朝倉郡

朝倉郡は宝満川流域の扇状地にある筑前町と夜須高原の東峰村からなります。筑後川水系の水と自然に恵まれて米・麦・大豆の普通作を中心とした農業地帯が発達しましたが、近年は福岡市などのベッドタウンとして人口が増加しています。
概要
- 面積
- 119.07km2
- 人口
- 31,594人(2022年2月1日)
- 含む町村
- 筑前町、東峰村
- 地図
歴史
古来より筑後水系の豊かな水と自然を生かした田園地帯が広がりましたが、明治維新を迎えて東洋一と称された大刀洗飛行場が完成しました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
三郡山系の山麓から旧石器時代の尖頭器やナイフ形石器などが出土しています。縄文時代初期の押型文土器や石組炉が出土し、縄文時代後期の竪穴式住居跡や土壙墓などの集落跡が確認されています。弥生時代に稲作文化が入り、奴国の影響で大規模な集落ができました。
古墳時代、飛鳥時代

焼ノ峠古墳
3世紀後半の前方後方墳で、当地を治めていた首長墓と考えられています。

仙道古墳
6世紀の円墳で石室には幾何学文の装飾が施されます。国内でも珍しい盾持武人形埴輪が出土しています。

大己貴神社
仲哀天皇9年(200年)に創建した伝承がある日本最古級の神社で、神功皇后が新羅征討を起こすにあたり太刀や矛を奉納して兵を集めたとされます。

朝倉須恵器窯跡
小隈窯跡、山隈窯跡、八並窯跡から構成される初期須恵器窯で、5世紀前半から後半にかけて須恵器が生産されていました。
奈良時代、平安時代
遠の朝廷と呼ばれた大宰府が置かれると、各地に官道が整備されて久光辺りに駅家が置かれました。荘園化が進められると、栗田荘は安楽寺領、三箇山は箱崎宮塔院領・池大納言家領となりました。藤原純友の乱を鎮圧した功で大蔵春実が領地を得て原田姓を名乗りました。
鎌倉時代、南北朝時代
2代将軍・源頼家に対する謀反をいち早く通報した功により、原田種雄が秋月を与えられて秋月姓を名乗るようになりました。南北朝時代には秋月氏は南朝方の菊池氏について活動しました。
室町時代、安土桃山時代
秋月氏は豊後国大友氏と激しく争い大友氏に服属しましたが、大友氏が衰退すると島津氏と手を組んで大友氏に反旗を翻しました。豊臣秀吉の九州征伐では島津氏に与しましたが、いち早く降伏して日向国に移封となり、小早川秀秋が筑前国主となりました。
江戸時代
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにより黒田長政が福岡藩を立藩し、その三男長興が秋月藩の藩主となりました。秋月藩に属しましたが、朝倉郡は山間部が多く農業生産が低いため、新田開発やため池などの築造のほか植林が推奨されました。

岩屋神社
元禄11年(1698年)に福岡藩4代藩主黒田綱政が建立した寺院で、権現岩と呼ばれる大岩のくぼみを利用して造られています。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治 4 年(1871年)の廃藩置県により秋月県が成立しましたが、同年に福岡県に編入されました。大正8年(1919年)に東洋一と称された大刀洗飛行場が完成しました。太平洋戦争の戦況が悪化する昭和20年(1945年)に特攻機が出撃するようになりますが、米軍の2度の大空襲で飛行場は壊滅して多くの犠牲が生じました。