ハンガリー建国とブダペストの形成

ブダペストは、ドナウ川を境に丘陵ブダ地区と平地ペスト地区に分けられます。古代ローマ時代から町が形成されてからマジャル人が定住してハンガリー王国が建国されました。モンゴル帝国やオスマン帝国が侵略されますが、オーストリア・ハプスブルグ家の支配下において計画的に都市開発が行われました。
ハンガリーのはじまり
ブダペストは古代ローマ帝国の支配下であるパンノニア属州の首府アクインクムを起源とします。395年にローマが東西に分裂すると、ブダペストは西ローマ帝国に属しました。4世紀のゲルマン人侵攻や5世紀のフン族による侵入により西ローマ帝国が衰退すると、476年にオドアケルが西ローマ帝国を滅亡してオドアケルの王国が支配しました。
ハンガリー王国の成立
9世紀になるとウラル山脈南西部の遊牧民族マジャル人がブダペスト周辺で定住を始め、896年に大首長アールパードがハンガリー大公となりハンガリー大公国が成立しました。975年にはハンガリーのヴェイクがキリスト教に改宗してイシュトヴァンの名を得て、1000年にはローマ教皇よりハンガリー国王の王冠を授けられ、イシュトヴァン1世となりました。

マジャル人
ウラル山脈南部の遊牧民族と考えられています。9世紀末にアールパードに率いられてブダペストに定住するようになりました。

イシュトヴァン1世
ハンガリー王国の初代国王で、マジャル人の遊牧国家をキリスト教国へと変貌させました。ハンガリー国民から建国の父として崇敬されています。
モンゴル帝国の侵攻
ハンガリー王国はスロバキアやクロアチアなどを獲得して東欧の大勢力となりました。1240年にバトゥ率いるモンゴル帝国がポーランドに侵攻して、続いてハンガリーも侵攻を受けるようになりました。ハンガリー王国はヨーロッパ最強と言われていましたが、1241年のムヒの戦いで惨敗して首都ブダペストは破壊されました。
ハンガリー・アンジュー朝
1301年にアンドラーシュ3世が死去すると後継者不在のため王位継承争いが起こりました。この王位継承争いに勝利したナポリ系のカーロイ1世が1308年に王位に就いたことで、アールバート朝は断絶してアンジュー朝が興りました。

ブダ城
13世紀にモンゴルの侵攻から街を守る要塞として始まりました。ハンガリー国王の王宮として増改築が繰り返されましたが、戦争でたびたび破壊されました。

カーロイ1世
フランスのアンジュー家の出身で、長らく続いたハンガリー王国の王位継承を終わらせてハンガリーの国力を回復させました。
ハンガリー王国の分割
1342年にハンガリー王国を継いだラヨシュ1世は、ナポリを一時占領するなど領土拡大を行うとともにポーランド王位も継承しました。ラヨシュ1世が死去すると、娘マーリアが王位を継承してルクセンブルグ出身の夫ジギスムントと共同統治を行いましたが、マーリアには子供に恵まれずアンジュー朝は断絶しました。
ハプスブルク家の統治
1458年に即位したマーチャーシュ1世は、1479年にボヘミア・ハンガリー戦争に勝利してオーストリア大公にも選出されました。マーチャーシュ1世の跡を継いだヤギェウォ家ウラースロー2世の時代には、東欧をほぼ制圧するほど版図を広げました。その跡を継いだラヨシュ2世はオスマン帝国との戦いで戦死し、ハンガリーはハプスブルグ王領ハンガリー、オスマン帝国領ハンガリー、オスマン保護国の東ハンガリー王国に分割されてブダペストはハプスブルグ家が統治しました。

ブダ城の漁夫の砦
ハンガリー建国1000年を記念して、1895~1902年にかけて建築家フリジェシュ・シュレクの設計で建築されたブダ城の展望台です。

マーチャーシュ聖堂
13世紀に建築された教会で、歴代ハンガリー国王の戴冠式が行われました。オスマン帝国が占領した時代ではモスクとして使われました。
ハプスブルク家の衰退
オーストリア帝国はハンガリーを取り込みますが、旧来の制度を堅持するオーストリア帝国は近代化が進まず国力が低下していきました。1848年にフランツ・ヨーゼフが即位すると情勢はさらに悪化し、第二次イタリア独立戦争、プロイセン=オーストリア戦争(普墺戦争)に敗れてイタリアやドイツの覇権を失い、諸民族は独立に向けて動き出しました。
オーストリア=ハンガリー帝国の成立
1867年にオーストリア帝国はハンガリーに対してアウスグライヒと呼ばれる協定を結び、オーストリア=ハンガリー帝国が成立しました。1918年にオーストリア=ハンガリー帝国は第一次世界大戦の敗戦により解体されるまで存続し、ブダペストはウィーンに次ぐ第二の首都となりました。

フランツ・ヨーゼフ
1848年にオーストリア皇帝に即位し、1867年にハンガリーとアウスグライヒを結んでハンガリー国王として戴冠しました。愛妻はシシーことエリザベートです。

セーチェーニ鎖橋
ハンガリーの改革者であるセーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の尽力により、1849年にドナウ川に初めて架橋されました。
ブダペストの都市開発
1873年にドナウ川を挟んで西側のブダと東側のペストの合併が行われ、世界都市ブダペストが誕生しました。ブダペストは19世紀から計画的な都市開発が行われ、1896年にはハンガリー建国1000年を記念して英雄広場、ヴァイダフニャド城が建設され、アンドラーシ通りの下にはヨーロッパ大陸初の地下鉄が開通しました。

英雄広場
1896年のハンガリー建国1000年を記念して建設が始まり、1929年に完成しました。ハンガリーの歴代国王や英雄などの像が14体あります。

ヴァイダフニャド城
ハンガリー建国1000年を記念して建てられ、1908年に建築家イグナーツ・アルパード・ヤクブにより石とレンガの建物として再建されました。

国会議事堂
1902年に完成した世界で3番目に大きな国会議事堂で、ゴシック・リバイバル様式の建物にはバロック様式の豪華な装飾が施された部屋が691室あります。

中央市場
1897年に建設されたブダペスト最古で最大規模の市場です。ブダペスト工科大学教授ペッツ・シャムが設計したネオゴシック様式の建物です。