仏教遺跡と仏教の基礎知識
仏教はお釈迦様(ゴータマ・シッダルタ)によって説かれた宗教です。キリスト教、イスラム教とともに世界三大宗教の一つに数えらえます。仏教はアショーカ王、玄奘三蔵、イギリス人のアレキサンダー・カミンガムの3人の偉人により世界に広められ、世界宗教となりました。
インド人には歴史を残すという習慣がなくイスラムの侵攻やヒンドゥー教の隆盛などで次第にインド国内で仏教が廃れてしまい忘れ去られてしまいました。そのためお釈迦様の生年など詳細なことは不明です。
- アショーカ王
- 紀元前3世紀頃に仏教を擁護し仏教の関連施設を巡拝して石柱を建造しました。
- 玄奘三蔵
- 中国人僧侶でインドに行き教典や仏像などを持ち帰りました。西遊記のモチーフになりました。
- カニンガム
- インド考古学者でインド植民地時代に古代仏教寺院の発掘を行いヨーロッパに伝えました。
どのような謂れがあるのかも含め仏教聖地が現在でも残されているのは、上記3名が後世に残してくれたためです。
お釈迦様の生涯
お釈迦様は、紀元前5世紀から6世紀にシュッドーダナ王とマーヤー夫人の子としてネパール領のルンビニで生まれました。生まれた時にマーヤー夫人の脇の下から生まれたとか生まれてすぐに7歩歩いて右手で天を左手で地を指し『天上天下唯我独尊』と唱えたとの伝説が残されています。
お釈迦様が生まれたことを知ったアシタ仙人は、誕生した王子を見て「家にあれば、全世界を武器を用いず徳によって征服する偉大な王(転輪聖王)になるであろうし、出家すれば、精神界の王として人類を救済するブッダとなるであろう」と涙を流したとの逸話があります。
お釈迦様は聡明な青年に育ち、ヤショダラ姫と結婚して子ラーフラを授かり恵まれた生活を送りますが「四門出遊」により出家を決意されます。四門出遊とは東門では老人、南門では病人、西門から出たとき死者に会ったことで人は生まれ、老い、病に遭い、死ぬ苦しみ(四苦)があることを感じ、残された北門を出たときに一人の沙門(僧)に出会い出家を決意したというものです。
お釈迦様は出家してアーラーダ・カーラーマとウドラカ・ラーマプトラの2人の仙人のもとに訪れますが、これら仙人の悟りが本当の救いではないと悟り、仙人から後継者として願われるも辞退して苦行へと向かいます。このとき、お釈迦様の父(王様)は警護役として5名をお釈迦様に同行させています。
6年の苦行を行いますが、苦行では悟ることができないことを知ると尼連禅河で沐浴した時に、村娘スジャータから乳粥の供養を受けました。これを見た5人の同行者は、お釈迦様が苦行をやめたとして離れてしまいます。
スジャータから乳粥の供養を受けたお釈迦様は一人でブッダガヤにある菩提樹の元で瞑想に入り魔を退けて、ついに悟りを開いてブッダとなります。お釈迦様は悟りの内容を人に伝えるか考えましたが、簡単ではないため躊躇していましたが、梵天が3度乞われて(梵天勧請)人々に悟った内容を話すことを決意します。
悟りの内容を過去に師事を受けた2人の仙人に伝えようと考えましたが、すでに亡くなっていることを感じたお釈迦様は、苦行を共にした5人の仲間にサールナートにて初めての説法(初転法輪)を行います。
お釈迦様は各地で説法を行います。マガタ国のビンビサーラ王は仏教に帰依して竹林精舎を寄進されグリッダクータ(霊鷲山)では多くの法を説かれています。またコーサラ国のスダッタ長者は祇園精舎を寄進されています。
各地で説法されたお釈迦様は、最後にクシナガラに訪れ、鍛冶屋のチュンダの供養を受けて、最後の時を迎えられ、ラーマバール・ストゥーパ(荼毘塚)にて荼毘に伏され、ここで分けられた遺骨(仏舎利)は各地で祀られています。
仏教の八大聖地
- ルンビニ
- 【四大聖地】生誕の地(ネパール領)
- ブッダガヤ
- 【四大聖地】成道(悟り)の地
- サールナート
- 【四大聖地】初転法輪(初めての説教)の地
- クシナガラ
- 【四大聖地】涅槃(死)の地
- ラージギル
- 布教の地
- サヘート・マヘート
- 教団本部の地
- ヴァイシャリ
- 最後の旅の地
- サンカーシャ
- 昇天の地
十大弟子
十大弟子は、お釈迦さまの弟子の中で主要な10人の弟子です。
舎利弗 | しゃりほつ | 智慧第一 |
摩訶目犍連 | まかもっけんれん | 神通第一 |
摩訶迦葉 | まかかしょう | 頭陀第一 |
須菩提 | しゅぼだい | 解空第一 |
富楼那弥多羅尼子 | ふるなみたらにし | 説法第一 |
摩訶迦旃延 | まかかせんねん | 論議第一 |
阿那律 | あなりつ | 天眼第一 |
優波離 | うぱり | 持律第一 |
羅候羅 | らごら | 密行第一 |
阿難陀 | あなんだ | 多聞第一 |