歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

春日市

福岡県春日市の春日神社

春日市は福岡都市圏の中央部に位置する福岡県内で一番面積の小さな市です。那珂川と御笠川に挟まれたなだらかな丘陵地にあり、福岡市の発展に伴いベッドタウンとして都市化が進んだ住宅都市です。

概要

面積
14.15km2
人口
110,737人(2022年3月1日)
市の木
ナギ
市の花
ユリ
地図

歴史

春日丘陵一帯に弥生時代の遺跡が高密度で置かれて弥生銀座と呼ばれるようになりました。奈良時代に春日神社が創建して春日の地名が定着しました。江戸時代に溜池が整備されて田園地帯となりますが、第二次世界大戦で日本軍の施設が設けられたことで戦後に米軍基地が駐屯しています。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

牛頸山塊の樹林地など狩猟採取する環境に恵まれ、柏田遺跡から旧石器が出土しています。縄文時代には人が定住するようになり、門田遺跡から最も古い時期に属する爪形文土器が、柏田遺跡からは住居跡が見つかりました。弥生時代には春日丘陵一帯に遺跡が高密度で分布し弥生銀座と呼ばれるようになりました。

福岡県春日市の須玖岡本遺跡

須玖岡本遺跡

中国の魏志倭人伝に登場する奴国の王墓をはじめとする王族の甕棺墓があり、多数の青銅器やガラス製品をつくるための道具などが出土しています。

古墳時代、飛鳥時代

4世紀頃から各地の豪族の支配が相次ぎました。

福岡県春日市の日拝塚古墳

日拝塚古墳

6世紀に築造された前方後円墳で、墳丘の主軸がほぼ東西を向いて彼岸に大根地山から昇る太陽を拝めることから日拝塚と呼ばれるようになりました。

奈良時代、平安時代

神護景雲2年(768年)に藤原氏の氏神である春日大明神を大和国から迎え入れて春日神社が創建しました。

福岡県春日市の春日神社

春日神社

藤原氏の氏神である春日大明神を大和国から迎え入れ、春日神社が創建。

鎌倉時代、南北朝時代

平安末期から鎌倉にかけて、白水、小倉、須玖地域に荘園が成立しました。白水荘は石清水八幡宮領、小倉荘は宇佐八幡宮弥勒寺領、須玖は太宰府天満宮領となりました。

室町時代、安土桃山時代

豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏、薩摩の島津氏が覇権を争うようになり、天正14年(1586年)島津氏が大友氏の岩屋城を攻めて春日神社が焼失しました。

江戸時代

寛永4年(1627年)に黒田長政の家老・黒田美作一成が春日神社を再興し、福岡藩の増産政策として灌漑用の溜池や用水路が盛んに造営され、須玖の武末新兵衛の白水池の改修などで60ほどの溜池が出現しました。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治時代に水田二毛作と牛馬耕技術で全国的な先進地となりました。第二次世界大戦に突入して競馬場に春日分廠が置かれますが、工場跡は米軍板付基地(春日原基地)に姿を変えました。春日は福岡都心部で働く勤労者の良好な住宅都市として発展して昭和47年(1953年)に春日市となりました。