パリニッバーナ寺院
クシナガラは仏教の四大聖地の一つで、お釈迦様が涅槃(入滅)されたところです。涅槃とはお釈迦様が亡くなり常に人々の近くに住している常住となられたことを言います。このお釈迦様が涅槃された場所にある寺院がパリニッバーナ寺院です。
クシナガラの祝福
クシナガラは仏教の四大聖地と言われますが、小さな町に小さな仏教遺構が残るだけで、ホテルも少なく閑散としている田舎です。そのような小さな町であっても、私にとってクシナガラの訪問は忘れられない経験となりました。
クシナガラに滞在した日はインドの世界観光の日でした。田舎町であるクシナガラに訪れた外国人として祝福と歓迎を受け、新聞に掲載される運びとなりました。祝福ムードでお釈迦様が入滅したクシナガラを参拝することができたわけです。
世界観光の日の祭典
ガイドさんも市長の祝福を受けます
朝にホテルロビーに呼ばれると市長と新聞記者などが集まっていました。市長から花の首輪であるレイをかけられ「何故この地に来たのか?」などのインタビューを受けました。涅槃経を信奉する私としては、クシナガラに訪れただけでも幸せでしたが、偶然こうした祝福を受けたことが信じられませんでした。
女学生が集まり写真を撮りました
スマホで新聞に掲載された記事を見せてもらいました
レイをかけられたままの姿でパリニッバーナ寺院(涅槃堂)などを参拝すると、たまたま訪れていた大勢の女学生さんが一緒に写真を撮ろうと集まり、お互いに写真を撮りあいました。女学生と話をしてみると「ようこそ遠くから来られました。私たちはあなた方を歓迎します。」と祝福してくれました。それはまるで、お釈迦様が入滅されてから長い時間を超えて遠い異国の私たちが訪れたことを歓迎してくれたような嬉しい感覚がありました。
ガイドさんに聞いてみると、一緒に写真を撮影した彼女たちは修学旅行で来ていて、この場所の出身の方ではなく、とても裕福な家の女性たちだと教えてもらいました。こうした出来事はインドの新聞にも掲載されたようで、後日ガイドさんがスマートフォンで記事を見せてくれました。
パリニッバーナ寺院(涅槃堂)
クシナガラはお釈迦様が最後の布教の旅を行う途中でたどり着いたところです。多くの者が供養を捧げようとする中、お釈迦様は在家教徒の青年ジュンダに最後の供養を許され、そして沙羅双樹のもとで最後の時を迎えられました。
パリニッバーナ寺院は、大パリニッバーナ経(大般涅槃経)から名付けられました。パリニッバーナ寺院があるところは正にお釈迦様が最後を迎えられたところで、ここにはお釈迦様が最後に沐浴をされたヒラニヤバティー川から発掘された涅槃仏が祀られています。
涅槃堂の後ろにはストゥーパがあります
涅槃堂の目の前にある沙羅双樹です
お釈迦様は沙羅双樹の下で入滅されたと言われますが、パリニッバーナ寺院の正面には2本の沙羅の木(沙羅双樹)が立っています。ここにミャンマー仏教徒によりパリニッバーナ寺院が建てられました。現在でもインドでは少数の仏教徒が大切に管理しています。
涅槃像にかける黄色い布です
かまぼこ状のクリーム色の堂宇です
お釈迦様はクシナガラにあるヒラニヤバティー川で最後に沐浴をされました。この川底から発見されたと言われる全長6.1メートルの涅槃仏がパリニッバーナ寺院には安置されています。涅槃仏は右手で頭を支えて頭北面西で横になり、故郷であるルンビニを眺めています。
大きな涅槃像様です
涅槃像様の足には法輪が刻まれます
パリニッバーナ寺院に安置される黄金で巨大な涅槃仏の足裏には法輪が刻まれています。その足先は少しずれていて、このズレはアジアの涅槃仏に見られる特徴であり涅槃の姿を現している証拠とされています。
最後の説法地で池もあります
レンガでできたストゥーパです
パリニッバーナ寺院の近くには、お釈迦様が最後に説法されたマータ・クアール寺院やアヌルッダのストゥーパが残されています。アヌルッダ(阿那律)はお釈迦様の従兄弟にあたり失明していましたが心の眼を開き、天眼第一と称されました。お釈迦様入滅時は最高幹部としてアーナンダに指示してマッラ族に葬儀を用意させたとも言われます。