リスボン
リスボンは海岸沿いの丘陵地帯が広がるポルトガルの首都です。イベリア半島最長のテージョ川の河口に広がる都市で石畳の道路や行き交う路面電車など素朴で趣ある街並みが美しいです。海の遊牧民フェニキア人が訪れてから海上交易の拠点として紀元前3世紀にはローマ帝国、8世紀以降はイスラム勢力ムーア人が町を支配しました。1255年からはポルトガルの首都となり15~17世紀の大航海時代に最も栄えました。
概要
- 面積
- 100km2
- 標高
- 2m
- 人口
- 50.47万 (2016年)
- 地図
特集
大航海時代とポルトガルの繁栄
ポルトガルは大航海時代に世界の各地に植民地を作り海洋帝国となりました。リスボンは大いに繁栄し、世界経済の中心として黄金期を迎えました。
歴史
古代ローマ時代に建設されたリスボンは、イスラム勢力の支配を受けたことがありました。レコンキスタによりイスラム勢力を追い出してポルトガル王国が建国されると首都になりました。大航海時代に経済の中心地として大いに発展しますが次第にイギリスやオランダに主導権を取られ、ナポレオンの遠征や大震災により衰退して全ての植民地を失いました。
古代ローマとイスラム勢力の支配
古代ポルトガルにはルシタニア人が住んでいたと言われ、海の遊牧民フェニキア人の影響も受けていました。古代ローマが進出してイベリア半島全体がローマの支配下に置かれると、リスボンの前身となるオリシボが建設され古代ローマ時代の要塞であるサン・ジョルジェ城が建造されました。
ロシオ広場
海の遊牧民フェニキア人の影響を受けて海洋都市としての礎が築かれました。
サン・ジョルジェ城
古代ローマが進出してローマ支配下に置かれると、要塞としてサン・ジョルジェ城が建設されました。
418年にフランス南部に建国した西ゴート王国がイベリア半島を支配下に置きますが、711年にアフリカ北西部ムーア人がジブラルタル海峡を渡りイベリア半島に侵攻してイスラム勢力がイベリア半島のほぼ全域を支配して後ウマイヤ朝を建設しました。
レコンキスタと首都リスボンの誕生
イベリア半島を奪われたキリスト教勢力は、国土を回復するために718年から複数回にわたりレコンキスタと呼ばれる運動が行われました。1139年のオーリケの戦いでイスラム勢力を破ると1143年にイベリア南西部にアフォンソ・エンリケスがポルトガル王国を建国しアフォンソ1世となりました。1147年にアフォンソ1世率いる十字軍が現ポルトガルの首都リスボンを奪還しました。1249年にはアフォンソ3世がイスラム勢力からポルトガル全土を取り返してレコンキスタを成し遂げ、1255年にリスボンをポルトガル王国の首都としました。
アフォンソ1世
1139年のオーリケの戦いでイスラム勢力を破り、ポルトガルを建国して初代国王となりました。
オーリケの戦い
イベリア半島を奪われたキリスト教勢力は国土を回復するために718年からレコンキスタを行い、1139年のオーリケの戦いでイスラム勢力を破りポルトガル建国へと繋がります。
大航海時代とポルトガルの繁栄
15世紀になるとリスボンは海外進出の拠点となりました。1415年にポルトガル王国ジョアンの皇太子エンリケ航海王子はイスラム勢力を根絶するため、北アフリカの港町セウタ攻略を手始めに大航海時代の先陣を切りました。1488年にバルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸最南端の喜望峰に到達すると1498年にはヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由でインドまでの航路を開拓しました。こうして高値で取引されていた香辛料をアジアから直接輸入することでリスボンは大いに繁栄しました。
エンリケ航海王子
1415年にイスラム勢力を根絶するため、北アフリカの港町セウタを攻略して大航海時代の先駆けになりました
ヴァスコ・ダ・ガマ
1498年に喜望峰を経由してインドまでの航路を開拓したことで、インドに直接交易できるようになりました。
ポルトガルの衰退
1578年にポルトガル国王セバスティアンはイスラム勢力に対して無謀な進軍を行い、後継者がいないまま遠征先のモロッコで戦死しました。ポルトガル国政は混乱したため、セバスティアンの叔父であるスペイン・ハプスブルグ家のフェリペ2世が王位を継承しポルトガルはスペインに統合されました。スペインはネーデルラントの独立などでポルトガルに対して重税を課すようになり、不満を溜めたポルトガル貴族は1640年に反スペインの革命運動を起こしポルトガル王政復古戦争へと発展しました。ポルトガルはスペインから独立を果たし、同年にジョアン4世がブラガンサ朝を興しました。
フェリペ2世
スペイン・ハプスブルグ家の国王でポルトガルを統合しましたが、ポルトガルに課した重税によりポルトガルは反スペイン運動が起きました。
即位するジョアン4世
1640年にスペインから独立を果たしてジョアン4世が王政を復古してブラガンサ朝を興しました。
リスボン大地震とナポレオンの侵攻
国政の混乱により多くの植民地を失うポルトガルは、台頭してきたイギリスとの経済協力を強めましたが、1755年のリスボン大地震により大きな被害を出しました。これを受けポンバル侯爵は学校の建設や奴隷の禁止、産業の推進などの政策により建て直しを図ります。イギリスに敵対していたフランスのナポレオンは、イギリスと関係が強いポルトガルに対して3度侵攻を行い、国王ジョアン6世をはじめ王族は1808年から植民地ブラジルに避難しました。民衆はナポレオンに抵抗を続け、ナポレオンが失脚した1820年に自由主義革命によりポルトガル国王が帰還して立憲王政に移行して、この過程でブラジルが独立を果たしました。
コメルシオ広場
リベイラ宮殿がありましたが、1755年のリスボン大地震と大津波で壊滅状態となり跡地に広場ができました。
コメルシオ広場
リスボン大地震からの復興を記念して1873年に建造された勝利のアーチで、カルメルスの彫刻は栄光、栄冠、勇気を現しています。
カーネーション革命と現在
1910年に立憲王政が廃止され共和制国家となりますが、第一次世界大戦などで経済難に陥り1932年に首相に就任したサラザールが独裁政治を行うことになります。ポルトガルは第二次世界大戦で中立的な立場を取り戦後も体制を維持しました。サラザールが亡くなるとカエターノ首相に引き継がれますが、1974年にカーネーション革命と呼ばれるポルトガル革命が起こりました。無血クーデターにより国内政治の民主化が実現して独裁から解放されましたが、インドやアフリカの植民地が完全に消滅しました。
リベイラ市場
1892年に開設された歴史ある市場で、フードコートを完備しており食事を楽しむことができます。
サンタ・ジュスタのリフト
ラウル・メスニエル・デ・ポンサルドが設計して1902年に建造されたカルモ広場のエレベータで、エッフェル塔を手本にしたと言われます。