ソールズベリー
ソールズベリーは、イングランドにあるウィルトシャーのソールズベリー地区の中心都市です。古くから羊毛や農業が盛んで現在も田園風景が広がります。郊外にある環状列石ストーン・ヘンジは1986年に世界遺産に登録されました。
概要
- 面積
- 11.3km2
- 標高
- 200m
- 人口
- 4.5万 (2006年)
- 地図
歴史
ソールズベリーは先史時代から人の営みがありました。郊外には世界遺産に登録されている環状列石ストーン・ヘンジがあり、ソールズベリー北部にはオールド・サラムと呼ばれる丘の上の砦が築かれました。ローマ人はこの都市をソルヴィオドゥナムと呼びました。
ストーン・ヘンジ
ストーン・ヘンジは、紀元前3000〜紀元前1500年頃に造営されたと考えられている先史時代の環状列石の遺跡です。ストーンヘンジに使用される石はサーセンストーン(珪質砂岩)とブルーストーン(玄武岩)からなり、巨石は平均20トンで大きなもので高さ7メートルあります。サーセン石はストーン・ヘンジから北に約25キロメートル離れたマールバラ丘陵から運ばれ、ブルーストーンは200キロも離れたウェールズ地方のプレセリ丘陵から運ばれたことが科学的に証明されています。
ストーン・ヘンジ
先史時代のストーンサークルの遺跡です。
ストーンヘンジ
環状列石の中にU字に石群が並べられていました。
トリリトン
立石2本に横石が乗る石組です。
ヒールストーン
手前の石が治癒力がある石ヒールストーンです。
2つの立石に横石を組み上げた3つの石組をトリリトンと呼びます。大きなものでは60トンある平均25トンある巨石を組み上げられています。トリリトンは馬蹄形(Uの字)の形で建てられていたと考えられ、建造当初は5基ありましたが、現在は3基のみ残されています。
ストーンサークルから少し離れたところにあるヒールストーンは重さ60トンある巨石です。ブルーストーンは治癒力があると信じられており、冬至の日にヒールストーンからストーンサークルの中心に太陽が沈んでいき、夏至の日はストーンサークルから見て太陽がヒールストーンの側面から昇ります。このようにストーン・ヘンジは高度な天文学的な知識に基づいて建造されました。これらの巨石群はストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群として1986年に世界遺産に登録されています。
ローマ時代のソルヴィオドゥナム
ソールズベリーの北部にあるオールド・サラムは直径400メートルほどの円型の遺跡です。新石器時代から人が住み始め紀元前400年頃に砦が築かれました。古代ローマ帝国は町をソルヴィオドゥナムと呼び、デンマークから移住して来たサクソン人のもとで重要な町に発展しました。
1066年にノルマンディ公国がイングランドに進出すると、ヘイスティングスの戦いで勝利してノルマンコンクエストを起こしました。イングランドはノルマン人の支配下に置かれ、オールド・サラムはノルマン人の王城が建てられロマネスク様式の最初のソールズベリー大聖堂が建てられました。やがて大聖堂は取り壊されて、その建築材料はソールズベリーの町にある新たなソールズベリー大聖堂の建設に使用されました。
オールド・サラム
堀が巡らされた円形の古代遺跡です。
オールド・サラム
ソールズベリー大聖堂の前身となる聖堂がありました。
ソールズベリー大聖堂
ソールズベリーには1075年に司教座が置かれますが、城主と司教の抗争が激化してローマ教皇から司教座を移す許可を得て1220年からソールズベリー大聖堂が建造が始まりました。およそ40年で完成した大聖堂は、聖母マリア大聖堂と名付けられ英国国教会の聖堂となりました。ソールズベリー大聖堂は初期イギリス・ゴシック様式で13世紀に制作された大量のステンドグラスで飾られます。123メートルある尖塔は建設当初は世界で最も高い塔でした。
ソールズベリー大聖堂のチャプターハウスには1215年にウィンザー近郊のラニーメードでイングランド王ジョンが合意した権利憲章マグナ・カルタの原本があります。マグナ・カルタは、国王と反抗的な男爵たちの和平条約で、国王が恣意的ではなく法律に従い統治することを保証したものです。
ソールズベリー大聖堂
英国で最も高い尖塔が聳えます。
ソールズベリー大聖堂
マグナ・カルタの原本が保管されています。