大航海時代とポルトガルの繁栄

ヨーロッパ最西端にあるポルトガルは、アジアとの交易を確保するために海洋進出しました。アフリカ大陸や南米、アジアの各地に植民地を作り海洋帝国となりました。リスボンはポルトガルの首都として大いに繁栄し、世界経済の中心として黄金期を迎えました。
大航海時代の始まり
1255年にアフォンソ3世がイスラム勢力を退けてリスボンを首都としたポルトガル王国を建国しました。当時はアジアや中東からの貿易はイタリアのヴェネチアやジェノヴァを中継していましたが、地中海をイスラム勢力のオスマン帝国が抑えたことで、欧州西端のポルトガルに届く頃には高額で取引されました。1415年に王国ジョアンの皇太子エンリケ航海王子はイスラム勢力を根絶するため、北アフリカの港町セウタ攻略を手始めに大航海時代の先陣を切りました。こうしてリスボンは大航海時代の中心地として大いに繁栄することになります。

大航海時代の地図
大航海時代の到来により世界地図が作られましたが、未開のアメリカ大陸が正確ではありません。

エンリケ航海王子
ポルトガルの航海術を高めて北アフリカの港町セウタ攻略を手始めに大航海時代の先陣を切りました。
ポルトガルの海洋進出
ポルトガル国王ファン2世は、1486年にバルトロメウ・ディアスにアフリカを廻りインドに到達するよう命じました。1488年にディアスはアフリカ大陸最南端の喜望峰に到達しますが、ここで食料が尽きて引き返します。海洋進出を狙うスペインは、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見しています。ポルトガルはヴァスコ・ダ・ガマを派遣し、1498年に喜望峰を経由してインド航路を開拓しました。

世界地図
スペインやポルトガルはインドを目指して海洋進出しました。地図を作りながら世界を巡り、植民地支配を広げていきました。

地図の作製
各地で船から角度と距離で海岸線の形状を測量し、正確な地図を作るとともに文化や植生などを調べながら航海しました。
リスボンの繁栄
リスボンはインド航路の起点として香辛料貿易により発展しました。1500年にはカブラルがブラジルに到達して新大陸への進出も始まり、リスボンは新大陸との貿易でも繁栄しました。リスボンに集積された香辛料は北西ヨーロッパのアントウェルペンにもたらされ、ヨーロッパ各地で売りさばかれた。16世紀には商業の中心地が地中海の北イタリアからリスボンやアントウェルペンに移る商業革命が行われました。

航海用具
六分儀と呼ばれる角度を測る航海用具で、天体の位置や陸地のめぼしい物標から角度を測ることで船の位置を確定していました。

木造船舶
木製の船舶に帆を張ることで動力を得ました。大航海時代は簡素な木造船で世界中を冒険し、交易で莫大な利益を得たほか植民地支配を進めました。
ジェロニモス修道院
ポルトガル王マヌエル1世は、航海技術の開発に力を注いだエンリケ航海王子やインド洋航路開拓者ヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称えてマヌエル様式の最高傑作とも言われるジェロニモス修道院を建設しました。マヌエル様式はマヌエル1世に由来する独特の建築様式で、交易で得られた富がつぎ込まれた過剰装飾が特徴です。石灰岩で建築された絢爛豪華なジェロニモス修道院は、1983年に世界遺産に登録されました。

ジェロニモス修道院
大航海時代の巨万の富で絢爛豪華に造られました。過剰な装飾が特徴的な修道院は、マヌエル1世に由来するマヌエル様式と呼ばれます。

ヴァスコ・ダ・ガマの石棺
インド航路を開拓してポルトガルの繁栄に導き、ジェロニモス修道院に併設するサンタマリア・デ・ベレン教会に遺骸が安置されました。
ベレンの塔
ポルトガル王マヌエル1世は、ヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念してテージョ川河口にベレンの塔を建造しました。1520年に完成したベレンの塔は、灯台の役目がある6層の塔で、テージョ川の船の出入りを監視する要塞としての機能も備えていました。

ベレンの塔
マヌエル様式で建造された塔で、テージョ川を出入りする船の灯台と監視する役目を担いました。1983年にジェロニモス修道院とともに世界遺産に登録されました。

発見のモニュメント
ベレンの塔の隣には高さ52メートルある大航海時代の偉業を称えた発見のモニュメントがあります。
ポルトガルと日本
1543年にアジアと交易していた中国船が種子島に漂着し、乗船していたポルトガル人が火縄式鉄砲を伝えました。1549年にはフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸してキリスト教を伝道し、翌年に平戸に入港したことで日本との南蛮貿易が始まりました。大友宗麟、大村純忠、有馬晴信らがローマ教皇に使者を送る名目で伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4人の少年を選出し、1582年にローマ教皇に謁見するために長崎港から出港しました。欧州を訪れた最初の日本使節団は、1584年にサンロケ教会を訪れました。

フランシスコ・ザビエル
1549年に鹿児島に上陸して日本にキリスト教を伝えました。わずか2年の布教で日本を離れて中国を目指しましたが、広東省沖ノサンシャン島で病死しました。

サンロケ教会
ザビエルの礼拝堂もある16世紀の教会です。 外観は比較的シンプルですが、内部は豪華絢爛なバロック様式で装飾されています。
ポルトガルの衰退
ポルトガル国王セバスティアンは、1578年に無謀にもアフリカのイスラム勢力に進軍し、遠征先のモロッコで戦死しました。セバスティアンには子がいないため、スペイン・ハプスブルグ家のフェリペ2世が王位を継承してスペインに統合されました。1668年にポルトガルはスペインからの独立を果たしますが、17世紀以降はオランダやイギリスの新興勢力が台頭し、インド・東南アジアでも後退を余儀なくされました。18世紀にポルトガル植民地のブラジルで金鉱の発見やコーヒー栽培の成功などがありましたが、世界貿易の中心地はオランダのアムステルダムとイギリスのロンドンに移り、リスボンは世界経済の中心から没落しました。

フェリペ2世
スペイン・ハプスブルグ家の国王でポルトガルを統合しましたが、反スペイン運動を招いてポルトガルは独立へと向かいました。

マフラ国立宮殿
スペインから独立したポルトガルは、1730年にマフラ宮殿を完成させました。ポルトガル最大級の規模を誇るバロック様式の宮殿と修道院の複合施設です。