大牟田市

大牟田市は福岡県の最南端に位置し、有明海に面しています。筑後川が運んだ土砂が沖積平野を形成し、東部はなだらかな丘陵地があります。西部に面する有明海は、日本最大の干満が広大な干潟を形成し、豊かな生態系が育まれています。
概要
- 面積
- 81.45km2
- 人口
- 108,927人(2022年3月1日)
- 市の木
- クヌギ
- 市の花
- ヤブツバキ
- 市のキャラクター
- ジャー坊
- 地図
歴史
三井三池炭鉱の中心地として栄え、日本の近代化を支えた歴史を持つ産業都市です。文明元年(1469年)に農民が見つけた燃える石は、江戸時代に柳河藩家老小野春信が採掘を始めました。明治時代に三池炭鉱が官営化されて開発が進み、日本一野出炭量を誇る炭鉱として日本の近代化を支えました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
有明海に面して豊かな土地で、縄文時代の毛無貝塚や荒田比遺跡で漁撈を営んでいた人びとの痕跡が残ります。弥生時代の羽山台遺跡からは甕棺などが出土しています。
古墳時代、飛鳥時代
有力な豪族が現れて黒崎山古墳群、萩ノ尾古墳、甘木山古墳群、望谷古墳などが造営されました。景行天皇が高田行宮を訪問されたときに歴木の巨木を見て、御木国と呼ばれるようになりました。

潜塚古墳
4世紀前半でもかなり古い年代に築造された円墳で、弥生時代以来の伝統的な墓制を採用されながら、副葬品には銅鏃などの畿内的様相が見られます。

萩ノ尾古墳
6世紀後半の円墳で、墳丘内部には西に開口した副室構造の横穴式石室が組まれています。奥壁には赤色顔料で彩色された壁画が描かれています。
奈良時代、平安時代
律令体制が成立して筑後国三毛郡に属し、三池荘などの荘園が営まれました。三毛氏が出現し、9世紀初頭に三毛中納言源師親が普光寺を建立し、10世紀初頭に三毛師方が宮原天満宮を建立しましたが、三毛氏は源平合戦で没落しました。
鎌倉時代、南北朝時代
鎌倉時代に今山岳の活動で三つの池が出現して、三池と呼ばれるようになりました。三池典太光世が鎌倉時代の刀工として活躍し、南北朝時代には藤原助継や周養が全国的に知られました。蒙古襲来により九州に下向した中原氏の庶流が三池に土着して三池氏を名乗るようになりました。三池氏は南北朝時代に北朝を支持しましたが、九州で南朝側の勢力が増して南朝に与するようになりました。
室町時代、安土桃山時代
三池氏は菊池氏の配下となりますが、大友義鎮の菊池氏討伐で三池城は落城し、大友氏の配下となりました。文明元年(1469年)に農民の伝治左衛門が山中で燃える石(石炭)を発見しました。天正6年(1578年)の耳川の戦いで大友氏が敗れて衰退すると、龍造寺氏が侵攻して三池鎮実は三池から追われました。豊臣秀吉の九州征伐が起こると、天正15年(1587年)に大牟田市域は立花宗茂の弟・高橋統増に与えられましたが、慶長5年(1600年)に関ケ原の戦いで立花氏が西軍についたため領地没収となり、加藤清正が入りました。
江戸時代
筑後地方は田中吉政が入りますが、2代藩主・田中忠政は嫡子なく没したため、元和6年(1620年)に取り潰されました。三池には高橋統増(のちに立花直次に改名)の子・立花種次が入り三池藩が立藩しました。三池藩は紹運寺を創建して菩提寺とし、延宝2年(1674年)に三池藩が大牟田川に眼鏡橋をかけました。享保6年(1721年)に柳河藩家老小野春信が平野山で石炭の採掘を始め、嘉永6年(1853年)に生山、安政4年(1857年)に大浦坑が開坑しました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)に三池藩が三池県となり、久留米と柳河が統合して三潴県が成立して、明治9年(1876年)に福岡県に合併しました。明治6年(1873年)に三池炭鉱が官営化されて開発が進められ、日本一の出炭量を誇る炭鉱として日本の近代化を支えました。明治24年(1891年)に九州鉄道の大牟田駅が開設し、明治41年(1908年)に三池港が竣工しました。
災害による被害
昭和9年(1938年)に腸チフスが流行し、昭和12年(1937年)に赤痢が爆発的に増えました。昭和17年(1942年)に大水害に見舞われ、昭和19年(1944年)からアジア太平洋戦争の空襲被害を受けました。

三井三池炭鉱跡(宮原坑跡)
三井財閥に払い下げられて、明治31年(1898年)に創業を始めました。三池炭鉱全体の28%を占めていた時期がありました。

早米来架道橋
明治38年(1905年)に三池港まで開通した専用鉄道で、道路や河川を横断しながら敷設されました。煉瓦造架道橋や橋梁は在もほぼ当時のまま残されています。

三井港倶楽部
三池港に入港した船舶の船員が休憩するため、明治41年(1908年)の三池港開港と同時に完成し、昭和61年(1986年)に改修工事のうえ開放されました。

旧長崎税関三池税関支署
明治41年(1908年)に三池港の開港と同時に開庁し、昭和40年(1965年)に現三池港湾合同庁舎に機能が移るまで税関として使用されました。