ロンドン塔に残る英国王室の深い闇
ロンドン塔は正式名称を女王陛下の宮殿と要塞と言います。イングランドを征服したウィリアム1世が外敵からロンドンを守るために堅固な要塞の建設を命じて建設されたホワイト・タワーを中心にリチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始めヘンリー3世が完成させました。造幣所や天文台を備える宮殿として使用されましたが、16世紀から監獄として使用されて多くの身分の高い人が処刑されました。イングランドの栄光と悲劇の歴史を刻んだロンドン塔は1988年にユネスコの世界遺産に登録されています。
ロンドン塔の建造
1066年にノルマンディ公ギヨーム2世(ウィリアム)はドーヴァー海峡を超えてイングランド王国に侵入し、ヘースティングスの戦いでアングロ=サクソン王朝ハロルド2世の軍を破りました。ギヨーム2世はウィリアム1世としてイングランド国王に即位してノルマンコンクエストを達成してノルマン朝を開きました。ウィリアム1世は外敵からの防衛と敵対する民衆への威圧を目的として、ロチェスター司教ガンダルフに命じて1078年にテムズ川の畔の砦にホワイトタワーを建設しました。このホワイトタワーを中心として拡張され、ロンドン塔となりました。
ウィリアム1世
ヘースティングスの戦いでアングロ=サクソン王朝ハロルド2世の軍を破りノルマンコンクエストを果たし、イングランド国王に即位しました。
ホワイトタワー
幅36メートル、奥行き33メートル、高さ28メートルあるノルマンディ様式の建物で1625年まで国王が居住する宮殿として使われました。
ロンドン塔の拡張
ロンドン塔はホワイトタワーを中心として歴代国王により拡張されました。リチャード1世は城壁の周囲に堀を造営し、ヘンリー3世の頃には内郭に複数の塔が建てられました。エドワード1世はさらに外堀を築いて二重の城壁に囲まれる現在のロンドン塔の姿になりました。ロンドン塔の内部には13世紀から1834年までライオンなどの動物が飼われる王立動物園があり、1255年にはフランス王からヘンリー3世に象が贈られています。14世紀から19世紀には造幣所や天文台があり、1640年まで銀行も備えていました。
ロンドン塔
歴代国王により拡張されて2重の城壁に21の塔が並らぶ要塞となりました。
ミドルタワー
ロンドン塔の内部には13世紀から1834年まで王立動物園があり、14世紀から19世紀には造幣所や天文台などがありました。
監獄としての利用
ロンドン塔はジェームズ1世の頃まで王宮として利用されましたが、1282年からは身分の高い政治犯を収監、処刑する監獄としても使用されました。14世紀以降は政敵や反逆者を処刑する死刑場となりました。ロンドン塔では拷問機具を使用して厳しい取り調べが行われ、スカベンジャーの娘と呼ばれる拷問機具は体を丸めて圧迫させて1時間も耐えることができないと言われます。最後のロンドン塔収監者はドイツの副総統ルドルフ・ヘスで、第二次世界大戦でドイツから単独で飛来して捕虜となり1941年から1944年まで勾留されています。
トレイダーズ・ゲート(反逆者の門)
堀から船で囚人が連行された門で、この囚人の中には濡れ衣を着せられて連行された者も多くいました。
囚人の落書き
1500年代の牢獄であるビーチャムタワーには、処刑を待つ多くの囚人が壁や床に文字や図形などを残しています。
ブラッディタワーと陰謀
1483年にイングランド王エドワード4世が死去すると、エドワード5世が12歳で国王となり叔父グロスター公が後見役となりました。グロスター公はエドワード5世と弟リチャードをロンドン塔ブラッディータワーに幽閉し、自らをリチャード3世と宣言してイングランド国王に即位しました。リチャード3世が即位するとすぐに二人の王子は塔から姿を消すことになり、1674年にホワイトタワーのセントジョン礼拝堂に続く階段の下で2人の子供の遺骨が発見されました。1933年に法医学的に検査され10歳と12歳くらいの子供の骨であることが分かり、これらの遺骨はエドワード5世と弟のリチャードと考えられています。ウェストミンスター寺院に安置された二人の骨壺には叔父の謀略により埋葬されたと記載されています。
ブラッディタワー
エドワード5世の叔父グロスター公の陰謀により、イングランド王エドワード5世と弟のリチャードが幽閉されました。
エドワード5世と弟リチャード
1674年にホワイトタワーのセントジョン礼拝堂に続く階段の下で2人の子供の遺骨が発見され、二人のものと鑑定されました。
狂王ヘンリー8世
イングランド国王ヘンリー8世は、兄アーサーが結婚して間もなく他界したため、彼の妻キャサリン・オブ・アラゴンを妻として迎えました。キャサリンは6人の子を産みますが、生存したのは娘のメアリーのみで男児はいませんでした。世継ぎが欲しいヘンリー8世はローマ教皇に離婚を申請しますがローマ教皇はこれを拒否したため、ローマ・カトリックと絶縁して英国国教会を設立しました。ヘンリー8世は英国国教会のもと離婚して妻の侍女アン・ブーリンと再婚しますが、アン・ブーリンも男児を産まなかったため、アンに罪を着せてロンドン塔で処刑しました。ヘンリー8世はアンオブクレーヴズと結婚しますがタイプではないため結婚を解消し、アン・ブーリンの従兄弟キャサリン・ハワードと5回目の結婚しました。しかし、キャサリンも過去の恋人の存在が発覚してロンドン塔で処刑されました。
ヘンリー8世
6人の妻を持ちましたが、そのうち2人の王妃をロンドン塔で処刑しました。反対する者を悉く処刑したため狂気の王と呼ばれました。
タワーグリーン
身分の高い囚人の処刑場で、よく幽霊が出る場所と言われています。
アン・ブーリン
アン・ブーリンはエリザベス1世を産みますが男児が生まれないため、ロンドン塔で処刑されました。
キャサリン・ハワード
ヘンリー8世の5人目の妻で、結婚して間もなく過去に恋人がいたことが発覚して姦通罪として処刑されました。
ブラッディ・メアリーの陰謀
ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれたメアリーは、母キャサリンが離婚したため王位継承から外れ、ヘンリー8世の跡はジェーン・シーモアとの間に生まれたエドワード6世が継ぎました。1553年にエドワード6世が若くして崩御するとヘンリー8世の妹メアリー・テューダーの孫ジェーン・グレイが女王として即位しますが、メアリーの陰謀によりジェーンはロンドン塔で処刑されてメアリーがメアリー1世として即位しました。メアリー1世はカンタベリー大司教トマス・クランマーなど英国国教会の聖職者を処刑するなど弾圧を行いブラッディ・メアリーと呼ばれました。
エリザベス1世の戴冠
ヘンリー8世とアン・ブーリンの間に生まれたエリザベスは、異母姉妹であるメアリー1世との政争に敗れてロンドン塔に幽閉されました。メアリー1世が死去するとエリザベスは戴冠してエリザベス1世として即位し、イングランド黄金期へ導きました。南アフリカのカリナン鉱山で発見された世界で一番大きい530カラットのダイヤモンド・カリナン1は女王が持つ杖に取り付けられ、317カラットのカリナン2はジュエルタワーに展示されています。
ジェーン・グレイの処刑
メアリーの陰謀によりわずか9日間の在位で廃位され、ジェーンはロンドン塔で処刑されました。
ジュエルタワー
世界で一番大きなダイヤが保管されています。
ロンドン塔に伝わるカラスの伝説
ロンドンは17世紀中期にペストが流行して死体があふれ、それをついばむカラスが大繁殖しました。さらに1666年のロンドン大火災はロンドン家屋の85%を焼き尽くす大参事となり、焼け野原のロンドンはカラスがあふれてロンドン塔にも多くが棲みつくようになりました。イングランド国王チャールズ2世はロンドン塔に棲みついたカラスの駆除を命じると、占い師がカラスがいなくなると英国が滅びると予言しました。これによりロンドン塔のカラスは英国王室の守護神として大切に飼われ、コロナ禍で6羽のうち1羽が居なくなるとロンドンは騒然となりました。
チャールズ2世
ロンドン塔に棲みついたカラスの駆除を命じると、占い師がカラスがいなくなると英国が滅びると予言しました。
ヨーマン・ウォーダーズ
ロンドン塔に住んで観光客ガイドや夜警などをしている陸軍退役軍人で、レイヴンマスターというカラスの世話をする人もいます。