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ナーランダ仏教大学跡

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、ナーランダ仏教大学跡

仏教の八大聖地の一つであるナーランダは、5世紀頃に創設されてから12世紀まで最大の仏教の学院(現代で言う大学)として栄えました。最盛期には1万人の修行者と1,500人の教師がおり、西遊記のモデルになった玄奘(げんじょう)三蔵も中国から訪れています。

ナーランダ仏教大学

ナーランダ仏教大学は、5世紀のグプタ朝時代にクマーラグプタ1世により建造されました。南北10キロメートル、東西5キロメートルの50平方キロメートルの敷地があります。仏教を学ぶ重要な場所であり西遊記のモデルとなった玄奘三蔵も7世紀に中国からナーランダに訪れ、6年間留学して多くの教典を中国に持ち帰り翻訳に従事しました。玄奘三蔵の記録によれば、学僧は1万人以上で千五百以上の教師がいると当時の様子が記されています。

最高学府として栄えたナーランダ仏教大学でしたが、やがてインドでは仏教が衰えていきます。さらに1193年にイスラムの侵攻によりナーランダ仏教大学の建物は破壊され経典類は全て焼失しました。これによりインド仏教の衰退は決定的なものとなりました。

ナーランダ仏教大学

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、ナーランダ仏教大学跡入口から遺跡までの緑豊かな参道です

ナーランダ仏教大学

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、ナーランダ仏教大学跡寺院や僧院などが建てられていました

ナーランダ仏教大学は高い塀に囲まれ1つの門で出入りする構造でした。内部には9階建ての図書館、6つの寺院、11の僧院がありました。図書館には500万冊に及ぶ書籍が保管されており、多様な分野の科目の教育が行われる世界最大の教育施設でした。

僧院跡

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、ナーランダ仏教大学跡レンガ造りの階段が残されています

食糧庫

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、ナーランダ仏教大学跡多くの人たちの食糧が保管されていました

ナーランダとは、ナラン(蓮:釈迦の智慧)とダ(与える)と言う意味で、釈迦の智慧を授ける場所という意味があります。玄奘三蔵は「施無厭(せむおん)」と解釈していますが、これも惜しみなく与えるところという意味です。アーナンダ仏教大学で学んだ僧侶が各地に散らばり、チベット仏教、ミャンマー仏教、中国仏教などに枝分かれしていくことになります。

発掘品

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、ナーランダ仏教大学跡建物の中から発掘されました

瞑想する穴

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、ナーランダ仏教大学跡僧侶が瞑想するための穴です

1193年にイスラムの侵攻によりナーランダ仏教大学は破壊されてしまいますが、その後の発掘によって瞑想する場所から遺骨が発見されたそうです。これは、イスラムの侵攻が突然すぎて瞑想中に亡くなった修行僧ではないかと言われています。

舎利弗寺院

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、ナーランダ仏教大学跡_舎利弗寺院舎利弗を祀る寺院でした

舎利弗の仏塔

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、ナーランダ仏教大学跡_舎利弗の仏塔舎利弗が亡くなったところに建てられました

ナーランダは、舎利弗尊者と目健蓮尊者の出身地でした。お釈迦様の十大弟子で智慧第一と名高い舎利弗尊者はナーランダ仏教大学の近くの村で誕生し、この地でお釈迦様に先立って入滅されました。入滅されたところには舎利弗尊者の仏塔と寺院が建立され、ナーランダ仏教大学のシンボルになっています。

地図