ブダペスト
ハンガリーの首都ブダペストは、1873年にドナウ川を挟んだ丘陵地帯のブダ地区と平地のペスト地区が合併して誕生した都市です。美しい景観はドナウの真珠、ドナウの女王、ドナウの薔薇と称えられており、都市全体が1987年に世界遺産に認定されました。
概要
- 面積
- 525.2km2
- 標高
- 96 - 527m
- 人口
- 175.6万 (2016年)
- 地図
特集
歴史
ブダペストは古代ローマ時代に町が形成されました。9世紀には遊牧民族マジャル人が定住をはじめハンガリー王国が建国されました。モンゴル帝国やオスマン帝国が侵略されますが、オーストリア・ハプスブルグ家の支配下で計画的に都市開発が行われました。第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が解体されてハンガリーが独立しましたが、第二次世界大戦で敗戦国となりソ連の影響で社会主義国になりましたが、ハンガリー動乱を経て民主化されました。
ハンガリーの形成
ブダペストは古代ローマ帝国の支配下であるパンノニア属州の首府アクインクムを起源とします。9世紀になるとウラル山脈南西部の遊牧民族マジャル人がブダペスト周辺で定住を始め、大首長アールパードが896年にハンガリー大公となりハンガリー大公国が成立しました。
ハンガリー王国の成立
997年に大首長となるイシュトバーン1世は1000年にローマ教皇から授けられた冠を用いて戴冠式を行いハンガリー王国を成立させました。ハンガリー王国は東欧をほぼ制覇するほど版図を広げますが、ハンガリー王ラヨシュ2世がオスマン帝国との戦いで戦死したことでハプスブルク家王領となりました。1867年にオーストリア=ハンガリー帝国が成立すると、フランツ・ヨーゼフ1世の下で都市開発が進められウィーンに次ぐ第二の都市になりました。
イシュトヴァン1世
ハンガリーを建国して国内に司教座を設置するなどハンガリーのキリスト教化に貢献し、カトリック教会では聖人として列聖されています。
ブダペスト市街
ブダペストは1987年にドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペストとして世界遺産に登録されました。
相次ぐ大戦の影響
1914年にサラエボでオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公とその妻ソフィーが殺害されるサラエボ事件を発端としてヨーロッパ各国とその植民地が加わる第一次世界大戦に発展しました。オーストリア=ハンガリー帝国は敗北して解体されるとハンガリー共和国が成立しました。第二次世界大戦ではドイツに追従して参戦しますが、戦況に応じて態度を改めたためブダペストはドイツに占領されました。
ハンガリーの民主化
1945年にソ連の侵攻によりナチス勢力から解放されたハンガリーはハンガリー共産党による独裁政治が行われました。ソ連スターリンが死去してハンガリー国内で反政府運動が活発化すると1956年にハンガリー動乱が起こりました。ハンガリー動乱で反乱は鎮圧され、ハンガリーの民主化は経済破綻を発端とした1989年まで待つことになりました。
英雄広場
ハンガリー動乱でスターリン像が倒されました。
国会議事堂
国会議事堂を中心としてブダペスト市街戦が起きました。