アンコール王朝の繁栄と衰退

クメール人が建国したアンコール王朝は、9世紀から15世紀にかけて現在のカンボジアを中心に東南アジアに栄えました。ヒンドゥー教や仏教を中心とした王朝で、これらの宗教が融合した建築物や芸術も多く見られます。
アンコール王朝の成立
802年にジャヤーヴァルマン2世がアンコール地方を統一して、クメール諸王の王を宣言してアンコール王朝が成立しました。アンコール王朝は2代ジャヤーヴァルマン3世、3代インドラヴァルマン1世と続きましたが、インドラヴァルマン1世が亡くなると王位を巡り内乱となりました。
アンコール遷都
4代ヤショーヴァルマン1世は、内乱で荒廃したハリハラーラヤからアンコールに遷都しました。ヤショーヴァルマン1世はプノン・バケンの丘を都城と定め、プノン・バケンの丘に王宮や大寺院を建てました。921年にジャヤーヴァルマン4世がクーデターを起こしてコー・ケーに遷都したため、アンコール王朝は分裂状態となりました。ラージェンドラヴァルマン2世は、944年にコー・ケーを攻め落としてアンコールに再び遷都しました。

プノン・バケン
ヤショーヴァルマン1世が建造したヒンドゥー教寺院で、プノン・クロム山、プノン・ボック山とともにアンコール三聖山とされ、夕陽鑑賞の名所でもあります。

バンテアイ・スレイ
967年にラージェンドラヴァルマン2世とジャヤーヴァルマン5世が建造したヒンドゥー教の寺院で、女性の砦を意味するクメール美術最高峰の建築物です。

東洋のモナリザ
バンテアイ・スレイはシヴァ神やヴィシュヌ神に捧げられた寺院で、デヴァター(女神)の彫像は東洋のモナリザと呼ばれています。

タ・ケウ
ジャヤーヴァルマン5世が建造した寺院で、クリスタルの古老という意味があります。ジャヤヴァルマン5世の突然の死により、石材を積み上げた状態で未完成のまま放置されています。
スールヤヴァルマン1世の統治
10代ジャヤーヴァルマン5世の跡は3人が王位継承で争い、1006年に最終的にスールヤヴァルマン1世が王位を継承しました。スールヤヴァルマン1世は、ラオス・ルアンプラバンやタイのチャオプラヤ川下流域まで支配を広げました。

ピミアナカス
スールヤヴァルマン1世がアンコール朝の王宮に建造した寺院です。天上の神殿や空中楼閣の意味があり、王族の儀式の場として使用されました。

トマノン
スールヤヴァルマン2世が建築した寺院で、高さ2メートル以上の基壇に1つの塔と拝殿があります。南側には経蔵、東と西に塔門、東塔門より続く参道の東には小型の十字テラスがあります。

チャウサイ・テボーダ
スールヤヴァルマン2世により建築された寺院です。10年もの歳月をかけフランス極東学院が修復し、2006年から見学できるようになりました。

バプーオン
1060年にウダヤーディチャヴァルマン2世により建てられたシヴァ神を祀る寺院です。クメール王妃が我が子を隠したためパプーオン(隠し子)と名付けられました。
スールヤヴァルマン2世
1113年に即位したスールヤヴァルマン2世は、チャンパーやタイ・ビルマ方面まで征服して領土を拡大し、使節を宋に派遣して朝貢しました。スールヤヴァルマン2世が亡くなるとアンコール王朝は内乱となり、1177年にはチャンパー王国がアンコールを占領して傀儡国家を建設しました。
アンコール・ワット
スールヤヴァルマン2世は、アンコール王朝の経済や政治の中心かつ宗教上の聖都としてアンコール・ワットを創建しました。アンコール・ワットは、ヒンドゥー教三大神に捧げられた寺院であると同時にスールヤヴァルマン2世を埋葬する墳墓でもありました。

アンコールワット
スーリヤ・ヴァルマン2世が創設したヒンドゥー教三大神に捧げられた寺院で、自身の墳墓も置かれました。王と神が一体化するデーヴァ・ラジャ思想に基づく寺院です。

スーリヤ・ヴァルマン2世
スーリヤ・ヴァルマン2世はチャンパーを攻め、ビルマの国境まで支配領域を広げて征服王と呼ばれました。アンコールワットの王の彫刻はかつて金で塗られていました。

乳海攪拌
不老不死の薬アムリタを求める神と悪鬼(アスラ)にヴィシュヌ神が仲介し、神と悪魔が蛇を巻き付けて綱引きして、海がかき混ぜられて乳海した神話を描いています。

十字回廊
十字回廊の4つの角を埋めるようには沐浴池があり、かつて貯められていた水で身体を清めてアンコール・ワットの内部に入ることができました。
最盛期を築いたジャヤーヴァルマン7世
1181年に即位したジャヤーヴァルマン7世は、侵略を受けていたアンコール地方を奪回しました。ジャヤーヴァルマン7世は王の道と呼ばれる巨大な道路を建設し、施療院102軒、商人用の宿泊施設を121軒建設しました。商業は活性化して兵士の移動も効率化しましたが、道路建設や寺院建設で国家財政は疲弊していきました。
アンコール・トムの建造
アンコール地方を奪還したジャヤーヴァルマン7世は、首都アンコール・トムを復興して国力を回復させました。アンコール・トムは大きな都を意味し、一辺3キロメートルの四角い城壁と堀に囲まれています。

バイヨン
アンコール・トムの中心にあるバイヨンは、二重の回廊で囲まれたメール山(須弥山)を象徴しています。メール山は古代インドの宇宙観において神が降臨して住む領域とされます。

バイヨンの四面仏塔
バイヨンには49基の仏塔があり、塔の四面には大きな菩薩の顔が設置されています。圧倒的な大きさの微笑んだ菩薩の顔はクメールの微笑と呼ばれます。

ライ王のテラス
ジャヤーヴァルマン7世が造営したテラスで、350メートルにわたり象やガルーダの彫刻が施され、階段の両側には3つの頭を持つ聖なる象アイラヴァタが設置されています。

象のテラス
ジャヤーヴァルマン7世が造営したテラスで、壁面にガルーダや象の彫刻が施されています。このテラスでは儀式や式典、王の閲兵に使われました。

タ・プローム
1186年にジャヤーヴァルマン7世が母の菩提を弔うために建造した僧院で、のちにヒンドゥー教寺院に改宗されました。最盛期には1万人以上の人たちが暮らしていました。

タ・プローム
ガジュマルの一種で熱帯地方に繁殖するスポアンの木の根が建物を飲み込むように巻き付きます。木の根を取り除くと崩壊が進むため修復には時間がかかるようです。
アユタヤ王朝の侵攻と滅亡
ジャヤーヴァルマン7世が死去すると後継者争いで国が弱体化し、1238年にスコータイ王国、1259年にラーンナー王国が独立しました。1351年に建国したアユタヤ王朝は、急速に勢力を拡大して1353年と1356年にアンコール王朝を攻めました。1370年にアユタヤ王朝の攻撃でアンコールは陥落し、1431年にアンコールが完全に占領されました。アンコール王朝は滅亡してロンヴェーク=ウドンとスレイサントーの勢力に分かれ、アンコールはジャングルに埋もれました。