歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

海洋国家を支えた王立天文台

イギリス・ロンドンのグリニッジ国立天文台

グリニッジ王立天文台は、グリニッジパークの高台にある世界でも最も名の知れた天文台です。経度0度であるグリニッジ子午線やグリニッジ標準時の基準点であり、日本は経度135度にあたりグリニッジ標準時から9時間の差があります。グリニッジ王立天文台はイギリスの海洋進出を支えた歴史上重要な都市として、河港都市グリニッジの構成遺産として1997年に世界遺産に登録されています。

天文台の必要性

15世紀から17世紀は欧州各国が海外進出のため大航海時代を迎えていましたが、当時の航海は運に任せた危険な航海で海難事故が相次いでいました。見渡す限り海が広がる外洋では目印になるものが無く、現在のように技術が確立されていない時代で自船の位置を正確に計測するためには、正確な時間とその時の太陽や星(北極星)の高さや角度から位置を求める必要がありました。海洋術を向上させて海洋国家として世界に進出したいイギリスは、海上で正確に位置を求める技術を確立して航海の安全を確保することが課題でした。地球上の経度を正確に測る方法の一つとして、月と星の位置関係を使う方法が検討されました。

航海用具

航海用具

大航海時代の始まりは運任せの航海で、安全に航海するためには天体から自船の位置を求めて地図で確認する必要がありました。

ジョン・フラムスティード

ジョン・フラムスティード

独学で天文を学び、ケンブリッジ大学でニュートンなどと交流を深めた結果、当時の暦では精度が不十分との見解を指摘しました。

王立天文台の設立

フラムスティードの意見を受けた国王チャールズ2世は、天文観測から経度を測定して安全な航海を確保するために天文台の建設を命じました。グリニッジ王立天文台は、ロンドン郊外グリニッジ地区のテムズ川河畔に設立され、フラムスティードが初代天文台長に就任しました。北緯51度28分38秒、経度0度0分0秒に位置するグリニッジ王立天文台は、1851年にエアリー子午環を設置してグリニッジ子午線の基準となり、1884年に開催された国際子午線会議において、グリニッジの子午線を東経0度として世界の本初子午線として定めることが同意されました。

イギリス・ロンドンの旧グリニッジ王立天文台

旧グリニッジ王立天文台

多くの教会を設計したイギリス人建築家クリストファー・レンの設計により、1675年に完成しました。

イギリス・ロンドンのエアリー子午線

エアリー子午線

1884年に開催された国際子午線会議において世界の本初子午線として定めることが同意され、世界の経度および時刻の基準を担いました。

天文台の天体観測

グリニッジ王立天文台が開設した当初は、観測機材も人員も無いため支援者から提供された機材で観測を始めました。私財を投じて少しずつ機材を揃えていき、高さ4メートルの窓がある八角形の部屋では窓の外に望遠鏡を突き出して日食や月食、彗星などの天文観測を行いました。恒星の絶対位置をこれまでにない精度で測れるようになり、それらをもとに太陽・月・惑星の位置も精密に測定しました。経度の測定には正確な時刻が必要なため、クロノメーターが開発されました。船では振り子時計が使えないため機械時計の研究が盛んに行われ、時刻の基準とするためジョージ・ビドル・エアリーがエアリー子午環を設置し、これが世界の本初子午線となります。なお、現在のIERS基準子午線はエアリーの子午線から東に100メートルほどの位置にあります。

イギリス・ロンドンのグリニッジ王立天文台_フラムスティード・ハウス

フラムスティード・ハウス

高さ4メートルの窓がある八角形の部屋では窓の外に望遠鏡を突き出して日食や月食、彗星などの天文観測を行いました。

イギリス・ロンドンのグリニッジ王立天文台

望遠鏡

恒星の絶対位置をこれまでにない精度で測れるようになり、それらをもとに太陽・月・惑星の位置も精密に測定しました。

王立天文台の成果

月の観測データはニュートンによる月の運動理論構築でも役立ちました。フラムスティードは観測記録を天球図譜として出版しようと試みますが、ニュートンやハレーはフラムスティードの古い不正確な観測記録を元に勝手に天球図譜を刊行したため対立しました。天球図譜は無効とされ、改めてフラムスティードは自費で天球図譜を刊行しようとしますが死去したため、遺志を継いだフラムスティード夫人らが刊行しました。この天球図譜によりグリニッジとの緯度、経度の差が分かるようになり、長らく航海や測量と基礎となりました。

ウィリアム・ハーシェル

ウィリアム・ハーシェル

1690年に天王星を恒星として発表したフラムスティードの遺志を受け継ぎ、天王星を太陽系第7惑星と決定しました。

イギリス・ロンドンのグリニッジ王立天文台ハーシェルの望遠鏡

ハーシェルの望遠鏡

当時世界最大の12メートルある巨大な反射望遠鏡で、天王星を太陽系第7惑星として確定させることに貢献しました。

タイムボールとクロック

正確な時間は航海に不可欠な情報であるため船舶に正確な時間を知らせる必要があります。旧グリニッジ王立天文台の屋上にはタイムボールと呼ばれる赤い球が設置され、1833年から午後1時に赤い球を落下させてテムズ川の船に正確な時刻を知らせました。また、公衆にグリニッジ標準時刻を示すために天文台長ジョージ・エアリーが1852年にシェパード・ゲート・クロックをグリニッジ天文台の玄関口に設置しました。

イギリス・ロンドンのグリニッジ王立天文台

タイムボール

旧グリニッジ王立天文台の屋上にある赤い球は、午後1時に落下してテムズ川の船に正確な時刻を知らせました。

イギリス・ロンドンのグリニッジ王立天文台シェパードゲートクロック

シェパードゲートクロック

時計職人チャールズ・シェパードが製造した時計で、ビッグ・ベンでも同じ時刻が表示されて英国の国内時刻の統一につながりました。

グリニッジ王立天文台の閉鎖

第二次世界大戦が起こるとナチス・ドイツが1940~41年にかけてロンドンに大規模な爆撃を行いました。被害を受けて混乱した町はレイアウトを修正することになり、ロンドンの町は拡張されてグリニッジは戦争の復興が進むにつれて開発が進み町が明るくなりました。ロンドンの発展に伴いグリニッジでの天体観測に支障をきたすようになり、天文台の機能は1957年に南部サセックス州ハーストモンソーの古城に移転しました。1992年にはさらに北にあるケンブリッジに移転しましたが、1998年にケンブリッジの天文台が閉鎖されました。

イギリス・ロンドンのグリニッジ王立天文台

グリニッジ王立天文台

天文台の機能は1957年にハーストモンソーの古城からケンブリッジに移転しましたが、1998年にケンブリッジの天文台が閉鎖されました。

イギリス・ロンドンのグリニッジ王立天文台

グリニッジ王立天文台

クリストファー・レンが設計した旧王立天文台は、博物館として利用されています。