栄華を極めた英国王室の宮殿
ロンドンにはイギリス王室ゆかりの宮殿が幾つも存在します。バッキンガム宮殿は世界でも希少な現役で執務が行われている王宮で1837年から王または女王のロンドンの公邸として使用されてきました。今も変わらずに続けられている衛兵交代式は午前11時半から年間を通して行われ、軍楽隊の演奏に合わせて前の衛兵から次の衛兵に引き継がれます。またケンジントン宮殿はヴィクトリア女王が生まれ悲劇のダイアナ元妃も住んでいた宮殿です。
バッキンガム宮殿
バッキンガム宮殿は、1703年にバッキンガム公ジョン・シェフィールドが自らの邸宅として建てたバッキンガムハウスが始まりと言われます。当初は煉瓦のみで建てた非常に粗末な邸宅でしたが、1761年にジョージ3世がシャーロット王妃と子供達の為に譲り受けて使用するようになり、さらにジョージ4世が建築家ジョン・ナッシュの忠告により煉瓦造りだったバッキンガムハウスを1825年から12年かけてルネッサンス様式からネオクラシック様式に改築しました。1837年に即位したヴィクトリア女王は、セント・ジェームズ宮殿からバッキンガム宮殿に移り住み、それからイギリス王室の公式の宮殿になりました。
バッキンガム宮殿
1837年に即位したヴィクトリア女王はセント・ジェームズ宮殿から移り住み、それからイギリス王室の公式の宮殿になりました。
バッキンガム宮殿
エリザベス2世の跡を継いだチャールズ3世は、老朽化が進みネズミが多いバッキンガム宮殿から移転を考えていると言われます。
バッキンガム宮殿の内部
バッキンガム宮殿は77000平方メートルのフロアスペースに775部屋あります。寝室が240部屋(王室用とゲスト用の寝室52部屋、スタッフ用188部屋)、オフィス92部屋、トイレは78カ所あります。約400名の従業員が働き、内部には映画館、プール、カフェ、郵便局、医務室、警察署が併設されていて職員は外出する必要がありません。かつてはバーもありましたが酒癖が悪い従業員もいたようで現在は閉鎖されています。絢爛豪華な内部には毎日過密スケジュールで生活しているロイヤルファミリーのために350個以上の時計が設置されており、たくさんの時計を管理する時計職人が2名雇われています。
バッキンガム宮殿衛兵交代式
巨大なバッキンガム宮殿を守る近衛兵たちはクイーンズガード(現在はキングスガード)と呼ばれます。彼らは実績のある熟練の兵隊で、そのほとんどが高度な訓練を受けて戦地に赴いた経験があります。赤い制服に身を包んだ近衛兵は5つの異なる部署から集められているため、同じような赤い制服ですが、ボタンの位置などに微妙な違いがあります。モコモコの黒い帽子はカナダのブラックベアーの皮が使われ、高さ45センチ、重さ700グラムあり、18世紀に当時のイギリス軍の兵士が背を高く見せて威圧感を与えるために被るようになりました。
バッキンガム宮殿の衛兵
衛兵は2時間立ち続け4時間休憩するサイクルで、夜間は宮殿内を警備して24時間又は48時間勤務をしています。
バッキンガム宮殿の衛兵交代式
衛兵が交代する儀式は4月~7月は毎日(その他の月は2日に1回)拝見することができます。
衛兵の行進
衛兵は常に威厳を示すため、気絶する際には地面に真正面から倒れ込みライフルは手放さないように教育されています。
騎兵の行進
英国王室を守る衛兵は1660年のヘンリー7世の頃に設置され、衛兵の交代などの伝統的な儀式は1689年頃から始まりました。
ヴィクトリア女王
1819年にケンジントン宮殿で生まれたヴィクトリアは、母であるヴィクトリア・オブ・サクス=コバーグ=ザールフィールドと彼女を補佐していたジョン・コンロイにより親類を含め誰にも会うことなく育ちました。1838年に戴冠したヴィクトリアは、バッキンガム宮殿を王宮として1901年までイギリスを統治して大英帝国を繁栄に導くことになります。
最盛期のヴィクトリア朝
イギリスは産業革命により世界の工場と呼ばれ、植民地政策や三角貿易などで繁栄する一方、世界各国と軋轢が生じていました。アルバートと結婚した1840年には中国清とアヘン戦争となり、1857年には東インド会社の傭兵セポイが反乱(インド大反乱)を起こしました。セポイの反乱で東インド会社は廃止され、1877年にインド帝国が成立すると、ヴィクトリアがインド皇帝を兼ねました。南アフリカ北部で金やダイヤモンドが見つかると、1899に南アフリカ戦争(ボーア戦争)が起こり、南アフリカ連邦を設立して南アフリカ北部も手にしました。
ヴィクトリア記念碑
イギリスに最大の繁栄をもらたしたヴィクトリア女王の記念碑がバッキンガム宮殿の目の前にあります。
ヴィクトリア女王
9人の子供がヨーロッパ王家に嫁いだためヨーロッパの祖母と呼ばれましたが、出血が止まりにくい血友病を蔓延させることになりました。
ヴィクトリア女王
植民地政策を推し進めたことで、即位してから領土は10倍以上に拡大して、地球陸地面積と世界人口の4分の1はイギリスの支配下となりました。
セポイの乱
東インド会社の傭兵セポイの反乱により、東インド会社は廃止され、1877年にヴィクトリアが皇帝を兼ねるインド帝国が成立しました。
セント・ジェームズ・パーク
バッキンガム宮殿からウェストミンスターの間に広がるセント・ジェームズ・パークは、1603年に造園されたロンドン最古の王立公園です。聖ジェームズに捧げられたハンセン病療養所に因んで名付けられ、23万平方メートルある敷地には多くの花とたくさんの動物が生息するロンドン市民の憩いの場です。
セント・ジェームズ・パーク
バッキンガム宮殿からウェストミンスターの間に広がるロンドン最古の王立公園です。
セント・ジェームズ・パーク
公園内にはたくさんのリスなどのたくさんの動物が生息するロンドン市民の憩いの場です。
ケンジントン宮殿
ケンジントン宮殿は、1605年にノッティンガム伯のために建てられたジャコビアン様式の建造物で、1689年にイングランド国王ウィリアム3世により買い取られました。イギリス人建築家クリストファー・レンにより改築され、ウィリアム3世の妻でイングランド女王のメアリー2世の居城となりました。1694年にメアリー2世が天然痘で、1702年にウィリアム3世が落馬の影響でケンジントン宮殿で亡くなりました。のちにヴィクトリア女王はケンジントン宮殿で誕生して幼少期を過ごし、エリザベス女王の妹マーガレット王女やダイアナ元妃なども暮らしました。
ケンジントン宮殿
王室が300年以上暮らした宮殿で、チャールズとダイアナの居室もあります。ウィリアム王子とキャサリン妃も2022年まで居住されました。
ダイアナ妃メモリアルガーデン
15年住んでいたダイアナ妃が愛した庭園は、ダイアナ妃メモリアルガーデンとして整備され、ダイアナ妃と王子たちの像が置かれています。
ケンジントン・ガーデンズ
ケンジントン宮殿の正面には111ヘクタールある王立公園ケンジントン・ガーデンズが広がります。イギリス作家ジェームス・マシュー・バリーは、ケンジントン・ガーデンズで乳母車から落ちて迷子になるピーターパンが歳を取ることもなく鳥や妖精たちと音楽を奏でる神様の一族となるピーターパンの物語の舞台としました。
ピーターパン
ケンジントン・ガーデンズは、年を取らない神様の一族となるピーターパンの物語の舞台となりました。
ダイアナ記念噴水
1997年にパリのトンネルで事故で亡くなったダイアナ元妃のメモリアルファウンテンです。