歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

コロンボ

スリランカ・コロンボのコロンボ市街

コロンボは東西貿易ルート上の港町として長い歴史を持つスリランカの主要都市です。ポルトガル、オランダ、イギリスに次々と支配された過去があり、その歴史はコロニアル様式の建物と高層建築やショッピングモールが混在する街並みに反映されています。

概要

面積
37.31km2
標高
1m
人口
75.3万 (2011年)
地図

歴史

7世紀にムスリム商人が来島したことで、小さな港町は交易の拠点として繁栄していきました。香辛料を求めて欧米諸国がアジアを訪れるようになると、ポルトガルやオランダ、イギリスが植民地支配するようになりました。第二次世界大戦で各国で独立運動が活発になると、スリランカも独立してコロンボを首都としました。

コーッテ国の成立

小さな港町のコロンボは、7世紀頃から香辛料や宝石を求めたムスリム商人が交易を行いました。中国に明朝が起こると、3代皇帝永楽帝は朝貢貿易を求めてビルマやインドなどに使者を派遣するうち、明船がセイロン島に漂着する事件が起こりました。シンハラ人は明船を襲撃して財宝を略奪したため、激怒した永楽帝は鄭和をセイロン島に派遣して王族を捕え、1412年にパラークラマ・バーフ6世を国王とするコーッテ王国を建国しました。コーッテ国は明の朝貢国となり、1450年に明朝の支援を受けてジャフナ王国を支配下に置いてセイロン島を統一しました。

ポルトガルの上陸

1505年にインド副王に任命されたポルトガル人フランシスコ・ダ・アルメイダは、息子ロウレンソ・アルメイダをインド方面に派遣しました。ロウレンソ・アルメイダは嵐でセイロンに漂着し、コーッテ国は銃や大砲を持つポルトガルに友好を求めてコロンボの入港を許可しました。1515年に軍艦を率いて侵攻したポルトガルは、セイロン島の支配を固めてモルッカ諸島への中継地としました。

コーッテ国の分裂

ポルトガルと協力関係にあるコーッテ国は、ヴィジャヤバーフ6世の3人の王子がコーッテ王国、シーターワカ王国、ライガマ王国に分裂しました。シーターワカ王国はポルトガルと協力関係にあるコーッテ国と敵対し、1538年にライガマ国を併合して対抗しました。1578年にシーターワカ王国はポルトガルを退けるため、ベイラ湖に注ぐ川を堰き止めましたが、ポルトガルを退けることはできませんでした。やがてポルトガルは敵対関係にあるコーッテ国とシーターワカ国を併合し、植民地化を進めていきました。

スリランカ・コロンボのベイラ湖

ベイラ湖

ポルトガル人がスリランカのコッテ国などから拠点を守るための堀として造営されました。湖には大きなワニなどを放ち、スリランカ各国の侵攻を阻みました。

オランダの植民地時代

セイロン島沿岸を支配したポルトガルは、1630年にキャンディ王国に侵攻しました。キャンディ王国セネラト王はキャンディの地形を巧みに利用してポルトガルを撃退しました。1634年にセネラト王が亡くなると、ポルトガルは再びキャンディ王国へ侵攻しましたが、セネラト王の跡を継いだラージャ・シンハ2世は再びポルトガルを撃退しています。ポルトガルとアジアの覇権を争うオランダ(ネーデルラント連邦共和国)はキャンディ王国を支援し、1658年にポルトガルに代わり植民地政策を進めました。

スリランカ・コロンボのベイラ湖

ベイラ湖

オランダはベイラ湖を拡張して人工島を造営しました。人工島の一つはアフリカから連れてきた奴隷を収容するスレイブ・アイランドがありました。

イギリスの植民地支配

海上帝国としての地位を確立したイギリスは、フランス革命の影響でオランダ本国が崩壊したことに乗じて、1796年にスリランカを占領しました。1815年のウィーン会議の議定書でイギリスはスリランカの領有を認められ、イギリスはセイロンと称して植民地化して、主に本国向けの茶(紅茶)のプランテーション栽培を行いました。

ガンガラーマ寺院の創建

欧米諸国による植民地支配において、スリランカ仏教は衰退の一途をたどりました。18世紀に仏教僧の中から上座部仏教の復興を唱えるものが現れ、1885年にカドゥウェ・スリ・スマンガラ・ナヤカ・ティラ尊者がガンガラーマ寺院を創建しました。

スリランカ・コロンボのガンガラーマ寺院

ガンガラーマ寺院

スリランカは人口の7割が敬虔な仏教徒と言われます。コロンボ最大のガンガラーマ寺院では、2月(ナワン月)の満月に盛大なナワン・ペラヘラ祭が開かれます。

スリランカ・コロンボのガンガラーマ寺院

ガンガラーマ寺院

ガンガラーマ寺院は職業訓練所や孤児院の運営、地方の寺院の支援などを行います。献身的な社会貢献により奉納された国内外の仏像などがたくさん展示されています。

イギリスからの独立

第二次世界大戦が集結して各国で独立運動が活発化すると、1948年にインド独立と連動してイギリス連邦内の自治国として独立しました。1954年にインドのネルーの提唱で、南アジア5ヵ国首脳会議がコロンボで開催されました。1972年にイギリスから完全独立を果たし、国号もセイロンから本来の民族的呼称であるスリランカに改称しました。

スリランカ・コロンボのシーマ・マラカヤ寺院

シーマ・マラカヤ寺院

19世紀後半にベイラ湖畔に創建しましたが、1970年に地盤沈下でベイラ湖に沈み、1976年に建築家ジェフリー・バワの設計で再建されました。

スリランカ・コロンボの独立広場

独立広場

1984年に独立を記念して整備された広場で、スリランカ国民の父と呼ばれる初代大統領ドン・スティーヴン・セーナーナーヤカと4頭の獅子像があります。

スリランカ・コロンボのバンダラナイケ記念国際会議場

バンダラナイケ記念国際会議場

世界で初めて女性で首相を務めたバンダラナイケを記念して建設された会議場です。バンダラナイケは1956年からスリランカの首相を務め、第三世界のリーダーの一人として活躍しました。