奈良市

奈良市は奈良県の北部に位置し、自然豊かな山地に囲まれた盆地のため、朝晩の寒暖差が大きい気候です。8世紀に平城京が置かれて多くの社寺が建立されたことから、社寺に関係する酒造、墨、甲冑、一刀彫などの産業が発達しました。春日大社、東大寺、興福寺などが世界遺産に登録された名所が多い国際文化観光都市です。
概要
- 面積
- 276.94km2
- 人口
- 351,494人(2021年11月1日)
- 市の木
- イチイガシ
- 市の花
- ナラノヤエザクラ
- 市の鳥
- ウグイス
- 地図
特集
歴史
和銅3年(710年)に平城京遷都に伴い、唐の長安にならい朱雀大路を中心に大路と小路に整然と区画された町が整備されました。平城京には唐のほか渤海や新羅からも来訪があり、定着した仏教に大陸から伝えられた文化が融合して天平文化が花開きました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
旧石器時代の明らかな生活の痕跡はほとんど見つかりませんが、狩猟や採集をしていた時代の石器が各所から出土しています。縄文時代には水間遺跡などから土器や石器が出土し、弥生時代には市内各地にムラが形成してゼニヤクボ遺跡や柏木遺跡から土器や石器が出土しています。
古墳時代、飛鳥時代
4世紀に有力な豪族が大きな古墳を築造するようになりました。和珥氏は春日氏を称するようになり、その一族である大宅氏や小野氏も勢力を広げました。北西部は土師一族が勢力をもち、のちに菅原氏を称するようになりました。

鶯塚古墳
若草山にある4世紀後半の大型前方後円墳で、山の頂につくられた古墳は全国的にも珍しいです。枕草子に登場する鶯陵とも言われます。

塩塚古墳
佐紀盾列古墳群のひとつの5世紀前半の前方後円墳で、盗掘被害に遭いましたが棺内から短剣・刀子・鉄斧・鎌などが発掘されています。

三陵墓古墳群
5世紀に築造されたと考えられる前方後円墳の東古墳、円墳の西古墳と南古墳の3基で構成されています。

瓢箪山古墳
三宅古墳群のひとつの6世紀前半の前方後円墳で、周濠から円筒、人物、犬、盾などの埴輪片、須恵器などが見つかりました。

石のカラト古墳
7世紀末~8世紀初頭の全国的に珍しい上円下方墳で、天武天皇の皇子である長皇子や穂積皇子が埋葬されたとみられています。

月瀬梅林(月ヶ瀬梅渓)
関西屈指の梅の名所で、龍王の滝は修験道の開祖とされる役行者が見つけて修行の場にしていた言い伝えが残ります。
奈良時代、平安時代
和銅3年(710年)に藤原京から平城京に都が遷されました。平城京は唐の長安にならい朱雀大路を中心に大路と小路に整然と区画され、唐のほか渤海や新羅からも来訪があり天平文化が花開きました。平安京に遷都されると興福寺をはじめ東大寺や元興寺が力をつけて南都として栄え、治承4年(1180年)に平家が焼き討ちを行い大きな打撃を受けました。

尾山代遺跡
8~12世紀の集落遺跡で建物跡のほか鍛冶の道具、鉄滓、漁網のおもり、土馬などが出土し、集落で鍛冶をしていたと見られています。

東大寺東南院旧境内
貞観17年(875年)に理源大師聖宝が薬師堂を建てたことに始まる寺院跡で、大仏殿の東南に位置することから東南院と呼ばれました。

地獄谷石窟仏
岩窟の中に釈迦如来像を中心として左右に薬師如来と十一面観音、右壁面に如意輪観音、左壁面に阿弥陀如来坐像と千手観音が刻まれています。

春日山石窟仏
石切峠の穴仏とも呼ばれる磨崖仏で、東西ふたつの洞窟に大日如来・阿弥陀仏如来・観音・地蔵・天部など20体近い石仏が厚肉彫りされています。

滝寺の磨崖仏
中国や韓国と比べると小規模ですが、石窟には中国、磨崖仏には新羅の影響が認められます。

円成寺庭園
仁和寺の僧・寛遍上人が造成したと考えられる阿弥陀堂と池泉を中心とする浄土式庭園で、明治時代の廃仏毀釈で荒廃しました。
鎌倉時代、南北朝時代
大和国には守護が置かれず興福寺が強大な勢力をもつようになり、実質的に大和を支配していきました。寺社の周辺には門前郷が発達して繁栄しました。

正長元年柳生徳政碑
正長元年(1428年)の正長の土一揆で徳政令を勝ち取った郷民が、これを記念して記したとされる碑文とされています。

北山十八間戸
西大寺の僧忍性が創建した福祉救済施設で、永禄10年(1567年)に三好三人衆と松永久秀の戦いで焼失したものを寛文年間に忠実に再建しています。
室町時代、安土桃山時代
永禄3年(1560年)に松永久秀が多聞城を築城して支配しました。松永久秀は三好三人衆と戦いとなり戦禍で奈良の町は焦土と化しました。

石打城跡
室町時代後期に稲垣氏が築いた城とされます。伊賀の築城形式の影響を受けた遺構をほぼ完全に残しています。

旧大乗院庭園
15世紀の半ば過ぎに足利義政に寵愛された作庭家・善阿弥とその子が京都から招かれて改修した庭園です。
江戸時代
江戸幕府の直轄領とされて奈良奉行が置かれました。門前郷は奈良町として発展し、現在につながる町割りが造られました。奈良町は墨作りや刀作りなどの手工業を産業基盤として発展していきました。

法華寺庭園
光明皇后が創建した法華寺にある庭園で、江戸時代初期に京都仙洞御所から石や庭木などが移されて作庭された回遊式庭園です。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)の廃藩置県で奈良県が生まれましたが、明治9年(1876年)に奈良県が廃止されて堺県から大阪府に属しました。明治20年(1887年)に奈良県が設置され、明治31年(1898年)に市制が施行されました。

依水園
江戸時代の豪商・清須美道清が作庭した前園と、明治時代の実業家・関藤次郎が若草山などを借景として作庭した池泉回遊式庭園が残ります。

春日大社貴賓館庭園
昭和を代表する作庭家・重森三玲の庭園が作庭した2つの枯山水庭園が残されていますが、普段は非公開です。

奈良公園
明治13年(1880年)に開設された奈良の歴史的文化遺産を包蔵する公園で、松林のなかで千頭以上の野生のシカが群れ遊びます。