歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

宮崎平野中部の古墳

宮崎県西都市の西都原古墳群

宮崎県内には二千数百基の古墳があり、その約半数が西都市内に点在しています。その中には日本神話ゆかりの古墳が含まれており、西都原古墳群には瓊瓊杵尊と木花咲耶姫の陵墓と伝えられる男挟穂塚と女挟穂塚があります。古代の宮崎平野中部は農業生産も旺盛で、古代日向の政治経済の中心地帯として機能していたことが伺えます。

西都原古墳群

西都原古墳群は、標高60~80メートルの西都原台地を中心に古墳が立地します。3世紀後半から7世紀前半にかけて造営された311基の古墳で構成され、前方後円墳31基、方墳1基、円墳279基のほかに柄鏡式古墳が10基以上、地下式横穴が10基あります。男挟穂塚と女挟穂塚は日本神話の瓊瓊杵尊と木花咲耶姫の陵墓と伝えられています。

宮崎県西都市の西都原古墳群

西都原古墳群

300基以上の古墳が点在しており、国内最大の帆立貝形古墳である男狭穂塚や九州最大規模の前方後円墳である女狭穂塚もあります。

宮崎県西都市の西都原古墳群

鬼の窟古墳

内堀と外堀の二重の周濠の間に高い外堤があり横穴式石室が開口しています。古墳群最後の首長墓と考えられ、全長12メートルの石室から金銅装馬具片、須恵器などが出土しました。

新田原古墳群

新田原古墳群は、一ツ瀬川東部の標高70~90メートルの新田原台地に分布する祇園原、石船、山ノ坊、塚原の4つの古墳群の総称です。古墳時代前期の4世紀代から造営された前方後円墳25基、方墳2基、円墳180基で構成され、宮崎県で2番目の規模があります。前方後円墳は水神塚、機織塚、百足塚などと名付けられています。

宮崎県西都市の新田原古墳群

百足塚古墳

6世紀中頃に築造された墳長82メートル、埋葬主体部を横穴式石室とする前方後円墳です。墳丘西側の周堤部分からは宮崎県で初めて全体像が判明する人物埴輪などが出土しました。

宮崎県西都市の新田原古墳群

新田原古墳群

陪塚が2つある百足塚古墳から発見された形象埴輪は、継体大王陵の可能性が高い今城塚古墳と共通点が多く、畿内勢力と連動した日向の新勢力が存在したことが示唆されています。

三納川沿岸の古墳群

宮崎県西都市の永野古墳群

永野古墳群

三納川北側にある2基の前方後円墳が史跡に指定されています。一号墳の築造時期は出土した小型丸底壺や二重口縁壺などから5世紀初頭と考えられています。

宮崎県西都市の平郡古墳群

平郡古墳群

三納川と三財川が合流する地点の西側の標高60メートルの平郡台地上に分布します。主に平郡台地の山裾に集中している直径10メートルの小型円墳が29基現存しています。

宮崎県西都市の百塚原古墳群

百塚原古墳群

百塚原と呼ばれる丘陵上に位置する大小39基の円墳と地下式横穴墓で構成される墳墓群です。1号墳は5mの大型円墳で5世紀末~6世紀前半頃に築造されたと見られています。

宮崎県西都市の清水古墳群

清水古墳群

一ツ瀬川の支流である山路川と三納川の合流地点を望む標高20メートルの台地上にある前方後円墳2基と円墳群が指定されています。前方後円墳は6世紀前葉から後葉にかけて造営されています。

宮崎県西都市の九流水横穴墓群

九流水横穴墓群

西都市三納地区の最奥部に位置する横穴墓5基で険しい山間部に点在しています。

宮崎県西都市の境田古墳

境田古墳

西都市三納地区に位置し、三納川に架かる高三納橋の南側に位置する独立丘陵上に存在する円墳です。

一ツ瀬川の沿岸の古墳

一ツ瀬川の北岸にある標高120メートルの茶臼原台地に茶臼原古墳群があり、盾形の周溝を持つ児屋根塚古墳は出土した埴輪から5世紀前半の前方後円墳と推定され、全長約110メートルで四獣鏡や蛇行剣などの豊富な副葬品が出土しています。一ツ瀬川に面した茶臼原台地南裾の標高約30メートルの緩斜面にある千畑古墳は、6世紀後半の前方後円墳で江戸時代に地元民が石室を発掘したと伝わります。一ツ瀬川左岸域に広がる茶臼原台地の南側・西側丘陵とその対岸にあたる瀬江川沿いの大木原台地には65基の古墳や横穴墓の存在が確認され、うち34基が上穂北村古墳に指定されています。

宮崎県西都市の茶臼原古墳群

茶臼原古墳群(上野地区)

東西3キロに3グループ(春日地区、轟地区、上野地区)にわたり点在しており前方後円墳3基、円墳52基の計55基があります。

宮崎県西都市の茶臼原古墳群

茶臼原古墳群(轟地区)

東から春日地区の前方後円墳1基を含む9基、轟地区の8基、上野地区の前方後円墳2基を含む37基があります。

宮崎県西都市の千畑古墳

千畑古墳

宮崎県内に20基ほど所在する横穴式石室の中で、西都原古墳群の鬼の窟古墳や日南市弧塚古墳とともに最大規模を誇ります。

宮崎県西都市の千畑古墳

千畑古墳

千畑古墳の周辺は8基からなる横穴墓群が存在しており、その中でも県内最大の横穴式石室がある巨石を使用した古墳です。

宮崎県西都市の上穂北村古墳

上穂北村古墳

横穴墓は方形で天井部が寄棟造りのものがほとんどで、14号の玄室天井部には同心円を図文とした線刻があるなど特徴的な装飾も認められています。

松本古墳群

西都原古墳群南西の平野部にある松本古墳群は、古墳時代前期の5世紀末に造営された前方後円墳の松本塚古墳を中心としている古墳群です。

宮崎県西都市の松本塚古墳

松本塚古墳

墳丘の全長は104メートル、盾型の周溝は幅約20メートルで外堤には円筒埴輪が2列に並び、周囲に4基の陪塚があります。周溝から円筒埴輪や朝顔形埴輪が密集して出土しました。

宮崎県西都市の松本塚古墳

松本塚古墳

松本塚古墳は同時期に限れば南九州最大の前方後円墳で、形状が関西の土師ニサンザイ古墳や軽里大塚などと似ているため、畿内の有力者と密接な関係が示唆されます。

下三財川沿岸の古墳群

西都市南西部の三財川左岸の標高60メートルの小豆野原台には7世紀前半に築造されたと考えられる常心塚古墳があります。

宮崎県西都市の常心原古墳群(常心塚古墳)

常心原古墳群(常心塚古墳)

墳丘の周囲に外堤がある方墳で、完全な形で周溝や外堤が残されています。横穴式石室である可能性が高く、僧侶常心が後世に古墳の中で即身成仏したと言われます。

宮崎県西都市の都於郡村古墳

都於郡村古墳

都於郡城跡の南側で三財川右岸の丘陵上に立地しています。指定されているのは高さ2メートル、直径15メートルの円墳1基のみです。

宮崎県西都市の下三財古墳群

下三財古墳群

下三財地区にある円墳57基と前方後円墳6基の古墳群で、古墳時代前期に築造された柄鏡形前方後円墳や中期~後期の円墳や地下式横穴墓の存在が確認されています。

宮崎県西都市の上高野横穴墓群

上高野横穴墓群

三財川の左岸域に広がる小豆野台地から派生する険しい丘陵上にある4基の横穴墓です。