南津軽郡

青森県南津軽郡は自然豊かな平野部で東に八甲田山、西に岩木山を仰ぎ、津軽三大河川の岩木川・平川・浅瀬石川による豊かな水と肥沃な土壌に恵まれます。藤崎町はリンゴの品種ふじが誕生した場所で、大鰐町には温泉郷があります。
概要
- 面積
- 223.07km2
- 人口
- 29,934人(2022年2月1日)
- 含む町村
- 藤崎町、大鰐町、田舎館村
- 地図
歴史
縄文時代や弥生時代の遺跡が残ことから、古くから人が定住していたことが伺えます。鎌倉時代には北条時頼から寵愛を受けた唐糸御前が悲運な最期を遂げた伝説が残されています。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
縄文時代晩期から弥生時代中期に造営された垂柳遺跡から、土器と共に黒く焼け焦げたようなコメの痕跡が多数見つかり、弥生時代前期の水田跡が656枚見つかりました。

垂柳遺跡
弥生時代中期末の水田跡が良好な状態で発見され、全国的に注目を集めました。出土した土器は田舎館式土器と称されています。
古墳時代、飛鳥時代
大和王権から蝦夷が住む地とされ、斉明4年(658年)に阿倍比羅夫が蝦夷討伐に派遣されました。この頃から大和王権との接触が始まりました。
奈良時代、平安時代
延暦12年(793年)に坂上田村麻呂が蝦夷討伐を行い、蝦夷の頭領・高丸を討ち取りました。藤崎町の鹿嶋神社は高丸の鎮魂のために創建したとされます。前九年の役で戦死した安倍氏の頭領・安倍貞任の遺児の高星丸が藤崎に落ち延び、安東氏をおこして藤崎城を本拠地としたと伝えられます。

藤崎八幡宮
寛治6年(1092年)に藤崎城の鎮守として創建しました。境内には藤崎城土塁跡、安東氏発祥の地の石碑があります。
鎌倉時代、南北朝時代
鎌倉時代初期に全国行脚していた円智上人が病を患い寝込んでいたところ、夢枕に大日如来の化身が現れて温泉の存在を告げられたことで大鰐温泉が発見されたと言われます。
唐糸御前伝説
北条時頼から寵愛された唐糸御前は、激しい妬みに堪えかねて故郷の藤崎町に移住しました。時が経ち北条時頼が津軽を訪れますが、唐糸御前は己の容姿の衰えを悲しみ池に身を投げて自殺したという伝説が残ります。北条時頼はいたく悲しみ、弘長3年(1263年)に平等教院を復興して菩提を弔い、鎌倉までの帰途7日ごとに寺院を建立したと言われます。

大鰐温泉
800年以上の歴史がある津軽の奥座敷として親しまれる温泉です。温泉熱と温泉水を活かして、400年前から大鰐温泉もやしが栽培されています。

唐糸御前像
鎌倉幕府執権の北条時頼の寵愛を受けましたが、周囲の女性からの妬みに耐えられず故郷の藤崎町に戻り、衰えた自分の容姿を嘆き池に身を投じました。
室町時代、安土桃山時代
永禄5年(1562年)に北畠一族の内紛である川原御所の反乱が起き、溝城館は浪岡御所の軍勢に攻められ落城したといわれます。溝城氏は津軽為信に仕え水木氏を名乗りました。天正13年(1585年)には田舎舘城が攻略され、千徳掃部政武の妻・於市の方が壮絶な最期を遂げました。
江戸時代
慶長14年(1609年)に藤崎堰に用水を引き入れる堰根を完成させるため、堰八太郎左衛門安高は自らの命を犠牲にして堰き止め工事に貢献したと言われています。

鷹待場跡
平川や岩木川が合流する真那板付近の原生林は鷹待場がありました。津軽は鷹の名産地として全国に知られ、鷹狩用に調教した鷹を幕府に献上していました。
明治時代、大正時代、昭和時代
昭和13年(1938年)に農林省園芸試験場東北支場が開業して、りんご・ふじの試験栽培が行われました。