伊豆市

伊豆市は伊豆半島の中央部に位置し、多くが天城山麓の高原地帯を形成しています。清流で育まれるわさびは市場出荷量で日本一を誇り、静岡水わさびの伝統栽培は世界農業遺産に認定されています。伊豆最古の温泉地である修善寺は伊豆の小京都と呼ばれ、夏目漱石や井伏鱒二などの文豪が滞在して文学作品の舞台となりました。
概要
- 面積
- 363.97km2
- 人口
- 27,838人(2021年11月1日)
- 市の木
- クヌギ
- 市の花
- ワサビ
- 市の鳥
- キジ
- 地図
歴史
伊豆市は源氏と所縁深い地です。鎌倉幕府を成立させた源頼朝は、弟の源範頼を修禅寺に幽閉して自刃に追い込みました。源頼朝の子で2代将軍となる源頼家は、罹患して危篤に陥ると家督相続で北条氏と比企氏の対立を招き、北条氏から修禅寺に幽閉されて暗殺されました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
甲之背遺跡や柏久保遺跡から旧石器時代末期から縄文時代草創期の遺物が出土しています。狩野川水系沿いや海岸近くの段丘上に集落が営まれ、赤崩遺跡や月ヶ瀬遺跡などから土器が出土しています。原畑遺跡に大規模な集落が形成し、出口遺跡では漁撈に使う石錘が出土しています。

浄蓮の滝
高さ25メートルの伊豆半島を代表する滝で、かつて近くに造営されていた浄蓮寺から名付けられました。滝の横には溶岩が冷えて収縮する際にできた柱状節理が形成しています。

上白岩遺跡
縄文時代中期から後期の環状集落跡で、東海地方で初めて完全な形の配石遺構が発見されました。配石遺構の周囲から60基ほどの墓壙が見つかり、共同墓地と考えられています。
古墳時代、飛鳥時代
子神社遺跡から4世紀頃の神獣鏡が出土しています。応神天皇の頃に伊豆国に命じて長さ30メートルの巨船を造らせ、枯野船と名付けたという伝承が残されています。
奈良時代、平安時代
大同2年(807年)に弘法大師空海が修禅寺を創建しました。修禅寺は鎌倉時代初期に蘭渓道隆により臨済宗の寺院に改めました。伊豆国は都から離れた流刑地とされ、多くの貴族や武士などが流されました。

修善寺
弘法大師空海が創建して臨済宗に改修されましたが、応永9年(1409年)の戦乱で焼失しました。のちに北条早雲により再建され、現在の曹洞宗の寺院となりました。

修善寺温泉郷
弘法大師空海は、桂川で病気の父の身体を洗う少年に心打たれ、仏具の独鈷杵で川の岩を打ち霊泉を湧き出させました。少年の父は湧き出る温泉で病が癒えて温泉療法が広まりました。
鎌倉時代、南北朝時代
鎌倉幕府を成立させた源頼朝は、建久5年(1194年)に弟の源範頼を修禅寺に幽居して自刃に追い込みました。建仁3年(1203年)に2代将軍・源頼家が危篤となると、北条政子と北条時政が源実朝と一幡の分割統治を主張し、一幡の独裁を主張する比企能員と対立しました。北条氏と比企氏の対立に巻き込まれた源頼家は修禅寺に幽閉され、元久元年(1204年)に筥湯の入浴中に暗殺されました。

源頼家の墓
鎌倉幕府2代将軍・源頼家は、危篤状態となり家督争いが起こりました。源頼家は病から回復しますが、北条氏討伐を目論んだことで修禅寺に幽閉されて入浴中に暗殺されました。

指月殿
北条政子が寄進した伊豆半島で最も古い木造建築です。源頼家の母である北条政子は、暗殺された源頼家の冥福を祈り指月殿を修禅寺に寄進しました。
室町時代、安土桃山時代
文和2年/正平8年(1353年)に鎌倉公方・足利基氏を補佐する関東管領に就任した畠山国清は、伊豆国守護も兼ねて大きな権力を振いました。強引な政治手法や軍事行動は幕府や鎌倉公方との対立を招き、康安元年/正平16年(1361年)に畠山国清と足利基氏との戦いが起こりました。長禄元年(1457年)に8代将軍足利義政は、弟の足利政知を鎌倉公方として派遣しました。足利政知は戦乱のため鎌倉に入ることができず、韮山に居を構えて堀越公方と呼ばれました。堀越公方は伊豆一国を支配しましたが、明応2年(1493年)に北条早雲により滅ぼされました。
江戸時代
伊豆半島は江戸幕府の直轄領や旗本領が入り組む支配体制に置かれ、江戸と下田を結ぶ街道に設置された本立野宿などが栄えました。慶長2年(1596年)から採掘を始めた瓜生野金山は、寛永2年(1624年)に閉山するまで佐渡金山に並ぶ江戸幕府直轄の金山として栄えました。

わさび田
安永3年(1774年)に椎茸師である板垣勘四郎が静岡市の安部郡有東木村からワサビの苗を清水の湧く場所に植え、苦心して繁殖させることに成功して天城わさびの栽培が始りました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)の廃藩置県で韮山県から足柄県を経て、明治9年(1876年)に静岡県に編入されました。江戸時代に隆盛を極めた土肥金山が近代的な採掘技術を導入して再興されました。交通網が整備されると修禅寺などが温泉地として整備され、尾崎紅葉ら著名な文化人が訪れて文学作品の舞台となりました。昭和33年(1958年)の狩野川台風で大きな被害を受けましたが、温泉観光を核として発展を続け、平成16年(2004年)に伊豆市が誕生しました。

旧天城トンネル
明治38年(1905年)に伊豆市と河津町をつなぐトンネルとして開通しました。国内で最長・最古の石造道路隧道で、伊豆の国市の吉田石を使用した切り石巻き工法で造営されました。
自然豊かな天城山
天城山は伊豆半島中央部の東西に広がる天城連山の総称で、万三郎岳を最高峰としています。およそ80万年から20万年前に天城火山が噴火を繰り返したことで、伊豆半島の骨格が形成されました。天城山は川端康成の伊豆の踊子でも知られるように伊豆を代表する山として、日本百名山に選定されています。
- 山行日
- 2004/12/26
- 天 候
- 晴れ
- ルート
- 天城高原ゴルフ場(10:50)~登山口(11:00)~万二郎岳(11:30)~昼食~万三郎岳(12:50)~万二郎岳(14:00)~登山口(15:00)
- 地 図
- 山と高原地図「伊豆」
- 同行者
- ひめ
- 標 高
- 万二郎岳(1294m)、万三郎岳(1406m)

天城連山
天城山は万三郎岳を最高峰としています。天城高原ゴルフ場の駐車場から万三郎岳までの登山道は未整備のため、万二郎岳を経由して最高峰の万三郎岳を目指すことになります。

万二郎岳
天城高原ゴルフ場の駐車場から1時間ほどで万二郎岳に到着します。森の女王とも呼ばれるブナの原生林を抜けますが、登山道はよく整備されて歩きやすいです。

万三郎岳
万二郎岳から万三郎岳までは1時間ほど稜線を歩きます。この途中はアセビのトンネルがあり、巨大なアマギシャクナゲが樹立しています。
