パガン
バガンは、ミャンマー・マンダレー地方域にある地名です。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに世界三大仏教遺跡のひとつと称されます。イラワジ川中流域の東岸の平野部一帯にある大小さまざまな仏教遺跡は2019年に世界遺産に登録されています。
概要
- 面積
- 104km2
- 標高
- 不明
- 人口
- 不明
- 地図
歴史
パガンは先住民ピュー族が農耕を営む小さな集落がありました。9世紀に中国雲南省の南詔が攻撃して荒廃しますが、11世紀にビルマ族が建国したパガン王朝により整備が進められました。パガン王朝は仏教を篤く保護して多くの寺院や仏塔を建造しました。13世紀末に元の侵攻によりパガン王朝は滅亡へと追い込まれましたが、その後に成立したタウングー王朝やコンバウン朝でも仏教が手厚く保護されました。大切に守られたパガンの仏教遺跡群は2019年に世界遺産に登録されました。
ピュー族の都市バガン
パガンを含むシッタン川西部はピュー族が住んでいました。バガンと言う名前はピューの集落を意味するピュー・ガーマが転じたとする説があります。ピュー族はそれぞれ独立した指導者が支配しており、指導者は自らを王と位置付けていました。7世紀になると中国雲南省の南詔による攻撃を受けるようになり、808年に南詔の王はピューの君主を称して上ビルマは南詔の収奪に晒されることとなり、832年にはピューの都市が南詔に破壊されました。こうして9世紀半ばから11世紀まで200年近く空白時代となりました。
ブーパヤー・パゴダ
上座部仏教の思想も取り入れられ、エーヤワディー川(イラワジ川)のほとりにある夕顔を意味するブーパヤー・パゴダが建てられました。
ブーパヤー・パゴダ
3世紀にピュー族の王が建てたと伝わります。川を航行する船舶の目印ともなり、現在のパゴダは1975年の地震で完全に破壊して再建されたものです。
ビルマ族によるパガン王朝の成立
パガンにはチベットや中国雲南省に住んでいたビルマ族が南下して、先住民を追い出して国家を形成するようになりました。ビルマ族のアノーヤター王は1044年にパガンに都を置き、ビルマ族の最初の国家であるパガン王朝が成立しました。初代国王アノーヤター王は戦勝を記念してシュエズィーゴォン・パヤーの建造を始め、3代目の国王チャンシッターの時代に完成しました。
アノーヤター王
ビルマ族最初の王朝パガン王朝を建国し、ピュー族から稲作を学び、スリランカ(セイロン)の高度な上座部仏教を知るモン人から上座部仏教の文化を取り入れました。
シュエズィーゴォン・パヤー
ミャンマー仏教最大の聖地で、三層構造の方形の台座の上に高さ40メートルの仏塔が建てられ、スリランカから譲られた釈迦の歯と骨を納めました。
アーナンダ寺院
パガン王朝3代チャンシッター王の時代は最盛期を迎え、多くの仏塔や寺院が建設されたため建寺王朝と言われました。1090年に建立されたアーナンダ寺院は、全知全能を意味するアーナンダが祀られてバガンを代表する寺院となりました。アーナンダ寺院は、王様など身分の高い人が通る内回廊と一般の参拝に使用される外回廊に分けられ、中心部には高さ9メートルの過去四仏の像がそれぞれ四方を向いて安置されています。
アーナンダ寺院
寺院は黄金に輝く本堂を中心に四方に回廊が突き出す形をしており、建物は全てレンガで造られて漆喰が塗られています。
アーナンダ寺院
厳しい表情の仏像は、遠くから微笑んで見えます。距離で表情を変えているのは、側近に対しては厳しく、遠い庶民に対しては優しい目で見ていることを現しています。
ダマヤンジー寺院
ダマヤンジー寺院は12世紀に5代国王ナラトゥー王が建造を開始した未完成の寺院で、パガンで最も規模が大きい寺院です。ナラトゥーは王位に就くために実の父と兄を暗殺し、その贖罪として1167年にこの寺院の建造を始めたと言われますが、建造途中にナラトゥーも暗殺されたため寺院は未完成のまま残されることとなり、これらの経緯から現地の人は幽霊が出ると噂しています。
ダマヤンジー寺院
5代国王が悔い改めるために建造を始めた巨大寺院ですが、建造途中に国王が暗殺されたため未完成のまま残され、内部には仏像と多くの壁画がかすかに残ります。
ダマヤンジー寺院
西側の入口には2体の仏像が安置され、仏像は左手は過去の罪を、右手は未来の罪を償うという意味が込められており、王様の罪を償う意図があります。
イザゴウナ・パゴダ
12世紀の7代国王ナラパティシードゥーの統治時代は、平和と繁栄のもとで独自のビルマ風文化が興隆し、学僧に慣習法を編纂させるなどピュー文化やモン文化から脱していきました。ナラパティシードゥーが建造した寺院と考えられるイザゴウナ・パゴダには、この時代から主に使われたビルマ文字を石板に残しています。
イザゴウナ・パゴダ
12世紀に建造された寺院で、レンガで作られた寺院は漆喰で塗られて頂部には黄金の尖塔があります。寺院には細かい装飾が施されていますが、少し風化しているようにも感じます。
イザゴウナ・パゴダ
寺院の内部にはビルマ文字で刻まれた石碑が残されています。この石碑には、現在にもつながるビルマ人の表現の痕跡が残されています。
ティーローミンロー寺院
ティーローミンロー寺院は、8代国王ナンダウンミャーが王位継承者に選ばれたことを記念して1215年に建てられました。傘が倒れた方向にいる者が王を継承したという伝承に基づきナンダウンミャー王は傘の王を意味するティーローミンローと呼ばれ、寺院の名前もティーローミンローと名付けられました。
ティーローミンロー寺院
パガン王朝で最後の巨大な寺院で、赤レンガ造りの3階建て構造で、高さは45メートルはバガン最大級の高さを誇ります。
ティーローミンロー寺院
正面の仏像の両側に狭い回廊が設けられて一周できる構造です。回廊の四辺の壁には4体の黄金の仏像が鎮座しており、四方に安置される金色の仏像は穏やかな顔をしています。
パガン王朝の滅亡
1253年にモンゴル帝国が中国雲南地方の大理国を征服すると、13世紀後半から衰退していたパガン王朝はモンゴル帝国から圧力を受けるようになりました。パガン王朝ナラティハバテ王は元に対して入貢と臣従を拒否したため、元がパガン王朝に侵攻しました。1277年のンガサウジャンの戦いでパガン王朝は大敗して、1287年に首都パガンが占領されてパガン王朝は崩壊しました。パガン王朝はモンゴル帝国に従属する形で存続することになりましたが、急速に衰えて内乱により1314年に滅亡しました。
クビライ・ハン
1271年にクビライは現在の北京を首都として国号を元としてパガン朝に対して入貢と臣従を要求しましたが、ナラティハバテ王が拒絶したためパガン王朝を滅亡に追い込みました。
パガン仏教遺跡
パガン王朝は仏教を保護して多くの仏教寺院を建立しました。民衆はナラティハバテ王に対して、仏寺成って国滅ぶと揶揄しますが、皮肉にもそのとおりの運命となりました。
現在のパガン
パガンの土地は14世紀からタウングー王朝、18世紀からコンバウン朝が統治するようになりますが、どの王朝も手厚く仏教を保護していました。最後の王朝コンバウン朝では新たに仏塔や壁画が作られました。19世紀のイギリス=ビルマ戦争でコンバウン王朝が1886年に滅亡してイギリスの植民地となると、ヨーロッパ各国から人が訪れるようになりパガンの仏教寺院遺跡が世界的に知られるようになりました。
ニャンウー・マーケット
パガン最大規模の市場で、現在も生鮮食品のほかミャンマー伝統化粧品となるタナカの原木などの日用品が販売されて活気に溢れています。
パガン仏教遺跡
1975年と2016年にパガンを大きな地震が襲い被害を受けますが、国際機関とミャンマー政府は連携して長期保全の努力が続けられています。