利根郡

利根郡は群馬県の北東に位置し、赤城山の麓にあります。冬の山岳地帯では最大2~3メートルの雪が積もるためウインタースポーツが盛んです。高地を活かして高原野菜の生産が盛んに行われ、こんにゃく芋は日本一の生産量を誇ります。豊かな自然に恵まれた高原地帯はユネスコエコパークに認定されています。
概要
- 面積
- 1,322.23km2
- 人口
- 31,061人(2021年11月1日)
- 含む町村
- 片品村、川場村、昭和村、みなかみ町
- 地図
特集
歴史
沼田城が戦略上の要衝として非常に重要となり、上杉氏、後北条氏、武田氏配下の真田氏の激しい争奪戦が繰り広げられました。江戸時代になると養蚕などの産業が生まれ、三国街道は交通の要衝として関所が置かれました。昭和初期に上越線が開通すると首都圏の奥座敷として水上温泉郷が賑わうようになりました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
縄文時代の人びとは利根川沿いの段丘や山間部に集落を形成しました。北原遺跡や水上石器時代住居跡などでは敷石住居跡が確認され、深沢遺跡には縄文時代後期の配石墓群があります。寒冷な気候のため比較的長く縄文時代が続き、八束脛洞窟遺跡からは弥生時代の再葬墓の跡が見つかりました。

大峰山浮島及び湿原植物
大峰沼は本州最大かつ最古級の浮島があり、浮島にはミズゴケの群落の他にツルコケモモ、モウセンゴケ、カサスゲなどの湿原植物が生育しています。

川手山洞窟群及びズニ石
凝灰岩質堆積岩とそれに貫入した石英閃緑岩から形成される川手山は、熱水変質や浸食により、多数の洞窟や石門が形成され、石造物が安置されています。

梨の木平敷石住居跡
縄文時代中期の床に石を敷いている住居跡で、中央に四角形のいろりがあります。大きな深鉢土器や石皿などの石器も出土しています。

水上石器時代住居跡
縄文時代後期の住居跡です。石で囲んだいろりを中心に周囲の床に平な河原石を並べた敷石住居です。鉢形土器や石斧、石皿などの石器も出土しました。

矢瀬遺跡
縄文時代後期の集落跡で、住居と祭祀遺構、水場などが見つかりました。現在は矢瀬親水公園として整備され、住居や高床建物などが復原展示されています。
古墳時代、飛鳥時代
6世紀から7世紀にかけて塚原古墳群、岩下清水古墳群、森下古墳群などの円墳群のが造営されました。
奈良時代、平安時代
律令体制の整備により利根郡が置かれました。片品川の河岸段丘に中棚遺跡や糸井太夫遺跡などの平安時代の集落が造営されました。仏教が庶民にも浸透していき、西光寺などの仏教寺院のほか板碑や宝篋印塔などが造営されるようになりました。
鎌倉時代、南北朝時代
南北朝時代になると利根一帯を沼田氏が支配し、沼田鬼斎顕泰が沼田城を築いて支配を強めますが、次第に衰退していきました。
室町時代、安土桃山時代
関東管領上杉氏の支配下となり上杉謙信が領有しましたが、上杉謙信が死去すると北条氏や武田氏が侵攻して争乱の地となりました。天正14年(1586年)に豊臣秀吉は関東・奥州諸大名に私闘を禁じる惣無事令を発しますが、天正17年(1589年)に猪俣邦憲が名胡桃城を攻撃したことで惣無事令違反となり、豊臣秀吉の小田原征伐を招きました。天正18年(1590年)に後北条氏は滅亡し、豊臣秀吉は事実上の天下統一を成し遂げました。

名胡桃城址
沼田氏の一族といわれる名胡桃氏が館を築いたのが始まり、真田昌幸が名胡桃館を攻略して名胡桃城を築きました。北条方の猪俣邦憲が攻撃したことで小田原征伐の口実を与えました。
江戸時代
下仁田街道は中山道に繋がる重要な道で、村内戸倉には関所が置かれて入り鉄砲出女を厳しく取り締まりました。寛永5年(1628年)に川場用水が完成したほか、金井沢金山が開発されました。タバコ栽培、木工業、養蚕などの産業が興りましたが、真田氏の財政難で重税が課されたため、幕府により没収されて天領となりました。

猿ヶ京関所跡並びに旧役宅
寛永8年(1631年)に三国街道沿いに設けられた関所跡です。三代将軍・徳川家光により設けられた幕府直轄の役宅が唯一現存しています。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治元年(1868年)に岩鼻県の所轄になり、明治4年(1871年)に群馬県になりますが、明治6年(1873年)熊谷県を経て、明治9年(1876年)に再び群馬県に属することとなりました。昭和6年(1931年)に上越線が開通して、首都圏の奥座敷として水上温泉郷が賑わいました。
日光白根山
日本百名山のひとつで関東以北最高峰である日光白根山は、およそ2万年前から火山活動を開始し、厚い溶岩流や溶岩円頂丘を形成しました。草津白根山に対して日光白根山と呼ばれ、日光火山で東の前白根山に対して奥白根山が最高峰を成しています。高山植物が多く、シラネアオイ、シラネニンジン、ガンコウランなどが群生しています。
- 山行日
- 2010/09/19
- 天 候
- 晴れ
- ルート
- 山頂駅(09:10)~大日如来(09:35)~奥白根山(10:45)~避難小屋(11:50)~五色沼(12:00)~弥陀ヶ池(12:35)~六地蔵(13:50)~山頂駅(14:00)
- 地 図
- 山と高原地図「日光 白根山・男体山」
- 同行者
- ひめ
- 標 高
- 奥白根山(2578m)

ロープウェイ山頂駅
江戸時代から奥白根山が荒山権現として信仰の対象となり、男体山の奥之院とされ日光修験の修行地となりました。登山道には大日如来像や六地蔵などの仏像が残されています。

血の池地獄
日光白根山を形成した溶岩流は、山頂付近のほか座禅山付近や血の池地獄の3か所から流出しました。血の池地獄は丸沼周辺の多量の鉄分が浮き出て赤く見える小さな水たまりを形成しています。

日光白根山登山道
登山道はよく整備された樹林帯で起伏はあまりありません。七色平からはひたすら坂道を登ることになります。樹林帯から景色が眺められるようになり、さらに開けて奥白根山の展望が開けてくれば山頂は近いです。

五色沼
奥白根山の麓にある避難小屋から10分ほど下るとエメラルドグリーンの五色沼に到着します。日光白根山の堰止湖で、水位の違いでその色が変わることから名づけられたそうです。

弥陀ヶ池
およそ1万年前の溶岩流で堰き止められて形成した池です。マイヅルソウやダケカンバの群生が見られますが、シカによる食害や過去の登山者の踏みつけで被害を受けた部分があります。

日光白根山山頂
山頂までの最後の登りはガレていて、1歩進んで半歩下がる感じが連続します。一度平坦な場所に下り、そこから登り返せば山頂になります。山頂付近は岩場ですが、慎重に進めば問題ありません。


