白河舟田・本沼遺跡群
白河舟田・本沼遺跡群は、下総塚古墳・舟田中道遺跡・谷地久保古墳・野地久保古墳の4遺跡で構成されます。古墳時代の白河舟田・本沼遺跡群と律令国家での白河郡の古代役所跡である白河官衙遺跡群は半径2キロほどの範囲に分布しており、大化改新前後における地方豪族の足跡を知るうえで重要な遺跡として平成17年(2005年)に国の史跡に指定されました。
下総塚古墳・舟田中道遺跡
白河舟田・本沼遺跡群は、阿武隈川上流の河岸段丘及び丘陵斜面上に所在し、下総塚古墳、舟田中道遺跡、谷地久保古墳、野地久保古墳からなる6世紀後半から8世紀初頭の遺跡群です。下総塚古墳は6世紀後半の古墳時代後期に築造された墳丘長72メートルの前方後円墳で長さ7メートルある横穴式石室があり、円筒埴輪や形象埴輪が出土しています。
6世紀後半に築造された前方後円墳です
古墳と関係がある豪族の住居がありました
下総塚古墳の北にある舟田中道遺跡は、6世紀後半から7世紀前半に造営された豪族の居館跡とされ、下総塚古墳の被葬者に関連がある一族が暮らしていたと考えられます。現在は田畑が広がりますが一辺70メートルの規模があり柵跡や竪穴住居跡が発見されています。
谷地久保古墳
谷地久保古墳は7世紀後半~8世紀初頭に造営された直径17メートルの円墳です。近畿地方の終末期古墳に共通した横口式石槨を埋葬施設として墳形は二段築成で築かれています。被葬者は古墳の構造の特異性などから古代白河郡の郡司などの盟主層と考えられています。
横口式石槨を埋葬施設とした円墳です
横口式石槨の開口部は露出しています
石槨の石材は安山岩質溶結凝灰岩(白河石)で造営されており側壁と天井石や床石が遺存していますが、開口部が開かれて盗掘されているため副葬品はありません。谷地久保古墳は平成17年(2005年)に白河舟田・本沼遺跡群の一つとして国の史跡に指定されました。
野地久保古墳
野地久保古墳は平成16年(2004年)に発見された上円下方墳です。7世紀後半から8世紀初頭に造営され、下方部の規模は一辺16メートル、上円部は直径10メートルあります。上円下方墳の発掘は全国5例目で東北地方では初めてです。
全国に5件しか知られてない上円下方墳です
横口式石槨を埋葬施設であり朝廷との繋がりが示唆されます
谷地久保古墳と同様に横口式石槨を埋葬施設であり、この周辺に同じような古墳が点在していることから、古代白河郡の盟主層の墓域と可能性が考えられています。平成22年(2010年)に白河舟田・本沼遺跡群の一つとして国の史跡に追加指定されました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒961-0013 福島県白河市
- アクセス
- JR久田野駅から徒歩30分
- 営業時間
- 24時間
- 料金
- 無料
- 地図