歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

港区

東京都港区の六本木

港区は東京都の南東部に位置し、西は台地が広がり東の低地は東京湾に面しています。古くから重要な街道がつけられて商業地帯を形成しました。大企業の本社が集まり、東京23区で最も事業所数と従業員数が多い日本のビジネスの中心地であり、青山や麻布などには富裕層が住む高級住宅街が形成しました。

概要

面積
20.37km2
人口
258,763人(2021年10月1日)
区の木
ハナミズキ
区の花
アジサイ、バラ
区の歌
港区歌
地図

特集

東京都港区の赤穂義士墓地

忠臣蔵・赤穂事件の顛末

忠心を貫いた赤穂事件は江戸庶民に絶大な人気を得て、忠臣蔵をはじめとする浄瑠璃や歌舞伎の演目となり、現在もなお国内外で高い評価を得ています。

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東京都港区の品川台場

江戸湾沿岸と幕末の動乱

江戸湾に黒船が来航して日本は開国論争で大きく揺れ動きました。港区沿岸には幕末から明治維新へ向かう激動の時代の痕跡が数多く残されています。

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歴史

古くから重要な街道がつけられた交通の要衝でした。江戸時代から干拓により土地が造営され、大名屋敷や寺社が多く置かれ商業地として繁栄していきました。幕末の開国とともに外交公使館が建てられ、明治時代に日本初の鉄道が敷設されるなど商業地帯を形成する素地ができました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

縄文海進により海が広がりましたが、麻布、白金、芝公園周辺などの高台で人が生活した痕跡が残されています。本村町貝塚や伊皿子貝塚から縄文時代の土器などが多数発掘されています。

東京都港区の西久保八幡貝塚

西久保八幡貝塚

我善坊谷に向かう傾斜地に造営された縄文時代後期の貝塚で、貝層の下層から縄文時代前期の遺物も確認されています。

古墳時代、飛鳥時代

4世紀後半に芝丸山古墳が造営され、6~7世紀に芝公園に円墳群がつくられています。

東京都港区の芝丸山古墳

芝丸山古墳

4世紀後半に造営された都内最大級の円墳で、海上交易を掌握していた有力者の墓と考えられています。江戸時代の開発で埋葬施設が破壊されて副葬品などは出土していません。

東京都港区の亀塚

亀塚

古くから古墳と指摘された人工的な丘で、昭和時代の調査で古墳と断定されませんでしたが、その可能性は高いと考えられます。

奈良時代、平安時代

律令体制が成立して武蔵国豊島郡に属しました。東京湾に面して品川湊などが海上交易の役割を担いました。天長元年(824年)に善福寺が創建したと伝わります。

東京都港区の麻布氷川神社

麻布氷川神社

天慶元年(938年)に源経基が創建した神社で、美少女戦士セーラームーンの火野レイゆかりの場所として国内外のファンが参拝に訪れます。

東京都港区の赤坂氷川神社

赤坂氷川神社

天暦5年(951年)に蓮林僧正が一ツ木村に創建した神社で、享保15年(1730年)に8代将軍・徳川吉宗が現在地に社殿を造営して遷座しました。

鎌倉時代、南北朝時代

伊勢神宮の荘園である飯倉御厨があり、平安時代末期から勢力を伸ばした江戸氏が支配を続けました。品川湊は鎌倉の外港として栄え、平安時代に創建した善福寺は蒙古襲来のときに亀山天皇の勅願時となりました。

室町時代、安土桃山時代

大永4年(1524年)に北条氏綱が高縄原で上杉朝興を破りました。天文23年(1554年)に北条氏康が芝浦の船主に船方法度を定めました。

江戸時代

幕府の干拓事業により土地が造営されて大名屋敷や寺社が多く置かれ、慶長3年(1598年)に徳川将軍家の菩提寺である増上寺が芝に移されました。東京湾に面した地域は江戸湊として流通の拠点となり、寛永3年(1626年)に芝新網町の漁師が将軍家に白魚を献上しています。

幕末の開国

嘉永7年(1854年)に外国船の襲来に備えて品川台場が整備されました。日米修好通商条約が締結さると、安政6年(1859年)に日本で初めて外国公使館が港区域寺院に開かれました。尊王攘夷派の活動が激しくなり、薩摩藩邸や英国公使館などの焼討が頻発しました。

東京都港区の増上寺

増上寺

明徳4年(1393年)に酉誉聖聰上人が開山した寺院で、慶長3年(1598年)に現在地に移されて徳川家の菩提寺として6人の将軍の墓所が設けられました。

東京都港区の高輪大木戸跡

高輪大木戸跡

東海道の治安維持と交通規制を目的に設けられた大木戸跡で、宝永7年(1710年)に東海道の両側に石垣が築かれました。

東京都港区の曽根吉正墓

曽根吉正墓

寛文11年(1671年)から延宝8年(1680年)に佐渡奉行となり、洪水で被害を受けた佐渡金山の復興と生産増加に貢献しました。

東京都港区の佐藤直方墓

佐藤直方墓

江戸時代前期から中期の儒者で、山崎闇斎に師事して浅見絅斎らとともに崎門三傑といわれましたが、師の神道説に反対し破門されました。

東京都港区の英一蝶墓

英一蝶墓

江戸時代中期の絵師で江戸市民や都市風俗を得意としていました。元禄11年(1698年)に三宅島に配流となりますが、大赦により江戸に戻りました。

東京都港区の安島直円墓

安島直円墓

江戸時代の数学者で、関孝和の学統を継ぐ山路主住の門で関流の奥義を皆伝し、六圓無有奇術を創案して関流中興の祖と称されました。

東京都港区の井部香山墓

井部香山墓

江戸時代後期の儒学者で、天保14年(1843年)には老中水野忠邦に招かれて浜松藩の客儒となり、門人は藩士3千人に及んだといわれます。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治4年(1871年)に国内初の官営工場が設置され、明治5年(1872年)に新橋から横浜まで鉄道が開通しました。昭和11年(1936年)に二・二六事件が起こり、高橋是清らが殺害される事件が起きました。昭和16年(1941年)に東京港が開港しましたが、戦争の空襲で大きな被害を受けました。

戦後の復興

戦後に駅を中心に闇市が生まれて新橋駅には日本最大級の闇市が形成し、昭和21年(1946年)に戦災孤児を収容する東水園が設けられました。昭和33年(1958年)に東京タワーが完成し、昭和39年(1964年)に東京モノレールが開業しました。平成5年(1993年)にレインボーブリッジが開通し、平成7年(1995年)にゆりかもめが開業しました。

東京都港区の旧芝離宮庭園

旧芝離宮庭園

大久保忠朝が造営した楽壽園を前身とする庭園で、紀州徳川家の芝御屋敷を経て、明治8年(1875年)に皇室が買い上げて迎賓館として使われました。

東京都港区の巌谷小波宅跡

巌谷小波宅跡

明治20年(1887年)に尾崎紅葉らの硯友社に参加して小説を書き始めました。民話や英雄譚を再話復活し、近代児童文学の生みの親とされます。

東京都港区の赤坂離宮

赤坂離宮

明治42年(1909年)に外国の要人が滞在するために建築された迎賓館で、東洋一の宮殿と評される建物は建築家・片山東熊が設計しました。

東京都港区の旧乃木邸

旧乃木邸

日清・日露戦争に従事し、明治天皇崩御の後に殉死された陸軍大将・乃木希典の邸宅で、明治35年(1902年)に自らの設計で新築されました。

東京都港区の大倉集古館

大倉集古館

実業家・大倉喜八郎が設立した日本初の私立美術館で、明治35年(1902年)に自邸内に開館した大倉美術館を前身としています。

東京都港区の旧白金御料地

旧白金御料地

中世の時代に白金長者が館を構えたあと、高松藩主松平讃岐守の下屋敷や陸海軍の火薬庫を経て、大正6年(1917年)に宮内庁所管の御料地となりました。

東京都港区のニュー新橋ビル

ニュー新橋ビル

戦後に新橋駅東口に自然発生した東京最大の闇市は、昭和23年(1948年)にGHQの指示で整理され、昭和46年(1971年)にニュー新橋ビルが建てられました。

東京都港区の東京タワー

東京タワー

建造当初に世界で最も高い塔で、高さ333メートルあります。昭和32年(1957年)に着工して、全て手作業ながら1年半で完成しています。

東京都港区の日テレ大時計

日テレ大時計

スタジオジブリの宮崎駿監督がデザインした巨大なからくり時計で、1228枚の銅板を一枚一枚加工して作られています。