歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

ローマ時代のアテネ遺跡

ギリシャ・アテネのローマン・アゴラ

紀元前88年にミトリダテス戦争で反ローマとして参戦したアテネは、ローマ軍の攻撃を受けて破壊されてローマ帝国の支配下に置かれました。アテネはローマ帝国の属州アカイアの一部に組み込まれますが、ローマ文化に大きな影響を与えたストア派哲学の拠点として存在しました。ローマに影響を与え続けたアテネは、五賢帝のひとりハドリアヌスにより図書館やゼウスの神殿が建てられました。

ローマン・アゴラ

ギリシャ時代のアゴラ(集会場)が手狭となると、ローマ時代の初期にあたる紀元前1世紀から2世紀頃にユリウス・カエサルとアウグストゥスからの献金によりローマン・アゴラが建造されました。商店が並ぶ建物が広場を囲み、その中央の大きな広場では商業、政治、宗教、軍事に関する活動が行われました。

ギリシャ・アテネのローマン・アゴラ_アテナ・アルケジェティス門

アテナ・アルケジェティス門

アゴラ入口にある大理石の門で、ハドリアヌス帝が定めたオリーブオイル売買に関する法律の碑文が残り、オリーブオイルの製造と販売が行われていたと考えられています。

ギリシャ・アテネのローマン・アゴラ

ローマン・アゴラ

アゴラの周辺にはストアと呼ばれる列柱が建ち並び、柱の麓でストア派の哲学が講じられていました。ストア派は禁欲主義を主体としていたため、英語ストイックの語源となりました。

風の塔

風の塔は、紀元前2世紀から1世紀の間に天文学者アンドロニコス・キリストスが建造した日時計、水時計、風向計を組み合わせた建物です。八角形をしていて、それぞれの面に対応する風を表すレリーフが飾られて、そのレリーフの下に日時計として使うための線が彫られています。高さは約14メートルでペンテリ山で採取されたペンテリコン大理石が使用されています。

ギリシャ・アテネのローマン アゴラ_風の塔

風の塔

八角形をした大理石の塔で、アクロポリスから流れ落ちてくる水力で動く水時計(クレプシドラ)があり、ローマ帝国がキリスト教を国教としてから鐘楼として使用されました。

ギリシャ・アテネのローマン アゴラ_風の塔

風の塔

頂部には方位の神が彫刻され、彫像を示すことで風の向きを表現しました。

ハドリアヌスの図書館

ローマンアゴラの西隣にあるハドリアヌスの図書館は、五賢帝のひとりローマ皇帝ハドリアヌスにより132年にローマンフォーラムの建築様式に従い建てられた複合施設で、東側にパピルスの巻物が保管されていた図書館があり、隣接するホールは読書室や講堂として使われていました。

ギリシャ・アテネのハドリアヌスの図書館

ハドリアヌスの図書館

ローマ皇帝ハドリアヌスが建造した図書館でしたが、267年にこの地に侵入してきたゲルマン系の放浪部族ヘール族により破壊されました。

ギリシャ・アテネのハドリアヌスの図書館

ハドリアヌスの図書館

412年に属州知事ヘルキュリウスが修復して、5世紀中期から中庭部分にキリスト教聖堂が造られましたが、7世紀に聖堂は取り壊されてオスマン帝国時代は総督官邸として使用されました。

ゼウスの神殿とハドリアヌス凱旋門

ゼウスの神殿は全知全能の神ゼウスに捧げるための巨大な神殿です。紀元前515年に不法な手段で権力を握り独裁政治(僭主政)を敷いた僭主ペイシストラトスが建造に取り掛かましたが、ペイシストラトスの失脚により未完成のままでした。2世紀になりローマ帝国ハドリアヌス帝の統治下で工事が再開され、コリント式の柱が104本ある巨大な神殿が建造されました。

ギリシャ・アテネのゼウスの神殿

ゼウスの神殿

2世紀頃に建てられた神殿で104本の巨大な柱がありましたが、現在は15本のコリント式列柱のみ残ります。

ギリシャ・アテネのゼウスの神殿のハドリアヌス凱旋門

ハドリアヌス凱旋門

2世紀頃に建てられた凱旋門で高さ18メートル、幅14メートルあり、アテネの伝説的な王テーセウスとローマ皇帝ハドリアヌスを称える碑文が刻まれます。

アグリッパの音楽堂

紀元前15年にローマ皇帝アウグストゥスの腹心でのちにアウグストゥスの娘婿になるアグリッパは、アッタロスの柱廊からヘファイストス神殿までの途中にアテナ神に捧げるためにアグリッパの音楽堂(オデイオン)を建造しました。150年頃にアグリッパの音楽堂の屋根が崩壊して小さな講堂に再建され、アクロポリスの南側斜面にヘロディス・アッティコスが音楽堂を建設されることになりました。

ギリシャ・アテネの古代アゴラのアグリッパの音楽堂

アグリッパの音楽堂

音楽堂は25メートル四方の大きさで1000人の座席がありましたが、150年頃に屋根が崩壊して小さな講堂となりました。

ギリシャ・アテネの古代アゴラのアグリッパの音楽堂

アグリッパの音楽堂

267年にこの地に侵入してきたゲルマン系の放浪部族ヘール族により破壊され、現在は石積の台座に彫像のある柱が残されるだけです。

ヘロディス・アッティコス音楽堂

ヘロディス・アッティコス音楽堂はアテナの大富豪の寄付により作られた音楽堂です。161年にギリシャ人の元老院議員ヘロディス・アッティコスが妻のアスパシア・アニア・レギラを偲んで建設し、レギラを偲ぶ記念碑としてアテネ市に寄贈したところから名付けられました。

ギリシャ・アテネのアクロポリスのヘロディス・アッティコス音楽堂

ヘロディス・アッティコス音楽堂

アクロポリスの南西の斜面にあります。アーチが並ぶ壁に舞台が設けられ、斜面を利用して32段の大理石の客席が取り付けられます。

ギリシャ・アテネのアクロポリスのヘロディス・アッティコス音楽堂

ヘロディス・アッティコス音楽堂

客席は5千人もの観客を収容できるように設計されており、現在でもオペラやコンサートの演奏などで使われることがあります。

アギイアポストリ教会(聖使徒聖堂)

古代アゴラは580年から590年のスラヴ人の侵略で破壊され土の中に埋もれました。10世紀のビザンツ帝国の時代になりヘファイストス神殿は教会となり、2世紀頃に造られた噴水のあるニンファニウムの跡地にアギイアポストリ教会(聖使徒聖堂)が建てられました。古代アゴラに残る建物は、近年復元されたアッタロスの柱廊を除きヘファイストス神殿と聖使途聖堂のみです。

ギリシャ・アテネの古代アゴラ_アギイアポストリ教会

アギイアポストリ教会

古代アゴラに現存する建物の1つで、ビザンツ帝国下でアテネで初めて建てられた聖堂で4本の柱で丸屋根を支える内接十字型と呼ばれる建築様式で建てられました。

ギリシャ・アテネの古代アゴラ_アギイアポストリ教会

アギイアポストリ教会

19世紀にソラキ家が費用を負担して改修しました。中央通路には17世紀のフレスコ画が現存しています。