杵島郡

杵島郡は佐賀県のほぼ中央部に位置します。緩やかな山間部には溜池が点在して果樹園や畑が形成し、南部の有明海に面した平坦地は農業集落が広がります。明治時代から昭和時代まで佐賀県最大の杵島炭鉱が置かれて、炭鉱の町として栄えました。
概要
- 面積
- 135.55km2
- 人口
- 37,390人(2022年2月1日)
- 含む町村
- 大町町、江北町、白石町
- 地図
歴史
戦国時代に龍造寺氏が台頭すると、龍造寺信周を初代とする須古鍋島氏が成立して明治時代まで統治しました。明治時代に大町鉱山が開かれると、佐賀県最大の杵島炭鉱となり炭鉱の町として栄えました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
焼石遺跡などから弥生時代に人が住むようになりました。
古墳時代、飛鳥時代

龍王崎古墳群
海童神社背後の丘陵に5~6世紀の円墳が20基ほど集まり、家屋文様の線刻や大陸や朝鮮文化の影響を受けた出土品が見つかりました。

妻山古墳群4号墳
栗岡山から東に延びる丘陵南斜面に築造された6世紀後半の円墳で、石室内に線刻画が確認されています。

道祖谷古墳
犬山岳から東に派生する尾根上に立地する6世紀後半の前方後円墳で、佐賀県最大規模で白石・武雄地区では最大の古墳です。
奈良時代、平安時代
大町荘が成立して宇佐宮領となりました。奈良時代の肥前国風土記に記されている杵島山は、茨城県筑波山、大阪府歌垣山とともに日本三大歌垣に指定されています。久寿3年(1156年)に太宰府から派遣された国弘徳房は、藤原道近と改めて善政を敷いたことで道近さんと呼ばれて慕われました。
鎌倉時代、南北朝時代
特に大きな記録は見受けられませんでした。
室町時代、安土桃山時代
天正2年(1574年)に龍造寺隆信が平井経治の須古城を攻め落として拠点としました。天正12年(1584年)に龍造寺隆信が沖田畷の戦いで戦死すると、龍造寺信周を初代とする須古鍋島氏が明治に至るまで須古一帯を治めました。
江戸時代
長崎街道に小田宿が整備され、享和元年(1801年)に藩主鍋島治茂が横辺田代官所を置きました。天保3年(1832年)に鍋島茂真が須古鍋島家の学館を拡張して三近堂としました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治43年(1910年)に大町鉱山が開かれ、昭和4年(1929年)に杵島炭鉱が設立されました。杵島炭鉱は佐賀県最大の炭鉱として栄えましたが、昭和44年(1969年)に閉山しました。