賀茂郡

賀茂郡は静岡県の東部、伊豆半島の南東部に位置しています。温暖な気候と海山川の自然に恵まれ、伊豆半島ジオパークのジオサイトとして指定されています。伊豆の踊子の舞台で河津七滝や古い温泉宿が多数あり、夕陽の名所として知られる西海岸は日本屈指の透明度を誇り、テングサの一大産地でもあります。
概要
- 面積
- 479.17km2
- 人口
- 38,568人(2021年11月1日)
- 含む町村
- 東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町
- 地図
歴史
かつて火山島の伊豆半島は、鉱物資源に恵まれています。古くは良質な石器が製造され、江戸時代には江戸城や駿府城などの石垣に使われました。金をはじめとした鉱物の産出も多く、土肥金山、龕附天正金鉱などの鉱山も開発されました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
稲取ゴルフ場遺跡から細石器が出土したことに始まります。縄文時代早期の峠遺跡と穴ノ沢遺跡、宮後峠遺跡などが確認されており、見高段間遺跡からは神津島の黒曜石が出土しています。弥生時代に稲作農耕が伝わりますが乏しい平地のため、南伊豆町の日詰遺跡や河津町の姫宮遺跡など海岸線や川沿いを中心に開拓されています。

伊豆西南海岸
伊豆半島南西の海岸線はリアス式海岸が生んだ奇岩が点在する景勝地です。雄大な海に沈む夕陽を鑑賞できるスポットとして日本夕陽百選に選ばれています。
古墳時代、飛鳥時代
伊豆半島北部に比べると遺跡は少ないものの、日詰遺跡や日野遺跡などで古墳時代の竪穴住居跡や祭祀遺物の廃棄跡が見つかりました。
奈良時代、平安時代
日詰遺跡や日野遺跡、十二叟遺跡などで製鉄を行う楕円形炉が見つかりました。やがて多くの貴族や僧侶、武士が流される流刑の地となりました。
源頼朝の挙兵
平治元年(1159年)の平治の乱で源氏が平家に敗れると、源頼朝は近江国で捕縛され伊豆に流刑となり伊東祐親の監視下に置かれました。源頼朝は伊東祐親の娘八重姫と恋仲となり千鶴丸が生まれますが、平家からの追及を恐れた伊東祐親は千鶴丸を松川の淵に沈めて殺害しました。治承4年(1180年)に後白河法皇の皇子・以仁王が平家追討の令旨を発すると、円通寺の文覚上人は源頼朝に平家討伐を説得したと伝えられます。源頼朝が平家打倒の兵を挙げると、伊東祐親は大庭景親とともに平家方として戦い、石橋山の戦いで頼朝軍を敗走させました。
鎌倉時代、南北朝時代
東伊豆は鎌倉の往来が盛んになり陸上交通が発展しました。同時に稲取港をはじめ伊豆の港も海 上交通の発達とともに中継点として栄え、紀州から来た鈴木一族が管理するようになりました。
室町時代、安土桃山時代
長禄元年(1457年)に将軍足利義政は弟の足利政知を鎌倉公方として派遣しましたが、戦乱のため鎌倉に入ることができず韮山に居を構えて堀越公方と呼ばれました。堀越公方は伊豆一国を支配しましたが、明応2年(1493年)に北条早雲により滅ぼされました。
江戸時代
伊豆半島は鉱物資源に恵まれているため、採石や鉱山開発が盛んに行われるようになりました。硬質で重く耐久性に優れた安山岩質の伊豆堅石は江戸城や駿府城などの石垣に使われ、軟質で軽く加工しやすい凝灰岩質の伊豆軟石は石蔵やかまどなどで使われました。金をはじめとした鉱物の産出も多く、土肥金山、龕附天正金鉱などの鉱山跡も残されています。延宝6年(1678年)には下田からテングサが持ち込まれ、テングサ漁が盛んに行われるようになりました。
明治時代、大正時代、昭和時代
韮山県から足柄県に属したのち、明治9年(1876年)に静岡県に編入されました。明治7年(1874年)にフランス船ニール号が南伊豆町の海で暴風雨のため座礁・沈没する事故が起こりました。温泉資源に恵まれる伊豆は、川端康成や太宰治などの文学者に愛されました。明治41年(1908年)に木村弥吉が絹サヤエンドウの早生栽培に成功し、熱川に旅館を建てて全国有数の観光地にしました。
河津七滝
河津町は多くの滝があり、そのうち特徴的な7つの滝を河津七滝と呼んでいます。約2万5千年前に伊豆東部火山群のひとつである尾南火山からの溶岩流が谷に流れ込み、河津七滝が形成したとされます。河津七滝のほとんどは厚い溶岩が凝固・収縮した柱状節理が見られ、伊豆半島ジオパークのジオサイトとして指定されています。

大滝
河津七滝で最大の落差30メートル、幅7メートルの滝です。豪快に流れ落ちる姿は圧巻の光景です。

出合滝
落差2メートル、幅2メートルの滝で、2つの流れが合流して一筋の流れになります。流れ込む水の青の美しさが特徴的です。

かに滝
落差2メートル、幅1メートルの滝で、白い水の流れと柱状節理と言われる特徴的な火山地形と緑の森林のコントラストが美しいです。

初景滝
落差10メートル、幅7メートルの滝で、踊り子と私の像があり、写真スポットとして人気があります。

蛇滝
落差3メートル、幅2メートルの滝で、周囲の玄武岩が蛇の鱗に似ています。

海老滝
落差5メートル、幅3メートルの滝で、滝の流れがエビの尾びれに似ています。

釜滝
落差22メートル、幅2メートルの滝で、滝壺が釜の底を思わせる形をしています。玄武岩の上から雄大に流れ落ちる様は迫力満点です。
