小城市

小城市は佐賀県のほぼ中央にあり、北部に天山山系がそびえ中央部は肥沃な佐賀平野が開けています。祇園川、晴気川、牛津川が貫流して有明海へと注いでいます。夏は高温多湿でやや蒸し暑く、冬は乾燥した天山おろしが吹き下ろします。
概要
- 面積
- 95.81km2
- 人口
- 43,512人(2022年2月1日)
- 市の木
- サクラ
- 市の花
- サクラ
- 地図
歴史
鎌倉時代に地頭として千葉氏が治めるようになり、やがて龍造寺氏の勢力下となりました。龍造寺氏が衰退すると龍造寺家臣の鍋島氏が所領を得て、江戸時代に小城鍋島藩が立藩しました。小城は長崎街道の宿場町が置かれた城下町として繁栄しました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
三日月町織島地区で多量の旧石器時代の石器が出土し、縄文時代の土器や石器が出土しています。弥生時代になると人口が増加しました。

土生遺跡
多量の土器、石器のほかに鍬や鋤などの木製農耕具や朝鮮系無文土器などが出土しました。
古墳時代、飛鳥時代
北部や西部の山麓などで数多くの古墳が作られました。

茶筅塚古墳
小城公園内の独立丘陵頂部に築かれた4世紀後半の前方後円墳で、前方後円墳としては佐賀県内最古級と考えられています。

権現山古墳群
高取山から南東に派生する丘陵頂部に造営されている5世紀の前方後円墳と6世紀後半の円墳(2号墳)が県史跡に指定されています。

円山古墳
高取山から南東に派生する丘陵の山麓にある5世紀後半の大型円墳で、三つの屍床が設けられて石室内から甲冑類や玉類などが出土しました。

姫塚
6世紀の前方後円墳で、後円部に設けられた横穴式石室が前方部に向かい開口しています。
奈良時代、平安時代
寺浦廃寺が建立しました。大楊荘、赤自荘、晴気荘の3つの荘園が成立して宗像社領、宇佐八幡社領となりました。

寺浦廃寺塔跡ならびに礎石
小城を治めていた豪族の氏寺と考えられています。金堂を中心とした伽藍配置でしたが、のちに塔を備えた法隆寺式の伽藍配置に変化しました。
鎌倉時代、南北朝時代
建久2年(1191年)に千葉常胤が晴気荘を含む小城郡の総地頭職となりました。千葉頼胤が元寇を機に小城に下向し、その子である千葉宗胤が肥前千葉氏の祖となりました。千葉氏は千葉城を拠点として統治し、鎌倉時代の終わりに干拓を始めています。
室町時代、安土桃山時代
徳島氏、鴨打氏などの武将が活躍し、農漁業の町として栄えました。千葉氏が内紛などで衰退していくと、龍造寺氏が台頭してきました。天正12年(1584年)に龍造寺隆信が戦死すると、その家臣である鍋島直茂が勢力を得るようになりました。
江戸時代
慶長12年(1607年)に鍋島勝茂が龍造寺氏の所領を継いで佐賀藩主となると、鍋島元茂が小城を与えられて小城藩が立藩しました。2代藩主・鍋島直能は小城公園一帯に館を築き、小城は長崎街道にある城下町として繁栄しました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)の廃藩置県で小城県が置かれ、伊万里県、三潴県、長崎県を経て佐賀県に編入されました。平成17年(2005年)に小城町・三日月町・牛津町・芦刈町が合併して小城市となりました。