歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

サウサンプトン

イギリス・サウサンプトン

サウサンプトンはイギリス南部の中規模な都市です。イギリス最古の港湾都市でタイタニック号が出航したところであり、現在もその港の規模や歴史上の役割から世界への入口の愛称でも知られています。18世紀から軍港として栄えましたが、現在は造船業のほか航空機製造業も盛んです。

概要

面積
51.47km2
標高
不明
人口
25.44万 (2019年)
地図

特集

イギリス・ハンプシャーのハイクレア城

カーナヴォン伯とハイクレア城

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歴史

サウサンプトンは英国最古の港町で、ローマ帝国の支配下で海外貿易を行う港町へと発展しました。ヴァイキングから侵攻されて略奪が繰り返されたため堅牢な城壁が築かれました。近世では軍港として栄えたほか、世界中に向かう船が出入港したところであり、大西洋で氷山に衝突して沈没した豪華客船タイタニック号もサウサンプトンから処女航海に出航しています。

イングランド王国の成り立ち

イギリス海峡沿岸部にあるサウサンプトンは、紀元前1世紀にローマ人が侵攻してイッチェン川東岸にクラウセントゥムと呼ばれる集落を形成して、やがて海外貿易を行う港町へと発展しました。ブリテン島はローマ属州ブリタンニアとなりますが、周辺民族の侵攻に悩まされることになります。ローマ帝国が内乱と外敵の侵入の対応に追われるようになると、辺境にあるブリタンニアが放置されて混乱の時代に突入しました。6世紀にはアングロサクソン七王国が建国すると、サウサンプトンの辺りはウェセックス王国が支配しました。アングロサクソン七王国はヴァイキングの侵略を受け、サウサンプトンも840年からデーン人のヴァイキングによる襲撃を受けました。その中で台頭したウェセックス王国はイングランド全土を統一してイングランド王国へと変貌しました。

イギリス・サウサンプトン

サウサンプトン

ローマ人によりクラウセントゥムと呼ばれる集落が形成され、海外貿易を行う港町へと発展しました。

イギリス・サウサンプトン

サウサンプトン

古くから海外貿易を行う港町に発展しましたが、840年からデーン人のヴァイキングによる襲撃を受けました。

城壁バーゲートと侵略

1066年に現在のフランス北部を支配していたノルマンディ公ギヨームは、ヘイスティングスの戦いでイングランド王ハロルドを破りノルマン・コンクエストを達成し、ウイリアム1世としてイギリス王に即位しました。この頃からサウサンプトンは、ロンドンやウィンチェスターとノルマンディを結ぶ貿易港として栄えるようになりました。サウサンプトンは城壁で囲まれましたが、1339年に始まる百年戦争で対立していたヴァロワ朝フランス王国の海賊が襲撃して略奪されました。また、1639年にピューリタン革命(清教徒革命)が起こると、1642年に国王と議会が対立して第一次イングランド内戦に発展し、議会派がサウサンプトンに進駐して王党派の侵攻を防ぎました。なお、1413年には王位に即位したヘンリー5世がケンブリッジ伯リチャードに暗殺を企てられるサウサンプトンの陰謀が起こり、首謀者らが処刑される事件が起きています。

ウイリアム1世

ウイリアム1世

ノルマンディ公ギヨームはノルマンコンクエストを達成してウイリアム1世としてイギリス王に即位しました。

イギリス・サウサンプトンのバーゲート

バーゲート

ヴァイキングの脅威から町を守るため1180年から300年かけて城壁が築かれ、バーゲートは1290年に完成しました。

タイタニック号の悲劇

1840年にロンドンとサウサンプトン間に鉄道が開通して人が集まるようになり、世界中に向かう船がサウサンプトンから出入港するようになりました。1912年に乗客1320人と乗員892人を乗せてサウサンプトン港を出港した豪華客船タイタニック号は、ニューヨークへ向かう途中の大西洋沖で氷山にぶつかり沈没する大事故が起きています。 イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成したミュージシャン細野正臣氏の祖父である細野正文氏は日本人で唯一タイタニック号に乗船しており、救助艇で記した壮絶な記録は横浜みなと博物館に保存されています。

タイタニック号

タイタニック号

総トン数4万6千トン、全長270メートルの豪華客船で、最新の設備と高度のポンプシステムを備え決して沈まない船と言われていました。

イギリス・サウサンプトンのタイタニック号記念碑

タイタニック号記念碑

サウサンプトンを出港して5日目に大西洋で氷山に衝突して1513人が亡くなりました。

軍港サウサンプトン

サウサンプトンは18世紀から軍港として機能するようになり、1853年にロシアがオスマン帝国に侵攻したクリミア戦争や1899年にイギリスが南アフリカ北方のオランダ系トランスヴァール共和国に対してボーア戦争を起こしたときに、兵隊の多くが軍艦に乗り込み戦地に向かいました。第一次世界大戦、第二次世界大戦においても多くの兵士がサウサンプトン港から世界各地の戦地に向かいました。第二次世界大戦では1940年に工場を目標とした空襲でサウサンプトンは大きな被害を受けました。

イギリス・サウサンプトンの港

サウサンプトン

18世紀から軍港として機能するようになり、第二次世界大戦では1940年に空襲で大きな被害を受けました。

イギリス・サウサンプトンのテューダー朝の家

テューダー朝の家

16世紀のノルマン朝とチューダー朝の頃にサウサンプトンで生活していた住民の邸宅が今も残されています。