歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

院政と武士の干渉

京都府京都市街

院政の時代を迎えると、それまで文化の中心としてきた貴族に加えて、新たに武士階級が大きな力を持つようになりました。平清盛は武士階級出身者として初めて政権を握り、平安京の右京が衰えて、白河法皇などが多くの寺院を建てた白河、巨大な離宮が置かれた鳥羽、平家の重要な拠点である六波羅など左京が発展しました。

前九年合戦と後三年合戦

平安時代後期の東北地方は、奥州の安倍氏と出羽国の清原氏が統治していました。安倍頼良の討伐を任ぜられた公家の藤原登任が鬼切部の戦いで完敗すると、永承6年(1051年)に源頼義が陸奥国司となりました。源頼義は安倍富忠や清原武則を味方につけ、康平5年(1061年)に安倍頼良の跡を継いだ安倍貞任を討伐して前九年合戦は終わりますが、源頼義の領土分配を端緒として清原氏家中で内紛となりました。藤原家衡が藤原清衡を攻めた後三年合戦は、源頼義が日本初となる金沢柵の兵糧攻めなどで藤原家衡を攻め滅ぼし、源氏が名声を得てきました。

平家と院とのつながり

後三条天皇から譲位された白河天皇は、皇位を堀河天皇に譲位して白河殿で院政をはじめました。白河上皇は僧兵の強訴を防ぐ警護役として平家を北面武士として雇い、平家は院とのつながりを強めていきました。白河上皇から鳥羽上皇に治天の君が移り変わり、鳥羽上皇の崩御により後白河上皇と崇徳上皇で治天の君を巡り争う保元の乱となりました。

京都府京都市の鳥羽殿跡

鳥羽殿跡

応徳3年(1086年)に藤原季綱より鳥羽の地を譲り受けた白河天皇が皇位を堀川天皇に譲り、院政の府として建造した壮大な離宮です。

京都府京都市の龍安寺庭園

龍安寺庭園

灌漑用のため池を貴族の徳大寺家が私有地としました。鏡容池は貴族たちの憩いの場でしたが、室町時代に細川勝元が龍安寺を建立しました。

京都府京都市の京都岡崎の文化的景観

京都岡崎の文化的景観

白川の扇状地に位置する岡崎は、平安時代には院政が執り行われた白河殿のほか、六勝寺の大伽藍及び園池が造営されました。

保元の乱

白河上皇と鳥羽上皇の妻・待賢門院との間に生まれた崇徳上皇は、形式上の父である鳥羽上皇が崩御したことで武力により政治の実権を握ろうとしました。さらに摂関の地位を巡る藤原忠通と藤原頼長の争いが重なり、保元元年(1156年)に保元の乱となり、後白河天皇に汲みする平清盛、源義朝らが崇徳上皇の白河殿を攻めました。保元3年(1158年)に後白河天皇は二条天皇に譲位して院政を行うようになります。

平治の乱

保元の乱が終わると、後白河上皇の信頼を得た信西は源氏よりも院につながりの強い平家を優遇して平清盛が台頭していきました。不満を抱いた源義朝と藤原北家の藤原信頼は平清盛の不在の隙を突いて、平治元年(1159年)に後白河上皇の三条烏丸御所を攻撃して信西を討ち取りました。平清盛は後白河上皇と二条天皇を救出すると源氏を破り、源氏は壊滅して平家が時代を担うようになりました。

平清盛

平清盛の妻・時子の妹・滋子が産んだ憲仁親王が高倉天皇として即位すると、平清盛の娘・徳子が高倉天皇に嫁いで安徳天皇を産みました。平清盛は平家の最盛期を築きますが、武家出身の平家が台頭することに不満を持つ貴族は多くいました。安元3年(1177年)に俊寛や藤原成親らは鹿ケ谷で平家打倒の計画が練りましたが、計画が平清盛に密告されて多くの人が捕らえられました。

治承三年の政変

平清盛の子・平重盛が亡くなると、後白河法皇が平重盛の所領である越前国を没収しました。不満を募らせた平清盛は、治承3年(1179年)に挙兵して治承三年の政変を起こし、後白河法皇を幽閉して高倉天皇を退位させて安徳天皇を擁立しました。

以仁王の挙兵と福原遷都

平家の横暴に平家討伐を決意した以仁王は、治承4年(1180年)に源頼政の勧めにより平家討伐の令旨を全国に発して挙兵しました。以仁王と源頼政は平等院の橋合戦で討死し、平安京から福原に遷都されました。平安京からは人が消えて廃墟同然となりました。

源氏の挙兵

平治の乱により伊豆に流されていた源頼朝は、以仁王が討死したことを受け、治承3年(1180年)に北条時政、北条義時ら坂東武士とともに挙兵しました。平家は福原から平安京へ再び遷都し、その翌年に奈良の寺院を焼き討ちする南都焼討を行いました。平清盛が亡くなると平家は弱体化して木曽義仲の上洛を許し、平家は太宰府へと落ち延び、屋島を本拠地として再起を図りました。

平家の滅亡

木曽義仲が後白河法皇を護衛して京都に入りますが、義仲の兵は京で強奪を行い不評を買いました。後白河法皇は木曽義仲追討の院宣を出し、源頼朝は源範頼と源義経を派遣して木曽義仲を討ち取りました。源義経は一ノ谷の戦い、屋島の戦いで勝利し、壇ノ浦の戦いで平家は滅亡しました。源頼朝は奥州藤原氏も滅ぼして鎌倉幕府を成立させて鎌倉を中心とした武家社会へと移り変わりました。