、黄熱病に感染して亡くなることになります。

オーラン病院
野口英世はオーラン病院で黄熱病を研究し、のちにアフリカへ渡り黄熱病で亡くなりました。

野口英世像
野口英世の黄熱病研究は現在でも高く評価されており、病院の敷地内には野口英世研究室が設立され、銅像が建てられています。