榛原郡

榛原郡は静岡県中部、大井川河口の西側に広がる吉田町と静岡県のほぼ中央部に位置する川根本町からなります。吉田町は県下有数のシラス水揚げ港の吉田港があり、川根本町は日本三代銘茶のひとつ川根茶の産地であり寸又峡温泉や接岨峡温泉の出湯の郷として知られます。川根本町は町の9割以上が森林に覆われ、町域全体がユネスコエコパークやにほんの里100選に登録されています。
概要
- 面積
- 517.61km2
- 人口
- 34,403人(2023年1月1日)
- 含む町村
- 吉田町、川根本町
- 地図
歴史
南アルプスの麓にある川根本町は旧石器時代から人の営みがありましたが、稲作農耕が広まるととともに平地へと活動の範囲が移りました。大井川水系は洪水になれば多くの土砂が移動して肥沃な大地を形成しましたが、度重なる水害との戦いの連続でした。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
旧石器時代から人の営みがあり、ヌタブラ遺跡には石器をつくる台座と材料が見つかりました。縄文時代の遺跡も多く、下開戸遺跡や大島遺跡、上長尾遺跡などで石器や土偶などが出土しています。稲作農耕が伝えられると、吉田町周辺で稲作を基盤とした定住生活が営まれていたと考えられています。
古墳時代、飛鳥時代
能満寺原に8基の円墳が築かれ、その付近の大日遺跡からたくさんの須恵器が出土しています。
奈良時代、平安時代
初倉荘は紀州の高野山、京都の南禅寺の寺領とされました。弘長2年(1262年)に平貞時の発願により僧侶・定門が能満寺を創建しました。

能満寺
長徳元年(995年)に陰陽師・安倍晴明が中国から持ち込んだソテツが植えられています。元和3年(1617年)に山門が造られ、元禄元年(1688年)に本堂が再建されました。
鎌倉時代、南北朝時代
小山七郎朝光が小山城の前身となる砦を築きました。
室町時代、安土桃山時代
今川氏の支配下にありましたが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元が討たれて今川氏は急速に衰退すると、永禄11年(1568年)に武田信玄が侵攻し、大井川を境に徳川家康と武田信玄が領有しました。天正3年(1575年)の長篠の戦いで武田氏は大敗して諏訪原城、高天神城が陥落すると徳川家康の領地となりました。

小山城
元亀2年(1571年)に武田四天王の一人である馬場信春が城郭を備え、大熊備前守長秀を城主としました。徳川氏と武田氏の間で十余年に渡り激しい争奪戦が繰り広げられました。
江戸時代
宝永3年(1706年)に武田善兵衛が九左衛門新田開発を始め、宝永5年(1708年)に山内与五郎が与五郎新田を作りました。大井川の下流では氾濫から集落を守るため、成因寺堤跡などの堤防が築かれました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)の廃藩置県で浜松県に属し、明治9年(1876年)に静岡県の管下となりました。川根地域で生産される茶が輸出産業として大きく発展し、明治4年(1871年)には吉田町に製糸場が設立されました。昭和6年(1931年)には大井川鐵道が全線開通しました。
