歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

魔の山・谷川岳

群馬県利根郡の谷川岳

群馬県と新潟県の県境にある谷川岳は、日本百名山のひとつで多くの登山者を魅了してきました。日本海側と太平洋側の分水嶺であり、両方からの気流がぶつかり合うことで天気が急変しやすく、冬は豪雪地帯として知られます。一の倉沢の大きな岩壁は多くの若者の憧れとなり、多くの登山者を飲み込んで世界で最も死者数が多い山としてギネスに登録されました。

谷川連峰の盟峰・谷川岳

谷川岳は清水峠から南西方の三国峠までS字型に続く谷川連峰の盟峰です。七ツ小屋山から蓬峠を経て茂倉岳や一ノ倉沢岳へと北から南へ連なる山並は、谷川岳にぶつかり西に向きを変えて万太郎山から仙之倉山を経て平標山と続きます。谷川岳はオキの耳(奥の耳)とトマの耳(手前の耳)の双耳峰とされていますが、オキの耳は谷川富士、トマの耳は薬師岳の別称で知られ、谷川岳はオジカ沢ノ頭から派生する爼嵓を指していました。

群馬県利根郡の谷川岳

谷川岳

日本百名山のひとつで、オキの耳とトマの耳の双耳峰として知られるています。かつて魔の山と恐れられましたが、ロープウェイを利用することで比較的容易に山頂を目指すことができます。

信仰の対象・谷川岳

康暦2年(1380年)に霊峰富士の浅間大菩薩が谷川岳に飛来して不思議な光を発し、驚いた村人が山上で八面の浅間大菩薩の懸仏を見つけ、オキの耳に富士浅間神社の奥宮が創建しました。やがて谷川岳信仰登山が盛んになり、修験者たちは一ノ倉を修行の場として洞窟に住んで谷川登山のルートを開拓しました。永禄8年(1565年)にはオキの耳の岩陰に空蔵菩薩と十一面観音の鋳銅懸仏が祀られ、トマの耳には薬師如来が祀られて薬師岳と呼ばれるようになりました。

黄金の三宝

修験者たちが住んだ一ノ倉の洞窟には、彼らが秘かに埋蔵した黄金の御幣、黄金の鰐口、黄金の太刀の三宝があるという噂が広まりました。欲にくらんだ利根郡の光次郎と左近の兄弟は、大穴村の多兵衛を案内に雇い谷川岳を登頂しました。兄弟は左近の支える綱を頼りに光次郎が岩を下りはじめますが、多兵衛はそれを止めようとして揉み合う中で奈落へと滑落したと伝えられます。

群馬県利根郡の富士浅間神社奥の院

富士浅間神社奥の院

オキの耳の近くにある浅間神社の奥の院で、本社は谷川温泉にあります。以前は御神体の鏡(懸仏)が祀られていましたが、現在は小さな石造の祠が置かれています。

谷川岳の開山

明治19年(1886年)に植物学者の牧野富太郎らが谷川岳に入り、大正9年(1920年)に藤島敏男と森喬が湯沢から谷川温泉を踏破しました。大正15年(1926年)には日本山岳会の松本善二らが谷川岳から万太郎山、仙之倉山、平標山を縦走しています。昭和6年(1931年)に上越線清水トンネルの開通に合わせて谷川岳は開山し、多くの登山者が訪れるようになりました。

魔の山

谷川岳は北東にのびる東尾根を挟んでマチガ沢と一ノ倉沢の急崖が湯檜曾川へと落ち込んでいます。谷川岳が魔の山と恐れられるのは、その急崖に挑む若者たちの遭難があまりにも多いことに由来ます。これまで谷川岳で命を落とした登山者の数は800人を超えており、8000メートル級のヒマラヤ山脈14座の合計死者数を超えます。昭和35年(1960年)には宙吊り遭難した二人の遺体を回収するため、やむなく自衛隊が銃でザイル切断したことが報じられ、魔の山の印象がさらに定着しました。

群馬県利根郡の一ノ倉沢

一ノ倉沢

古い時代の岩石を代表する蛇紋岩で形成し、硬いけれども薄く割れやすい性質があります。一ノ倉沢は標高が低いわりに氷河が形成しており、蛇紋岩の岩壁には氷河の擦痕が残されています。

大衆登山の普及

昭和35年(1960年)に土合から天神平までロープウェイが完成し、山麓から3時間足らずで山頂まで行けるようになりました。昭和42年(1967年)には谷川岳遭難防止条例により危険地区への入山の届出制や冬山の一時的登山自粛または禁止など規制が行われるようになりました。谷川岳への無謀な登山は激減して魔の山と恐れらるほどではなくなり、今も厳然と聳える一ノ倉やマチガ沢、俎嵩の岩壁は山に憧れる若人を魅了し続けています。

群馬県利根郡の谷川岳ロープウェイ

谷川岳ロープウェイ

およそ15分で天神平まで到達することができます。かつて魔の山と恐れられた谷川岳も比較的容易に山頂を目指せるようになり、多くの登山者が訪れるようになりました。

谷川連峰縦走

谷川岳は日本海側と太平洋側の分水嶺であり、日本海側と太平洋側の空気がぶつかることで気象の変化が激しく、冬季は豪雪地帯になることで知られています。標高があまり高くありませんが、太古は氷河を形成しており、魔の山の代名詞である一ノ倉沢の絶壁には氷河を形成した痕跡が残ります。

山行日
2006/09/30~2006/10/01
天 候
晴れ/曇り
ルート
天神平(08:55)~谷川岳トマの耳(11:10)~オキの耳(11:30)~大障子避難小屋(14:40)
大障子避難小屋(05:30)~万太郎山(06:50)~仙之倉山(10:35)~平標山(11:35)~平標山の家(12:15)~平標山登山口(14:15)
地 図
山と高原地図「谷川岳」
同行者
ひめ
標 高
谷川岳トマの耳(1963.2m)、谷川岳オキの耳(1977m)、万太郎山(1954.1m)、仙之倉山(2026.2m)、平標山(1983.7m)
群馬県利根郡の谷川岳トマの耳

谷川岳トマの耳

天神平から谷川岳に至る稜線は、蛇紋岩と結晶片岩で形成されているそうです。結晶片岩は一定方向に割れやすい性質があり、トマの耳の頂部が分かりやすいです。

群馬県利根郡の谷川岳オキの耳

谷川岳オキの耳

谷川富士の別名があり、谷川岳の最高峰とされます。オキの耳の北東部にある一ノ倉沢やマチガ沢は、魔の山の代名詞として多くの若者を魅了し、谷底に飲み込んでいきました。

群馬県利根郡のオジカ沢ノ頭

オジカ沢ノ頭

トマの耳とオジカ沢ノ頭の稜線は、1800万年前の噴火活動で形成した大倉層が見られます。このあたりはやがて沈降して海となり、陸から運ばれた礫が覆いつくしたそうです。

群馬県利根郡の万太郎山

万太郎山

1450万年前は海に沈んでいる海底火山でした。やがて火山活動が終息したことで、海が大量の泥を運んで赤谷層と呼ばれる泥岩として地表に現れました。

群馬県利根郡の仙之倉山

仙之倉山

万太郎山と平標山の間にある谷川連峰の最高峰です。赤谷層と呼ばれる泥岩で形成され、一面にハクサンイチゲなどの高山植物が咲き乱れることで知られます。

群馬県利根郡の平標山

平標山

万太郎山から平標山にかけて周氷河砂礫面が見られます。平標山の緩やかな斜面は周氷河砂礫面と呼ばれ、豪雪により地面が凍結と融解を繰り返したことで形成した地形です。