シェムリアップ

シェムリアップはカンボジア北西部のリゾート地で、9世紀から15世紀にかけて栄えたクメール王国が建造したアンコール・ワットなどの遺跡を訪れる際の拠点です。アンコール遺跡のほか、フランス時代の建物が残るオールドマーケットなどがある東南アジア有数の観光都市です。
概要
- 面積
- 10,300km2
- 標高
- 18m
- 人口
- 24.55万 (2019年)
- 地図
特集
歴史
9世紀にクメール人が建国したアンコール王朝は、12世紀から13世紀に王都アンコール・トムを中心に最盛期を迎えました。東南アジア一帯に勢力を広げましたが、15世紀にアユタヤ王朝の侵攻で滅亡しました。19世紀にフランスの保護国となり、20世紀に独立を果たすもアメリカが介入して内乱状態となりました。
フナン王国とチェンラ王国
紀元前4000年以上前から住んでいたクメール人は、メコン川流域の肥沃な土地で農耕を営んで生活していました。1世紀にインドから流入した人びとがメコンデルタを中心とするフナン王国(扶南)を建国し、仏教やヒンドゥー教が伝来して独自の文化が発展していきました。4~5世紀にクメール人が仏教を国教とするチェンラ王国(真臘)を建国し、フナン王国を圧迫していきました。650年に即位したジャヴァルマン1世は、フナン王国を滅ぼしてメコン・デルタにまで支配を拡大しましたが、681年に死去すると地方勢力が台頭して分裂状態が続きました。
アンコール王朝の成立
802年にジャヤーヴァルマン2世がアンコール地方を統一して、クメール諸王の王を宣言してアンコール王朝が成立しました。4代ヤショーヴァルマン1世は、内乱で荒廃したハリハラーラヤからアンコールに遷都しました。921年にジャヤーヴァルマン4世がクーデターを起こしてコー・ケーに遷都して分裂状態となりますが、944年にラージェンドラヴァルマン2世がコー・ケーを攻め落としてアンコールに再び遷都しました。

プノン・バケン
ヤショーヴァルマン1世が建造したヒンドゥー教寺院で、プノン・クロム山、プノン・ボック山とともにアンコール三聖山とされ、夕陽鑑賞の名所でもあります。

バンテアイ・スレイ
967年にラージェンドラヴァルマン2世とジャヤーヴァルマン5世が建造したヒンドゥー教の寺院で、女性の砦を意味するクメール美術最高峰の建築物です。
アンコール王朝の繁栄と衰退
10代ジャヤーヴァルマン5世の跡を継いだスールヤヴァルマン1世は、ラオス・ルアンプラバンやタイのチャオプラヤ川下流域まで支配を広げました。1113年に即位したスールヤヴァルマン2世は、チャンパーやタイ・ビルマ方面まで征服して領土を拡大し、使節を宋に派遣して朝貢しました。スールヤヴァルマン2世が亡くなるとアンコール王朝は内乱となり、1177年にはチャンパー王国がアンコールを占領して傀儡国家を建設しました。1181年に即位したジャヤヴァルマン7世が奪回に成功し、首都アンコール・トムを復興して国力を回復させました。

トマノン
スールヤヴァルマン2世が建築した寺院で、高さ2メートル以上の基壇に1つの塔と拝殿があります。南側には経蔵、東と西に塔門、東塔門より続く参道の東には小型の十字テラスがあります。

アンコールワット
スーリヤ・ヴァルマン2世が創設したヒンドゥー教三大神に捧げられた寺院で、自身の墳墓も置かれました。王と神が一体化するデーヴァ・ラジャ思想に基づく寺院です。

バイヨンの四面仏塔
バイヨンには49基の仏塔があり、塔の四面には大きな菩薩の顔が設置されています。圧倒的な大きさの微笑んだ菩薩の顔はクメールの微笑と呼ばれます。

タ・プローム
ガジュマルの一種で熱帯地方に繁殖するスポアンの木の根が建物を飲み込むように巻き付きます。木の根を取り除くと崩壊が進むため修復には時間がかかるようです。
アユタヤ王朝の侵攻
1370年にアユタヤ王朝の攻撃でアンコールは陥落し、1431年にアンコールが完全に占領されました。アンコール王朝はロンヴェーク=ウドンとスレイサントーの勢力に分かれ、アンコールは荒廃してジャングルの中に埋もれました。ロンヴェーク=ウドンとスレイサントーは農業主体から海運主体へと王朝を変革しようとして、ロンヴェーク=ウドンはシャムと結び、スレイサントーはベトナムと結びんだことでタイとベトナムの抗争の地となりました。

アンコールワットの落書き
寛永9年(1632年)に森本右近太夫一房が父母の菩提を弔うために訪れ、御堂を志し数千里の海上を渡り、ここに仏四体を奉るものなりと記載しました。
フランス領インドシナ
ベトナムに進出したフランスは、1863年にタイとベトナムの勢力圏に置かれたカンボジアをフランス領インドシナに編入しました。フランスはアンコール遺跡の修復や保護に貢献し、観光産業の基盤を築きました。
カンボジア独立と内乱
1953年にフランスから独立を果たし、プノンペンを首都としてシハヌークが国王となりました。1970年にベトナム戦争に巻き込まれる形で、アメリカが支援するロン・ノル政権がシハヌークを追放して内戦状態となりました。
カンボジア内乱
ポル・ポトを指導者とするクメール・ルージュは、軍事独裁を求めてアメリカへの服従を拒否して蜂起し、1976年に選挙で信任を受ける形で権力を奪いました。クメールルージュは通貨を廃止して農業主体の極端な共産化を強行し、知識人ら反対派を大量虐殺しました。ベトナム戦争に勝利したベトナムは親ソ連派としてカンボジアに介入をはじめ、1979年にポル・ポト政権を倒しました。

アキ・ラー地雷博物館
個人で地雷を撤去するアキー・ラー氏が、1999年に政府から援助を受けずに設立した博物館です。地雷の怖さや戦争の悲惨さを伝える展示が充実しています。

アンコール国立博物館
2007年に開館したクメール文化などを展示する博物館です。クメール文化の石像やレリーフなどが展示されていますが写真撮影等はできません。